十七 エリン
星の見えない夜空が、ゆっくりと白み始めている。しんと凪いだ、音のない夜明けだった。
客間のバルコニーから屋根に上がって、エリンはひとり、夜が終わるのを待っていた。
部屋で休むようにと言われていて、自分でもそうしようと思っていたはずなのだが、どうにも落ち着かず、空に近い場所に逃げてきてしまったのだ。
たぶん、子供の頃からの癖のようなものであると思う。
死の近くにいるとき、夜は怖い。闇が死神を迎え入れてしまうような気がする。だからせめて、こうして眠らずに、夜を見つめて過ごすのだ。
小さな城の大屋根からは、敷地を一望することができた。
闇が緩んでくるにつれ、白い壁がぼうっと浮かび上がって、あちらこちら、兄を見守るように点されていた常夜灯が、じわりと薄明に溶けていく。すっかり冷え切ったエリンの身体は、城を包む冷気の一部になったようだ。穏やかで、何も無く、それゆえに優しい、朝が訪れようとしていた。
と、不意に冷たい風が吹いた。
視界の端に動くものを捉えたエリンの目が、反射的にそちらを見る。ふわりと、軽やかに風の形に膨らんだそれは、どこかの部屋のカーテンのようだ。こんな時間に窓を開けていたのかと不審に思うと同時に、その場所が兄の居室であると悟る。立ち上がり、そのまま――無意識のうち――いつものように、壁伝いにバルコニーへと降りていた。
やはり兄の部屋の窓は少し開いていた。晩秋のレーゼクネは寒いのに、風邪でもひいたらそれこそ命を落としてしまう。閉めておこうと窓枠に手をかけ、そして、ふと興味にかられ、部屋の中を覗く。
昼間と同じように寝台に横たわる、痩せた兄の姿があった。ベッドが乱れなく整ったままのところを見ると、彼は殆ど動いていないのではないかと思われる。
ちゃんと生きているだろうか。
息をしているだろうか。
不安がよぎる。そして、窓だけ閉めて去るつもりが、つい、部屋に足を踏み入れていた。
暖房が十分行き届いているおかげで、部屋は心配したほどは寒くなかった。音を立てないようそっと近づくと、彼の胸が静かに上下しているのが確認できた。
セルジュは穏やかすぎるほど静かに眠っていた。やつれた相貌も、安堵の表情にすら見える。ああ、よかった。きっと、苦しい夜ではなかったのだ。
しばらく兄から目を離せず、じっと立ち尽くしたままのエリンだったが、勝手に入り込んだ部屋にいつまでも居るわけにはいかない。兄が目を覚まさぬうちに戻らなければと、踵を返す。すると、
「……もう少し、居てくれぬか」
まだ薄暗い部屋に、声が響いた。
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