十五 マーゴット


 動揺した心を落ち着けようと、部屋に戻らず、静かな廊下で夕暮れを見つめていた。

 セルジュにとっては、再び上ることが約束されない太陽。この落陽が最後でなければいいと祈りつつ、滲みながら拡散する紫色を見つめていた。

 自分は今、この場所で一番悲しみから遠い場所にいるはずだ。死にゆくあの人とは今日が初対面なのだから。だから、エリンとゲオルグがちゃんと悲しめるように、支えなければ。ここでの自分はそういう役目なのだと、マーゴットは考えていた。けれど、先刻セルジュに言われた言葉が心を乱す。

 母を殺して自分が生まれたのだと思ってきた。

 口に出せば皆は否定する。だが、誰からも責められないからこそ、忘れるべきではないのだと、ずっと己を罰してきたように思う。拭いきれない罪悪感は長く彼女の胸の奥に淀み、そして逆説的に、苦しみを乗り越える糧でありつづけた。許されてはいけないと思う気持ちが、今日までの自分を長らえさせたのだ。

 セルジュの言葉は優しかった。なのにそれを素直に受け取ることができないばかりか、このような時にまで己のことばかり考えてしまう自分が嫌になる。


「ここにいたのか。探したよ」


 不意に声がして、驚いて振り返る。ゲオルグだった。


「お父様」


「君に頼みたいことがあって」


 ゲオルグは妙に明るいような声で、言いつつこちらへ向かってくる。夕暮れの光は溶け去りつつあり、廊下は暗く、表情は見えない。


「頼みたいこと?」


「ロディスを呼び戻した」


「えっ……!」


 思いもよらぬ言葉につい大きな声を上げてしまい、ハッとして口をつぐむ。慌てて周囲に人がいないことを確認してから、父の側へ駆け寄った。


「ロディス様を、呼んだ、って……」


「言葉の通りだよ。さっき直接話した。評議員特権があるから、空路で帰ってくる。申請も急がせるように言ってあるから、さほど時間はかからないはずだ」


 まもなく、薄暗い廊下にフッと灯りが点った。日が沈んだのだ。


「……セルジュに恨まれるかな」


 ゲオルグはそう低く呟き、明かりから顔を背けて続ける。


「私はいったんアヴァロンに戻るよ……君は、彼が戻るまでエリンとここにいなさい」


 喜ぶべき知らせなのか、そうでないのか。ゲオルグはなぜそんなことをするのか。マーゴットは混乱し、返す言葉を見つけられずに父を見上げて、そして、気がついた。

 ぎこちない微笑みの形の唇と、血の気の引いた頬、さまよう視線。いつも通りを取り繕ってはいるが、明らかに様子が変だった。


「どうしたの? お父様」


「どうしたって……?」


「何かありました?」


「何も……」


 目を合わせようとしない。誤魔化せるとでも思っているのだろうか。

 窓の外は既に群青。白々しく取り繕うゲオルグを前に、マーゴットの乱れた心は、不思議と落ち着きを取り戻していた。そっと手を伸ばし、ゲオルグの腕に触れる。


「……ねぇ、少し歩きません?」


 この不安げな顔を見たら、一人では見えなかったことが手に取るように分かる。


「マロゥ……」


「とても素敵なお庭があるでしょ、見せて頂きたいなって、思っていたの。構わない

かしら?」


「それは……大丈夫だとは思うけど、日は暮れてしまったよ?」


「そうですけれど、それも素敵でしょ」


 ゲオルグと自分の魂は繋がっている。きっと、だからなのだろう。この人のことは自分のことよりも深く分かるのだ。


「君がそう言うなら……」


 ゲオルグは戸惑いながらも彼女の申し出を拒むことはなく、二人は並んで薄明の庭へ降りていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る