十一 エリン
墓参りを済ませ、静かな遊歩道を城へと戻る途中のことだった。
「そういえば」
マーゴットが立ち止まった。
「エリンのお母様は、ご健在なのね」
日傘をひょいと傾けて、少しほっとしたような顔でこちらを見上げる。
「お話を聞いたことがなかったから、お亡くなりになったのかしらって、思っていたの」
「……母が?」
それは、思いもよらない話題だった。
「ええ。……あら、ごめんなさい、違った?」
予想外に反応が薄いので、余計なことを言ってしまったかと、マーゴットが表情を曇らせる。それを見て、エリンは慌てて首を振った。
「いえ、そうではなくて……申し訳ありません。そういえば、そうですね……母は……」
父の死は知らされたが、母が死んだという話は聞いていないから、おそらく、生きているのだとは思う。だが。
「母のことは……あまり、知らないのです」
乳母のことははっきり記憶が残っているのに、母の記憶は遠い。幼い頃はもっと色々な思いを抱いていたような気がするが、今となっては、明るい人だったのか、厳しい人だったのかも思い出せなくなっていた。だから、生死についても関心を寄せたことがなかったのだ。
母の名はマイ=ブリット・カスタニエ。
彼女のことで思い出せるのは唯一、泣き顔だけ。
あれはたぶん、アヴァロン城で突然別れることになった日の――
「そう」
過去の断崖を覗き込みかけたところに、柔らかい相づちが寄り添う。
「なら、わたくしと同じね」
マーゴットは静かに微笑んで言った。そして、来た道を仰いで、ささやかなカスタニエ家の墓所を見やる。
「ご健在なら、わたくし、一度お会いしたいわ」
「母に?」
「ええ。だめ?」
「え、あ、いえ……」
「エリンと、セルジュ様のお母様だったら、きっと素敵な方だわ」
マーゴットが笑うので、エリンもつられて薄く微笑む。母のことは覚えていない。だが、自分が決して冷遇されていたわけでないことは知っているのだ。
「……指輪を、くださいました」
「指輪?」
「はい」
頷いて、エリンはおもむろに黒衣の襟元を緩めると、首に巻いていたものを無造作に引き抜いた。
長い髪が滑り落ちる中、真昼の陽光を受け、革紐に通された指輪が、キラリと光る。
「それ……お母様から頂いたものだったのね」
マーゴットは、感慨深げに覗き込んで言った。エリンがこれを身につけていること自体は以前から知っていた。けれど、由来について話をしたことはなかったと思う。
「きれいな石ね」
皇女は目を細め、エリンの掌に乗った指輪を見つめた。
繊細な細工の施された金の指輪で、孔雀色の石が恭しくはめ込まれたものだ。年代物の品に見えるが、エリンが日頃手入れをしているのか、真新しい輝きを放っていた。
「アヴァロンに残ることになった時、別れの時間はあまり無かったようです。幼かったので、思い出は殆ど残りませんでしたが……母はこれを私に残してくれました」
この指輪があったおかげで、両親から愛されていたことを疑わずにすんだ。この片目が紫を宿してしまったせいで、母にはきっと、悲しい思いをさせたと思う。
父は、母は、アヴァロンの祖父やアーシュラを憎んだかもしれない。
「大切な指輪ね」
「はい」
「……いつか、きっと、お会いできる日が来るわ」
秘密を囁くように、緑の石に瞳を寄せて、マーゴットは呟く。エリンは何も言わず、二人目の主の優しい声を聞いた。
いつかもし、本当に、母に会う日が来るとしたら。
自分は誰のことも恨んではいないことを、伝えられるといい。
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