八 ゲオルグ


 まっすぐ部屋に戻るつもりが、気がつくと中庭を彷徨っていた。


 セルジュの部屋から見えた場所で、プライベートな庭園のようだ。自然な雰囲気の小道が配され、両サイド、目線の高さあたりに花が来るようにしつらえられている。

 濃密な香りを漂わせて咲き誇るのはすべて白薔薇――高く上った満月の元、まるで花それ自体が光を放っているように見える。


 こうして歩いてみると分かる。ここはセルジュ・カスタニエが妻を思って生きてきた証、喪の庭だ。植えられた薔薇の木は皆立派な古木で、ここが長く大切に守られてきた場所であることを沈黙のうちに語っている。


 薔薇たちは故人を弔うために植えられ、毎年毎年白い花を咲かせ続けてきた。リュシエンヌ・カスタニエの不在は、今もなおこの城で痛み続けているのだ。


 アヴァロンにも、同じような場所がある。城に一人きりになってから作った、自分だけのための小さな霊廟。アーシュラはそこに眠っていなかったが、それでも十二年、毎日のように花を持って通った。


 彼女を悼みつづけること。ずっと大切な儀式だった。悲しみを忘れないことを、唯一の支えにしていた自分のことは、今もありありと思い出せる。


(セルジュ、あなたは……ずっとここにいたのか)


 いつしかゲオルグは妻の幻の元に通わなくなった。理由は考えるまでもない。愛しいマーゴットをにしたからだ。


 あの日、帰還の日、眼前に現れた娘は、まさに亡き人の生まれ変わりに見えた。それが間違いであり――踏み出してはいけない罪のはじまりであることは、理解していたのに。


 傷つけ、奪って、溺れ、自分だけが救われ、愛する人を亡くした痛みを忘れた。

 セルジュのように在れなかったのは、当然のことなのだ。


 足下の石畳に刻まれる、己の影は暗く深い。悔恨の念はただの自己憐憫のように感じられて、さらなる自己嫌悪を呼び起こした。

 吐き気がする。我がことながらどうしようもないところへ落ちてきてしまったものだ。


 最愛の人のいない世界に意味は無いと言い切る、この城の主の純粋さが眩しい。美しく、悲しい庭を見つめて生きてきた彼が、ただ羨ましいと思った。

 こうなる前に死んでしまえていたら、マーゴットはただ幸せな少女として成長することができただろうか。


 あの日、残された娘の命を守りたい一心で、一人城に残ることを受け入れたのは本当だ。自分が父になれなかったのと同様に、自死も選べはしなかった。だから、答えは永遠に分からない。

 迷い込んだ袋小路で、ただ凝った自責の念だけが、べっとりと背中に張り付いて離れない。


 夜風がざわめき、物言わぬ花たちが、お前は大切なものを手放したのだ、あの人を忘れたのだと責めるように揺れる。

 ここへはセルジュを引き留めるために来たはずなのに、分かってしまった。彼の生と死は必然で、正しい。何も言えない。ああ、彼のようになりたかった。


 言葉を失ったゲオルグは一人、白薔薇の庭に長いこと立ち尽くしていた。

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