四 マーゴット
三人がレーゼクネに着いたのは、まだ城が朝靄に包まれている時間のことであった。
広々とした敷地に、品の良い白い石組みの小さな城。かつて、先々代の皇帝アドルフから分家を言い渡された、時の皇太子フリートヘルムが建てたという。まさに家族のための館といった佇まいの、住み良さそうな城であった。
こんな朝早くに訪ねて失礼ではないかと心配したマーゴットであったが、カスタニエ家の家令は、彼らの訪問を喜び、丁重に迎え入れてくれた。
ひとまず客間で一服することになり、出された温かい紅茶に口を付ける。キリリとした渋めの味わい。少し眠かったのでありがたい。
テーブルの隣に座ったエリンに、美味しいと声をかけようと顔を上げると、彼はカップに手をかけることもなく、ぼんやりと窓の外を見つめていた。
ここは彼にとっては生家であるのだから、懐かしいこともあるだろうし、もちろん、兄のことも心配だろう。
「……冷めてしまうわよ」
そっと声をかけてみると、エリンは彼女の方を向いて、それから目の前のカップに目を落とし、そうですねと呟いて手に取った。
「きれいなお庭ね、覚えているの?」
窓の外の庭には秋の花が行儀良く揃って咲いている。
「いえ……覚えているのは、高いところに住んでいたことくらいで……」
「じゃあ、あの塔かしら」
庭の奥には、蔦の絡まった小さな塔が立っていた。アヴァロン城の物見塔とは風情の異なる、絵本に登場しそうな、可愛らしい塔だ。
「……どうでしょうか」
「きっとそうよ」
明るく話をした方が良いように思えて、無責任な断定をしてみる。会話を続けるつもりであったが、ノックの音に遮られた。部屋に入ってきたのは、先ほどの家令だ。
「お待たせいたしました。当主がぜひお会いしたいと申しております。部屋へご案内いたします」
病床にあるのに随分朝が早いのだと思ったが、話を聞いてみると、むしろ寝たきりに近い生活を送っているせいであるらしい。昼でも夜でも、長く眠って過ごす日もあるので、ちょうど良かったと家令は言った。
ドアが開けられ、促されるまま、おずおずと中へ進む。カスタニエ公爵セルジュは、寝台に半分身を起こし、彼らを迎え入れた。
ベッドは元々あった場所から移動されたそうで、庭が見える窓辺に置かれていた。中庭が美しく見渡せて、明るく、ポカポカと日が当たり、とても心地よい場所のように見える。
重い病の床にある人を見舞うなんて初めての経験で、少し恐ろしくもあった。それを顔に出さぬよう気をつけながら、マーゴットは挨拶の言葉を述べるべく、セルジュの前へと進み出た。
彼女の戸惑いを感じ取ったのだろう、セルジュの方が先に口を開いた。
「ようやくお会いできたのに、このような姿で申し訳ありません、皇女殿下」
声は穏やかで、苦しそうな感じはしない。けれど、大きな枕に支えられた身体はひどく痩せ細っていて、健康だった頃とは随分変わってしまっているのだろう、どことなく植物――木のような印象を受けた。蓄えた水と栄養を使い果たし、まさに枯れつつある老木のような――
「いいえ……その、お会いできて光栄です。カスタニエ公爵」
どうにか、形式通りの挨拶を口にした。
少し前までの想像と違って、恐ろしくはなかった。悲しいというのもたぶん違う。
「どうぞ、セルジュとお呼びください。あなたの母君も、そうお呼びくださった」
微笑んだ目元が、少しロディスと似ている気がする。暖かそうな布団の上で組んだ細くて長い指は、よく見るとエリンと同じ形だ。
こんなにも大切な人に、今まで会わなかったのだ。
来るのが遅かった。あまりにも。
「セルジュ様……」
部屋全体が、不思議な厳粛さに包まれていた。彼を包む空気がぼんやりと光っているような感じすらする。悲しみは無い。ただ胸が痛い。これはきっと、この場所に満ちる穏やかな死そのもの。
寝室は明るく、死にゆく男のまなざしはどこまでも優しい。
彼はこのようにして、私たちの世界からゆっくりと切り離されていくのだろう。
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