三 ゲオルグ
溜まったメールを読みながら、ゲオルグ・アヴァロンは静かに怒っていた。
まずは、一刻も早くレーゼクネに行って話を聞かなければならない。何もかもそれからだ。それから、どうするべきかを考えよう。
カスタニエ公爵の具合が良くないということは、以前から聞いていた。だが、先刻暗い声で電話をよこした家令によると、治る病で死ぬという。見つかった癌の治療をしなかったというのだ。
(何なんだ、それは……)
誰か、こうなる前に彼を説得することは出来なかったのか。
医者でないゲオルグだって知っている。胃癌なんて大昔に治療法が確立した病だ。彼は街角の貧民ではない。望めばどんな医療も受けられる立場にいる。
だったらそれは、自殺と何が違うというのだ。
(あなたには、息子と家があるだろう、セルジュ)
二〇年も摂政として務めてきたゲオルグには分かる。貴族とは特権である以前に義務だ。中央や、よその自治区からはすこぶる評判の悪い制度で、自分だって最善だとは思わない。けれど、重い責任を極端に偏在させて、脆弱なエウロはバランスを維持している。
カスタニエ家の治める領域は自治区境界を含む要衝で、跡取りのロディスは中央で重要な職に就いたばかり。セルジュは変わり者だが良い領主で、そういう貴族は自治区にとって大切な存在だ。
是非とも生き続けてもらわなければ困る。それが仕事だろう。分かっているだろう。
セルジュの考えがどうあれ、自分としては、断じて認めることはできないのだ。治療はできるはず。今からでも。生きてほしい。
いや、生きるべきだ。
(死ぬなんて許さない)
(――ずるい)
苛立たしげに揺れていたゲオルグの肩が、ギクリと動きを止める。
(僕は今、なんて)
己の思考の着地点に自分で驚いていた。怒りの矛先がずれている。何がずるいというのか。
(違う)
(いや、私は……)
乱れた思考を引き戻そうと、車内を見回す。マーゴットはエリンに寄りかかってよく眠っているようだ。エリンは黙って窓の外を見つめていて……刹那、唐突にこちらを見た。
夜の化身のような気配。エリンのことは嫌いだ。この異様で美しい男の沈黙は、いつも己の輪郭を浮かび上がらせる。
ああ、こちらを見るな、エリン。
お前も、お前の兄も、美しい。
おぞましい罪にすがり、それを正当化し、見ないふりをして、ようやく人の姿を保っている支離滅裂な嘘つき。
それが今の自分だ。昔の自分が知ったら、今すぐ地獄に落ちるべきだと思うに違いない。
だから――つまり、羨ましいのだろう。セルジュ・カスタニエが。
幾度か会ったことがあるだけで、決して友人というほど親しい相手ではない。けれど、ずっと彼に親近感を抱いていた。
若い頃に妻を亡くした者同士。セルジュが頑なに再婚を拒んできたことも、同じ痛みを知る者のように思えた。
「…………」
今、病に倒れたとして、死を選ぶことは出来ないだろう。
ずっと、同じ境遇なのだと思っていた彼の人生は、どうやら自分とはかけ離れたものであったらしい。
どうして、彼のように生きられなかったのだろう。
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