エネルゲイア

@kawasemiaska

第1章 火男

それは誰だったのか。


それは灰になって風に散る。


それは誰かであった誰か。


それは夏の夜を照らし踊り、乱れ、燃えた。


それは蝋燭の火のように消えた。


それはもう輝きさえしない。


それは誰にも知られず。


それは闇の中で動かなくなった。











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「・・・・これで7人目か・・・くそっ!」


赤坂成行警部、五十三歳は瞼を閉じ手を合わせる。目の前にある微かに焦げ臭い、かつて人だった黒い塊に自分の不甲斐なさを憎むためか、手に力がこもり続ける。それは必ず犯人を捕まえでやるという断固たる決意の表れだった。





■■■



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七月上旬、俺こと乾一は上司である塩崎桔祢に呼ばれ、チャコールグレーのスーツを着て薄汚れたマンションを出て雲ひとつない青空の下、熱いアスファルトの上を歩き、見上げれば首が痛くなるほどの高いビルに入り冷房を感じながらエレベーターに乗って長い廊下を経て職場のドアを開け、そして今、桔祢さんが座っているオフィスデスクの前に立っている。


オフィスはコンクリートが剥き出しになっており部屋全体が灰色に染まっていて、奥にブラインドが掛かった大きな窓がある。そんな空間にオフィスデスクと椅子が七組ずつ置いてあり、その内の一組は窓際の真ん中に設置されていて、そこが桔祢さんのデスクとなっていた。


桔祢さんは名前で分かる通り女性であり、ほぼ毎日ニコニコと笑っていて、元々つり目の目をさらに細めている。そのためか名前の通り、狐に似ているなと個人的に思う。(余談だが桔祢さんはいなり寿司は甘すぎて嫌いらしい)


そして左目の下にはホクロがあり、ミステリアスな雰囲気を漂わせていて、まるで桔祢さんがこの部屋全体を操っているかのような気になる。


そんな座っている桔祢さんの横に、いつもはいない見知らぬ若い女がいた。明らかに俺より歳下だろう。年齢は十代後半から二十前半ぐらいに見える。

新入りかと思案していると、やぁ、おはよう、と桔祢さんから挨拶をされたので俺は見知らない女から目線を外し事務的な挨拶を返した。すると桔祢さんからいきなり、


「今日、一の誕生日でしょ?プレゼントあげる」


普通の人間ならば唐突にこんなことを言われたら呆然とするだろう。だが変なことを言うのはいつもの事なので、いつものように冷静に対応・・・・出来なかった。怒りの沸点に一瞬にして達し、反射的に口が言葉を発する。


「いや、誕生日過ぎてるし、今まで一度も貰ったことないんですが!」


そう今日、誕生日でもないのにプレゼントをあげるなんて言われたら誰だって呆然とするし、ボケかと思ってツッコミたくもなる。


「いいじゃない。そんな小さいこと」


全然、小さくないんすけど、と俺は思った。そんな俺に構わず話を進める桔祢さん。


「とりあえず、はいプレゼント」


桔祢さんの隣にいた先程の見知らぬ若い女が前に出てくる。


一瞬の間。時間が止まったかのように体が重くなる感じがした。それでも言葉を出そうとした結果、出てきた言葉は、


「え?」


この一言だった。


「ガールフレンドだ。一、彼女いないでしょ?」


「何言ってんだ!アンタ!!」


抑えていた感情が爆発し、自分でも驚くほどの声を出す。オフィスには他に人がいなかったため部屋全体に声がこだまし、桔祢さんと見知らぬ女は二人揃って耳を塞ぐ。ずっと前から変な人だと思っていたがここまでとは思わなかった。


「まぁまぁ、ジョーダンよジョーダン」


ニコニコしながら手を招き猫のように動かす桔祢さん。この人が言うと冗談に聞こえないから、タチが悪い。なぜなら七年前、桔祢さんからどこからどう見ても箱入りの羊羹の包みを渡され、いきなりその中には札束が入ってるから先方まで宜しく、とお使いを頼まれた事がある。それを俺は桔祢さんなりの冗談と捉え意気揚々と外に出ると、よく分からない連中に追われて大変な目に遭ったからだ。本当にあの時は死ぬかと思った。


そんな俺の苦悩も知らずに桔祢さんは見知らぬ若い女の紹介をしだした。


「この子は成瀬舞ちゃん。今日から一のパートナーね。いや、まだ見習いかな」


「成瀬舞です。よろしくお願いします」


成瀬という女が頭を下げる。桔祢さんが、なんと二十歳なんだってー。若いよねー、私も・・・、などと昔の武勇伝を語り始めるが、そんな桔祢さんを横目に俺は成瀬のことをまじまじと見た。身長は157くらいだと思うが、それよりも小さく見える。初々しい感じがそう印象づけているのかもしれない。髪型はウルフカットで染めているらしくシルバーで目立っている。だがそれ以上に、整っている童顔よりの顔右半分にある火傷の方が目立っていた。


その火傷を眺めていると、俯きながら見上げてくる瞳と瞳が合う。なんとも言えない気まずさに目を横に逸らした。すると、さらに後ろの方でニヤニヤしている拮袮さんの目と目が合った。ものすごくムカつく。


「まぁ、そういうわけで紹介は終わりね。次は仕事の内容だけど、」


と桔祢さんが話を始め出したので慌てて成瀬が俺の右隣に移動する。柑橘系の甘い匂いが鼻をかすめた。


「近頃、焼死体の発見が相次いでるのはニュースで分かってるよね。つい三日前も七人目の死体が発見されたらしくて、殺人の容疑で依頼が来てるんだけど、これ確定だよね」


「はい、間違いなくアラヤによる殺人事件だと思います」


「だよね〜。警察が時間かけて捜査して証拠が出ないんじゃね。ていうか七人も犠牲者出てからとか遅すぎ、赤坂のおっさん」


赤坂という苗字を懐かしむ俺とは対照的に机に頬杖ついて、ぼやく桔祢さんをなだめる。


会話に出てきたアラヤとは突然変異人種のことである。


十年前、突如として人智を超えた能力を持つ人間が現れた。例を挙げると、ものを燃やしたり凍らせたり、運動能力が飛躍的に上がったりなど多種多様に及ぶ。そして、その能力を使い犯罪を犯す連中も現れだしたため、これを対処する組織が設立されることになった。その組織は「エネルゲイア」と呼称され、政府直属の下、アラヤの調査、監視、制圧を主な活動としている。

所属する人間は皆アラヤであり、目には目を歯には歯をアラヤにはアラヤをということらしい。もちろん俺や桔祢さんもアラヤだ。その流れでいくと成瀬もアラヤということになる。


「それで、そのアラヤを捜索、捕縛が目的なんだけど・・・」


間が空く。桔祢さんが言いたいことがすぐ分かった。


「ーーーーー最悪、殺してもいいとの事だ」


桔祢さんからいつもの笑みがなくなる。あまり気分がいい話ではないからだ。つまりアラヤが殺人を犯してしまえば、殺してもいいというのが政府の意向であるという事だ。そう、アラヤは人間として見られていない。それもそうだ。その能力は一般人から見れば恐怖の対象でしかない。そのため問題を起こせば、即、執行対象となる。


「最初の仕事としては危険度が高いけど、成瀬ちゃん大丈夫?」


「は、はい!だ、大丈夫でっ、、すっ!」


成瀬は緊張しているのか声がうわずる。本当に大丈夫なのか?こんな調子で、と俺は横目で成瀬を見る。その様子を見て桔祢さんが、


「成瀬ちゃんなら大丈夫でしょ。一よろしくね」


はぁ、と訝しむ俺。


「組むのは良いんですけど、役に立つんですか?そこが一番の問題なんですけど・・・」


「それは問題ないんじゃない?その子、訓練所で射撃の腕は一番の成績だし」


「ホントですか?とても、そうは見えないですけど・・・」


そう言いながら成瀬を見ると成瀬がこっちを睨んでいた。頬を少し膨らませて子供みたいに見てくる。その目から逃れるように目をそらす。


「・・・・先輩、私のこと、さっきからちらちら見てきますけど、まさか、桔祢さんの冗談を真に受けてるんですか?」


桔祢さんの冗談?桔祢さんはさっきなんて言っただろうか?確か・・・ガールフレンドとかなんとか言ってたような。って、


「なわけないだろーーー!!!」


耳を塞ぐ成瀬。机を叩き涙を出しながら大爆笑してるもう一人。とても、殺人事件を扱うような空気感ではない。


「はぁ~・・・・」


俺は頭を掻きながらため息をついた。


「まぁでも、事件よりまずは成瀬ちゃんの銃を取りに行かないとね。一、道案内よろしく」


「あぁ、はい。分かりました。成瀬、周りの整理ができたら外に出るぞ」


「え?あ、はい!」


成瀬の私物整理をコーヒーを飲みながら待ち、何も分かっていない成瀬を連れて俺達はオフィスを後にした。





市街地は灼熱の中、喧騒に包まれていて、どこもかしこも建物と車と人だらけだ。そのせいか分からないがやけに息苦しい。もしくは今着ているカーボンナノチューブ製の防弾スーツのせいかもしれない。


「先輩!!待ってくださーーい!!」


いや、あいつのせいだな。


「なんだよ、さっきから。もう三回も同じやり取りしてるぞ」

立ち止まり、成瀬の方に振り向く。


「先輩、歩くの早すぎですよー!もう、疲れましたー」


ぜぇぜぇ息をしている成瀬。


「何言ってんだ。三ヶ月間、訓練所で何してたんだよ。走り込みやっただろ」


エネルゲイアに所属する人間は訓練所で三ヶ月間の訓練をすることになっている。この七月という時期に成瀬が入ってきた理由がそれだ。訓練の内容は射撃、体術、持久力などの戦闘向きのものばかり。アラヤとやり合うなら必要な事だ。


「そんなのサボってましたよー。汗かくし、疲れるし、面倒いし」


とんでもねぇ疫病神を押し付けられちまった。


「はぁ、このまま歩き続けるぞ。」


「あ!ちょっ、先輩っ。待ってくださーーい!」


俺たちは今、市街地に出て、ある場所に向かっている。ある場所とは街一番の高層ビル、「暁セントラルビル」の地下にある、銃を米軍から取り揃えてる極秘施設の事だ。通称アンダーグラウンドと呼ばれ、俺たちエネルゲイアはそこから武器を仕入れる。極秘である以上、絶対に秘匿にしなければならない。そのため、一日に二回しか中に入いる機会はなく、午前十時五十三分と午後九時十九分にだけ地下通路への入口が開く。この大変中途半端な時間も秘匿性を高めるためのものである。


スマホを取りだし時刻を確認する。現時刻は十時四十三分。まずい、あと十分しかない。それなのに、こいつときたらチンタラ歩きやがって。


「おい、まじで急ぐぞ!時間がない」


成瀬を置いて俺は走り出す。


え~~~~~!!?と言いながらついてくる成瀬。





まだ夏も始まったばっかりだというのに、汗を滝のように流し、アンダーグラウンド入口前に立つ、午前十時五十一分。


何とか間に合った、と安堵のため息をつく。そんな俺の後ろに、膝に手を乗せ腰を曲げて深呼吸する成瀬の姿があった。どんだけ体力ないんだ。


「息切らしてるとこ、すまないが、まだ中に入ってないぞ。中に入るまでは休めないと思えよ」


「・・・・・はぁ、はあ、・・・っ先輩、ドSです・・はぁ、ね・・・・はぁ・・・・」


「いやいや、お前があまりにも体力がないだけだろ。シャトルランでいうなら80ぐらいの疲れだぞ」


「・・私の限界、・・・40で、っすよ・・・・・」


「ーーー、うそだろお前」


「私、持久力、・・・ないので・・」


とんでもない足でまとい具合いに驚く。なんでこんな奴がウチに入ってきたんだと疑問に思うが、そうしてる間にも時間は過ぎることを思い出し、再び入口に向き直った。


アンダーグラウンド入口はビルの東地下駐車場にあり、いつも人影が少なく車もまばらにしか停まっていない。その駐車場の隅、何の変哲もないコンクリの壁こそが入口だ。いや、正確には門といったほうが正しい。その門が、時間になると10秒だけ開く。

開くといっても、壁自体は何も変化は無い。つまり壁を通り抜けることができるのだ。もちろん、普通の技術ではそんな事はできない。アラヤによる能力でできるのだ。そこさえ通り抜ければ、これまで神経をとがらせてきた時間については考えなくてもよくなる。


そして、午前十時五十三分になった。


「行くぞ、成瀬」


「は、はいっ」


目の前に迫りくる壁には相変わらず慣れない。そのため俺は目をつぶりながら少し歩いて、ゆっくり目を開く。すると目の前には道が暗闇に向かって真っ直ぐ伸び、蛍光灯の灯りが先に続いている。


俺に続いて壁を通り抜けてきた成瀬は驚きながら後ろの壁を見ている。


「す、凄いですね!ビックリしちゃいました」


「こんなことで驚いていたら、この先やっていけないぞ」


「む~~〜〜」


不服そうに睨んでくる成瀬を無視して前を向く。


まだ終わりじゃない、むしろ始まりだ。目的はまだ達成していない。


そう、銃を手に入れるという目的を果たすには、三つのセキュリティをクリアしなければならない。


一つ目、『ラビリンス』。


その名の通り、迷宮だ。仮に一般人が紛れ込んだとしても、自動的に外に出てしまうつくりになっている。さらに、ここにも先程の通り抜けられる壁や、隠し通路があるため、あらかじめ道を知っておかないとクリアは困難だ。


二つ目、『ミラーハウス』。


こちらも、ラビリンス同様、対一般人用のセキュリティで、天井、壁、床、あらゆるところに強化ガラスミラーが貼ってあり、さらに迷路にもなっている。この迷路も普通に歩いているだけでは、足止めを食らう。そのためか、迷い込んだ人間は元の場所に戻ろうとするらしい。そしてラビリンスに戻り、そのまま外に出ていくとのことだ。そんなミラーハウスの攻略方法は、鏡だ。実はほとんどの鏡は歪んでいて、それ以外の全身を綺麗に写す鏡が回転する仕組みなっている。これが五箇所あり、その中に正しい道が続くようになっている。この五箇所の五という数字は指標になっており、つまりは五回、鏡を通ってもクリア出来なければ道を間違えてるということになる。そうなってしまってはもうどうしようもない。


三つ目、『ワード』。


ここでは、決められた合言葉をパスワードとして入力する。三回、入力を間違えてしまうと、アラームが鳴り、周囲を壁に囲まれ閉じ込められる。その後は一般人なら保護、解放され、アラヤなら逮捕、幽閉される。


この三つのセキュリティは一体型になっていて、それを掻い潜ってやっと、アンダーグラウンドに辿りつける。まだまだ気は抜けない。


歩き続けるとさっそく、第一のセキュリティ、ラビリンスが立ちはだかる。


「成瀬、ラビリンスの正しい道、覚えておけよ」


「はい!メモに取ります!」


「バカ!それじゃ秘匿にならないだろ!そんなメモ残して落としたり盗まれでもしたら本末転倒だ!頭に道を叩き込め」


「えーっ!?そんなの無理ですよーー」


「無理でも詰め込むんだよ!」


そんなやり取りを監視カメラが記録している。当たり前だが各箇所にはそれぞれ監視カメラが設置されている。そんな中、決められた道を辿り始める。すると少しして不思議なことが起こった。


「先輩、そこを右ですよね?」


「ん?あぁ・・・」


「次そこを左ですね」


「そうだが・・・・」


成瀬が教えてもいない道を先に言うのだ。一回ならまだしも、ずっと指をさして正解の道を当てる。こんな不気味な事はない。あらかじめ桔祢さんに聞いていたのかと思うが、成瀬の態度を見るに初めての反応をしている。もしかすると情報が漏れているんじゃないかと俺は危惧し質問することにした。


「おい、成瀬」


はい?と、とぼけた調子で俺を見てくる後輩。


「お前誰かに、ここの道のこと聞いて知ってたのか?」


「いや、知りませんよ?」


やはり知らなかった。


「だが、こう何度も先の道を教える前に言われると、情報が漏れたとしか・・・・」


「あー、なるほど、先輩の顔がさっきから引きつってる理由がわかりました」


「なんだよ」


そんなに引きつってたのか?そう思いながら成瀬が言う次の台詞を待つ。


「私の能力を知らないからですよ」


「そういえば、まだ聞いてなかったな」


「もう薄々気づいていると思いますが、私の能力は未来を視ることができるんです」


未来が視える、そんなことを成瀬は言う。なら、この先のセキュリティのことも、遥か先の出来事も視えているのか?そうなら戦闘系の能力ではないが強力な能力なのは確かだ。つまるところコイツはこういう攻略系が向いてるんじゃないだろうか。


「あぁ、でもですね、せいぜい五秒先ぐらいまでしか視えないんですよ。先輩が五秒後曲がる方を未来視で視ないと道は分かんないままですし」


「だから曲がる手前でしか先を言わなかったんだな」


それじゃ攻略系という訳でもないな。5秒先しか視えないんじゃあまり役に立たなそうだなと俺は思った。


それからも成瀬は案の定、何も言わなくても俺より先に行くのかというぐらい進んでいく。結局、何も教えなくてもラビリンスをクリアした。


「次のミラーハウスも、お前一人で行けるだろ、なんならワードもいけるだろ。俺、帰るわ」


「ひどいですー!!ひねくれないでくださいよー」


「・・・だってなー」


「先輩がいないと分かりませんよ~。先輩が正解の道、行くのを未来視で視てるわけですから」


泣き顔でしがみついてくる成瀬舞二十歳。コイツはこの歳になって恥ずかしいと思わないのだろうか。


「あぁ、もう!!分かった!!分かったから離れろ!俺が悪かった!!すまん!!」


「一人にしないでくださいよー」


メンタルまで弱いのかコイツ。呆れるを通り越して驚きだ。これじゃ、何の役にも立たないだろ。桔祢さんはどうしてこんな奴を俺と組ませたんだ?そんなことを頭の中で反芻しながら第二のセキュリティ、ミラーハウスに入る俺と成瀬。


ありとあらゆるところに鏡があり、ありとあらゆるところに自分たちの姿が映っている。そこに照明が当たって更なる異様な空間を作っていた。


「先輩、ここキレイですね」


「どこがだよ。不気味で気持ち悪いだろ」


「えー、そうですか?私はキレイだと思いますよ。自分がいっぱい映ってて楽しいし、自分がちゃんと現実にいるっていう安心感があって」


「何言ってんだ?それが一番怖いだろ。自分は一人だけだ。自分が何人もいたら悪夢だろ」


成瀬は少し変わっていると思った。あまりにも普通の人間と考え方が違う。鏡に映る自分を見て安心感があると成瀬は言うがそれはどういうことなのだろう。成瀬は自分自身が不確かなのか、それとも自分の存在に嫌悪しているのか、分かるのはただ成瀬にとっての普通とは大概の人間が思っている普通ではないということだけだった。


複数の不気味な自分に囲まれながら歪んでない鏡を探しては通っていく。俺は慣れているので間違えることも迷うこともないが成瀬は違う。いつはぐれてもおかしくない。そのため、いつもよりゆっくり進む。そして三個目の正解の鏡を通ってから少しして俺は成瀬に話しかけた。


「お前の能力って受動系か?」


ここでいう受動系というのは、能力のタイプのことを指す。能力のタイプは大きく二つに分けられ、能動系と受動系がある。


能動系とは自分の意思で発動させることができる能力で 受動系は常時、もしくは偶発的に発動する能力のことだ。


「じゅどーけい?何ですかそれ?」


俺は感情を破棄しかけた。でないと頭がおかしくなりそうだったからだ。


「そんなのも知らないのか。受動系ってのはだな・・・」


「あ!分かりました!!受動系です、私の能力」


「まだ何も言ってないんだけど・・・」


「未来が視えたんですよ。先輩の説明の」


眉間に皺を寄せて視えてますよアピールをする後輩、成瀬。


頭に両手を置き、こちらに向けて手を頭から振り下ろし、まるで謎電波を出してるかのような動きをしてくるその顔が驚くほどムカついたので、そんな後輩の頭に重めのチョップをした。


いたっ!といい抗議してくる成瀬を捌きながら 残りの二個もトントン拍子に通り抜けていく。


成瀬は先程の手刀でまだ痛む頭をおさえて金魚のフンのようについてきている。


「うぅ〜、先輩のバカ、バカ、バカ・・・・キモイ・・・バカ、バカ、バカ・・・・」


「おい!十回に一回の頻度でキモイを挟むな!キモイだけ頭に残るだろ!」


「自業自得ですぅー!バカバカつんつん頭のウニ坊主!!」


「なんだとこの!大体、あんなチョップぐらい避けれるだろ、先のことが視えるなら!」


「視えてても避けられない速度で来たら、当たりますよ!先輩、なんか速いんですもん!」


今にも泣きそうな顔で言い返してくる成瀬。


避けられない速度?あぁそうか、知らぬ間に能力を使っていたらしい。


知らぬ間というか怒って我を忘れたというか、なんというか自分でも反省する。能力を制御できなきゃ、それじゃただの能力の暴走車だ。犯罪を犯すやつと変わりない。俺もまだまだだな。


反省しながら少し歩き、


「次ので最後だぞ。まだ気を緩めるな」


最後のセキュリティ、ワードの前に立って言う。


周りはやはり暗く、どうなっているのか分からない。パスワードを入力する機械が墓標のように立っていて、その周辺だけ灯りでともされている。それは異様な空間で、地獄に差し込む天からの光の様相を呈している。


「・・・・なんか、怖いです」


成瀬が呟く。


「それはそうだろ。ミスったら捕えわれるんだからな。緊張感を持って挑まないと、大変な目に遭うぞ」


緩く構えている後輩に忠告し、気を入れたところで入力作業に取り掛かる。


合言葉は四種類あり、計二回ランダムで問われそれぞれにあった言葉をタッチペンで液晶に文字を書く。このときに登録された筆跡を照合するという念の入れようだ。コレを作ったやつは余程、人間不信とみえる。


タッチペンでスタートの表示ををタッチする。すると早速、問いが表示される。そこには、


( ーーーーーー 山ーーー)


という一文字。山といえば川、海など有名であるからこそ、答えが合いづらいという問い。それでいて答えは単語ではなく、文というのだからタチが悪い。


そう思いながら俺は答えとなる言葉を書き込む。


(ーーーーーーと唐辛子はあつい)


全くもって意味不明である。まぁ、合言葉なんてものはこんなものだろうとは思うが何もうまくかかってないその文を見てしまえば、なぜ自分はこんなものを書いたのだろうと考えずにはいられない。何回やってもつい考えてしまう。山は涼しいときだってあるし、唐辛子だってあつくはない。食べて体が暑くなるなら分かるが、それでも納得感がないのが違和感になり、どうしても頭に残ってしまう。


そんなこと考えてる間にいつのまにか続いての問いが表示されていた。


(ーーーーーー空ーーーー)


またもやシンプルな単語。それに続く言葉を入力する。


(ーーーーーーーと箒はやさしい)


先程のやつより、もっとワケの分からない言葉の羅列だ。全くかかっておらず理解すらできない。まぁ、そのおかげで考えるのも馬鹿らしくなり、思考を整えることができる。この合言葉には意味なんかなく、適当に思い付いた言葉によって決められたものだということが分かる。つまりこの合言葉を考えたやつの掌の上で踊らされているという訳だ。


遠くの方で音が聞こえる。最後の扉が開いた音だ。


「今までの道のりをちゃんと覚えたか?」


鼻歌を歌い軽い足取りの成瀬に訊くと、はーいという、足取りよりも軽い返事をする。


その返答を聞いて、絶対、今後は一緒に来ないと俺は固く誓った。


開いた扉を通る。中は今までと違い明るく、壁一面に様々な銃が飾られている。そんな部屋の奥、無精髭を生やした中年のおっさんがカウンターに座ってサブマシンガンを磨いている。名前を壁島といい、このおっさんが今までのセキュリティを全部作った張本人である。人間嫌いの偏屈者。じゃないとこんなところに一人で住もうとは思わない。


「やけに遅かったな。どうした?子猫ちゃんが迷い込んでたか?」


壁山のおっさんが話しかけてくる。人間嫌いといっても、顔見知りの間柄なら軽い冗談ぐらいは言う。


「ちげーよ、後ろの後輩に教えながら歩いてきたからだよ」


「おー、嬢ちゃんが新人の娘かい?可愛い顔してるじゃねーか」


「あ、よろしくお願いします。成瀬舞といいます」


どうも成瀬は人見知りのようだ。さっきまでと違い、とてもよそよそしい。


「コイツの銃を受け取りに来たんだけど、ついでに試し撃ちもしていいか?」


「あぁ、構わないぜ。滅多に人も来ねぇし、使わねぇと勿体ねぇ。・・・あった、あった嬢ちゃんの銃はコレだな」


壁島のおっさんが取り出したのはベレッタM92F。イタリアのベレッタ社が開発した自動拳銃であり世界中の法執行機関や軍隊で幅広く使用されている定番の銃だ。


そんな銃をおっさんが、ほらっと持ち手側を向け手渡ししてくる。そのベレッタを慎重に両手で受け取る成瀬。受け取ってから少し経って目を輝かせ、毎分毎秒見てるこっちが嫌になるくらい明るい表情がさらに明るくなる。どうやら銃が気に入ったらしい。


「ほら、こっちだ成瀬」


そんな喜色満面の成瀬を連れて、おっさんがいるカウンターの横を通り奥にある射撃場に向かった。





射撃場は一人用のスペースが六つに区切られており、それぞれに番号が振られていて、その後ろには共同のベンチが置かれている。


前方二十五メートルほどの奥行があり、円形の的が十五メートルのところで上から吊るされていて横に等間隔に並んでいる。


俺たちは適当に左側から二番目の2と数字が書かれたスペースを使うことにした。成瀬は銃の確認をし始め、その間に俺は共同ベンチに腰を落とす。もちろん周りには誰一人いない。




「自分の射撃の腕に自信があるなら見せてみろ。射撃訓練で一番だったんだろ」


成瀬にわざとプレシャーをかける。今までの仕返しだ。


「その嫌味、倍にして返しますからね!」


そう言い返す後輩の華奢な背中を見守る。本当にあいつが射撃訓練所で一番だったのかこの目で確かめてやる。そう、俺は成瀬を疑っている。今まで接してきて、あいつのどこにも凄みを感じなかったからだ。大抵、何かあるやつには凄みというものがある。俺はこれまでの経験でそれを見極める見識が備わっている。


そう、思っていた。


スライドを引いた際に出る金属音が射撃場全体に響き、場の空気を変える。成瀬の動きはまさに武道家の所作のように悠然でいて無駄がなく、しなやかで美しかった。流水のような動きで的に照準を合わせ、トリガーを引く。ベレッタの弾数は15発。その15発が刹那の間に的に当たる。いや、それはもはや当たっているのではなく、的に弾が吸い込まれているように見えた。


それもその筈だ。なぜなら弾は的の中心、ど真ん中にしか穴を開けなかったからだ。


俺のさっきまでの自信は銃声とともに彼方に消えていた。


「どーですか!これが私の実力です!ちゃんと見てましたか?」


成瀬がこちらを振り向き笑いながら得意顔を見せて言ってくる。ついさっきまでなら癇に障っていただろうが、俺は驚愕する顔を隠すのに躍起となっていた。その様子を見てニヤニヤしながら俺に近づいてくる成瀬。


「先輩どうしたんですかぁ?なんで顔背けるんです〜?もう遅いですよ。先輩の驚いた顔、視ちゃいましたから」


しまった。こいつは未来が視えるんだった。


「あぁ、お前が凄いのは分かったよ。でもそんな細い腕だと反動で銃口がぶれてあんなことにはならないだろ」


成瀬の追及に開き直って、真ん中だけ穿られた的を指さして言う。どんなに優れた腕を持っていたってあんな芸当は普通出来ない。こいつに普通じゃないことなんて山のようにあるが、それは置いといて俺が思うに未来視という能力に秘密があるんだろう。


「能力ですよ。言ったじゃないですか五秒先の未来が視えるって。その逆の応用で的を外した未来が視えたときに狙いを修正して、的の真ん中に当たる未来が視えてから引き金を引けばあんなことになるんです。つまり、真ん中に当たる未来が視えるまで何回も修正しながら撃ってるんですよ」


俺はまたもや驚く。俺はこいつの能力を戦闘向きではないと思った。だがそれは間違いで銃という武器と合わさることでその能力はとんでもない効力を発揮する。またしても俺の勘は外れたのだ。すなわち成瀬は強力なアラヤであると認識を改めなければならない。そこで俺は気になったことを成瀬に聞く。


「だが、あんな一瞬でそんな修正を十五発分もできるものなのか?」


「できますよー。でも初めの頃は時間がかかりましたよ。訓練所で修正のコツを何発も撃って感覚を覚えていくと、だんだん修正する時間も短くなって早く撃てるようになりました。まぁ慣れです。でも今のはかなり無理して撃ってるんで、手が痺れてますけど」


どうやら俺の言葉に相当ムキになって撃っていたらしい。やはりあの今にも折れそうな細腕による芸当はいつでもできるという訳ではないのだろう。それでも無理をすればできるというのだから末恐ろしい。


「次は先輩の番ですよ!あれだけ言うんですから銃の腕前見せてくださいよ」


後輩がせがんでくる。成瀬の言っていることは筋が通っているのだろう。それもそうだ。俺から銃の腕を見せてみろと言ったのだから、俺も見せなければ公平じゃない。だが・・・俺は、


「すまんが俺は銃を使えない」


俺は自分が言っている言葉がどれだけ成瀬を不快にさせるか分かっているからこそ目をそらしてしまう。そんな俺を見て成瀬はやはり眉間に皺をやや寄せて嫌悪感を顔で示す。一瞬の間が空いて、後輩が口を開く。


「それってどういうことなんですか?先輩のことはまだ全部分かりきってないですけど、少なくともきっちりケジメをつける人だと思っています。だから何か訳があるんですか?」


成瀬の目はこちらを太陽の光のように真っ直ぐ見据える。その眩しさに俺は逆らえなかった。


「俺は銃を使おうとすると、吐いてしまうんだ。その理由は自分でもよく分からない。医者が言うには銃を使った時に強烈なトラウマを抱えて、それにより嘔吐をしてしまうんだろうだとさ」


そう、後輩に銃の腕を見せたくないではなく、見せれないのだ。俺の事情に成瀬はどう思うのだろうか。そう考えていると成瀬が、


「なるほど、先輩の事情は分かりました。嘘とも思えませんし、本当のことなんでしょう」


意外にもすんなりと聞き入れてくれた。お互いのことを見誤っていたのは俺の方らしい。


「なら、どうやって今まで暴徒化したアラヤを対処してたんですか?もしかしてものすごく強力な能力を持ってるとか?そういえば先輩の能力、聞いてませんでしたよね?」


ものすごい勢いの質問で捲したててくる後輩。さながら牛のようで、さっきの見誤りはさほど間違いではなかったようだ。


「そんなに焦るなよ!順序だてて答えていくから」


一呼吸を置いて、


「俺の能力はアラヤではよくいる身体強化系の能力で一定時間、身体能力を二倍、三倍と強化ができる。二倍のときは十分、三倍のときは五分と強化の増幅に応じて時間も短くなっていく。まぁ、よくいるといっても俺の場合かなり特殊なケースで能動系の身体強化ってだけで珍しいのに倍々で向上していくんだから尚のこと珍しい能力らしい」


「ふーん、聞いてる限り、なんか地味ですね」


こいつ絶対俺のこと舐めてるだろ。


「そうなると装備はどんなの使ってるんですか?その能力だと結局、武器だよりですよね?それとも拳法とか?あちゃーみたいな」


蛇の形にした腕を振り回す成瀬。本当に脈絡がない。それはもう分かっていることなので渋々質問に答える。


「はぁ、刀だよ。それなら自分の力加減で殺すも、生かすもできるしな」


喉が渇いたのでベンチの後ろの隅にある自販機に足を運びながら話す。平成三十年度の百円硬貨を投入口に入れていく。その硬貨並の目の輝きを発しながら後輩が相変わらず怒涛の質問をしてくる。


「え!?日本刀ですか?かっこいいですね!どこにあるんですか?刀は侍の命って言いますし、肌身離さず持ってるんですよね?」


「持ってねぇよ。日本には銃刀法違反ってのがあるだろうが。それに人の目があるのに持ち歩けるか。街がパッニック状態になるだろ。普段はオフィスに丁寧に保管してあるよ。」


「ちぇーつまんない。先輩の刀見たかったのにな〜」


本気で残念がる成瀬。お前は子供かと缶コーヒーを飲みながら思う。そんな子供に向かって、


「まぁ、近いうちに見れるさ」


俺はそう返した。





アンダーグラウンドを後にした俺たちはオフィスに戻り、焼死事件の資料をまとめて今日の業務を終わらせた。ふと外を見ると空はとっくに暗くなっている。


「お先に失礼しまーす」


そう言いながら鞄に書類を詰め込んでいる成瀬。そんな成瀬にお疲れ様〜、と桔祢さんが返す。一応俺も、あぁ、とだけ手を上げて返した。小さい背中を向けながら帰っていく後輩を見つめると脳裏に浮かぶアンダーグラウンドで銃を撃っている小さい背中と重なった。それと同時に、その背中の向こう側の的、ダーツで言うところのブルに空いた十五個の弾が通った穴がストロボを焚かれたかのような残像を残した記憶のことも思い出された。


「どう?成瀬ちゃんは、役に立ちそう?」


その桔祢さんの言葉でドアから目線を外し、実直に返す。


「えぇ、お転婆で我儘なのが気に掛かりますが実力は申し分ありません。・・・・ですが経験を積んでないのでまだまだという感じですかね」


「まぁ、そこはおいおいね。でも凄かったでしょ?能力のおかげというのもあるけど、射撃の調整は彼女自身のれっきとした才能と努力の賜物だからね」


「そうですね。あんな細い腕で銃を思い通りコントロールするなんてのは普通は出来ませんよ」


「だよね!私の見識も捨てたもんじゃないなー」


ニコニコして机に突っ伏す35歳とは思えない桔祢さん。桔祢さんの見識力は俺のなんかより何倍も優れているのだろう。少なくとも俺は成瀬のことを甘く見ていたのだから。


「あー!!!ヤバイ、忘れてた!!」


いきなり桔祢さんが大声を出して慌てだす。一体どうしたんです、と聞くと成瀬に渡す書類を渡し忘れたとの事だった。そして、


「ごめんけど、成瀬ちゃんの家まで送り届けてくれる?住所を教えるからさ」


「まぁ、いいですけど・・・」


こうして急遽、帰り際に成瀬のアパートまで書類を送り届けることになった。





成瀬のアパートは郊外にあり、築十五年の二階建てというなんとも新人らしい質素な住居だ。そう遠くはなく、歩いていける距離だったため俺は歩いて成瀬のアパートに向かっている。


時刻は午後九時三十四分。電柱についてる防犯灯が消えかかっているのかジリジリと暗闇の中で点滅している。夏ということもあり夜なのに暑く、汗が嫌でも出てくるので俺はジャケットを脱いで左腕にかけワイシャツの袖を捲っている。もちろん右手には成瀬に渡す書類を持っている。


午後九時四十三分、アパートに着いた。築十五年の割にはやけに古ぼけていて手入れがあまりされていない。ここの大家はさぞ杜撰なのだろうと思った。それよりも肝心の成瀬の部屋は二階の一番奥にある。そのためキシキシ鳴る古びた赤錆だらけの階段を上がって成瀬の部屋の扉前に立つ。一呼吸置いてからインターホンを押した。中からはガサゴソと物音がしドタドタと玄関の方、つまりこちらの方に気配が近づいてくる。ドアノブに手がかかる音が聞こえたかと思うとドアが開いた。


ーーーーーーー俺は驚いた。


そこにはウルフカットの銀髪、顔半分に火傷があり、昼間ずっと一緒に行動を共にした紛うことなき後輩が出てくるはずだった。いや、出てきたことは出てきたのだが昼間とあまりにも様子が違ったので認識の齟齬が生じたのだ。あの天真爛漫、明朗快活さが目の前にいる成瀬には全くもってなかった。


「センパイ?どーしたんすか?」


その一言で我に返り冷静になる。目の前にいるのは成瀬であることは間違いない。だが、中身が違う。少なくとも俺の知っている成瀬ではないという事だけが分かった。それでも俺は訊かなければならない事がある。


「ーーーーーお前、成瀬か?」


その場の空気は洞窟のように冷たく静かに感じた。心臓の音、唾を飲み込む音、遠くの方で鳴るパトカーのサイレン、それらが背中に流れる汗と交わる。先程までの暑さは今では針のように鋭い寒さになっていた。


目の前の黒のタンクトップを着た成瀬らしき人物が笑って答える。


「何言ってんすか、センパイ。正真正銘、成瀬舞っすよ。でも、まぁセンパイがそんなふうに思うのも仕方ないかもっすけどね。桔祢さんオレの事言ってなかったのかな・・・・」


後半ブツブツ言いながら成瀬はいつまでも信じない俺に向かって部屋に入ってください、事情を話します、と言って中に案内する。俺は先輩として成瀬のことを知ろうと黙って後に続いた。


その部屋はいわゆる女の子部屋でとても二十歳の部屋とは思えなかった。ピンクのベッド、白い絨毯の上に置かれた丸い机、部屋中に溢れる動物のぬいぐるみ、今まで生きてきて見たことない空間がそこにはあった。呆気に取られている俺にこの部屋の住人には見えない雰囲気を漂わせている黒いタンクトップの成瀬が座ってください、と促してきたので白い絨毯の上にあぐらを組んで座る。


「いま、お茶を出します」


と成瀬。


断ろうと思ったがここまで歩いてきて汗をかき喉も渇いていたので素直に貰うことにした。


成瀬から貰った麦茶を飲んで一呼吸置く。今、目の前で丸い机越しに向かい合う後輩を改めてまじまじと見る。昼間の成瀬と何かが違うと暫しの間考えた結果、この違和感の正体が分かった。


今の成瀬は、男に見えるんだ。


あの口調にしても所作にしても昼の成瀬とはまるで違う。だから今の成瀬はこの部屋と乖離していて、それによって違和感が起こっているのだろう。また対比になっているのでどちらもがそれぞれ作用しあって印象がより強くなっている。言うなればコラージュ作品みたいなものだ。


そんなふうに熟考している俺に耐えかねて成瀬が、


「・・・・オレ、昼の時と全然違いますよね?」


俺は何も言わず黙って成瀬の話に耳を傾ける。


「・・・・所謂、二重人格ってやつです」


「やっぱりか、実は薄々そう思ってた」


「驚かないんすね」


「・・・まぁ、いつも似たようなの見てるしな」


俺は桔祢さんの顔を頭に浮かべた。そして数秒の沈黙。数秒といってもこの部屋全体の時間の流れは普通の何倍も遅く感じる。多分成瀬も同じだろう。


「・・・・センパイって優しいっすよね」


余りにもいきなりの言葉だったので反応が一瞬遅れる。そんな俺の何がだ、と言いたげな顔を見て察した成瀬が次の言葉を言った。


「だって、何も聞いてこないじゃないですか、オレの事について。・・・この、火傷の事も・・・・」


肌の色が変わった顔の右半分をさすりながら俺を見据えて呟く成瀬。その瞳は炎のようにメラメラとなぜか輝いて見えた。


「んー・・・・・・まぁ、な」


俺は口を濁す。成瀬は俺の事を優しいと言ったが、そんなのは優しさなんかじゃない。逃げだ。見て見ぬふりをしているだけだ。俺はいつもそうだ。他人のプライバシーに入ることを怖がって、表面上だけで付き合っているだけに過ぎない。誰に対しても同じ対応をするだけの自動人形みたいなものだ。


黙り込んでしまう俺に対して、何かを言おうとしている成瀬は少しして言う決意が出来たのか口を開く。


「オレ、両親を亡くして孤児院に預けられたんです。・・・・昼間は孤児院のみんなと遊べたから良かったんですけど、夜はずっと一人寂しくて。だから男の子を想像して夜の寂しさを紛らわしていたんです。毎晩その男の子と遊ぶ想像をしていたら、いつの間にか昼と夜とで今みたいに人格が変わるようになったんです」


俺は何も言わない。成瀬は勇気を持って自分の過去を話しているのに、俺は何も言えなかった。そこで成瀬が空気を読んで俺が返せるように話題を変える。


「・・・・・センパイは五芒の祖って知ってますか?」


「・・・・あぁ、知ってるよ。初めに発見された五人のアラヤのことだろ」


「はい。それぞれがとても強力な能力を持ってて、危険指定されている人達っす」


五芒の祖。アラヤは人間の域を超えた存在だが、この五芒の祖と呼ばれる五人はもはや化け物といってもいいだろう。十年前、何もない大地に突如として百メートル越えの氷塊が発生し、その後に周囲一キロメートルが氷漬けになるという騒動があった。それが五芒の祖の中の一人によるものと言われているらしい。言葉があやふやになるのは国の機密事項で、それぞれがどのような名前でどんな能力を持っているのか極一部の人間しか知らされていないためであり、俺もせいぜい二人しか名前を知らない。そんな事をこの後輩はなぜ聞いてきたのか、俺は訊いた。


「それがどうしたんだ?」


重苦しい確固たる表情で言葉を返してくる成瀬。


「・・・その内の一人、火守暁。オレの両親を殺して、オレから何もかも奪った張本人です。・・・この火傷もその時に負ったものです」


顔の火傷に細い指で触れながら淡々と語る。いや、淡々ではない、それは抑制だった。感情を押えた成瀬の目は今にも燃えそうなぐらい憎悪に満ちていた。


「・・・・オレはアイツを殺すため、エネルゲイアに入りました」


「復讐なんてやめておけ。そんなことをしてもお前の両親は喜んだりしないだろ」


「センパイ、クサイっす。そんな理由じゃないすよ。そうしないと自分の中で踏ん切りがつかないだけっす。この火傷とも・・・・・」


俺も成瀬も沈黙する。これじゃまるで通夜だ。周りのぬいぐるみや淡紅色の部屋に反して俺たちはブルーにこんがらがっている。すると青い空気にピロロロと稲妻が走った。それは俺のポケットの中にあるスマホの着信音と振動だった。俺はこの場から逃れるように成瀬にすまん、と言い玄関の方でスマホを取り出す。電話は桔祢さんからだった。


「もしもし乾です」


「私だ。焼死体事件、八人目の被害者が出た。被害者の名は赤坂成行、五十三歳。至急現場に来るように。場所は・・・・・・」


桔祢さんの声は無機質で氷のように冷たい。その声から聞かされる情報が俺には信じられなかった。赤坂警部が八人目の被害者。その事が頭の中でリフレインしエコーがかかって繰り返される。俺は考えるよりも慌てて荷物をまとめ、成瀬の部屋を出た。


「ちょっ、センパイ!!」


後ろで成瀬の声が聞こえるが構っていられなかった。





赤坂成行は十年前、俺が災害とも呼べるある事件で両親を亡くした時にお世話になった人物の一人だ。あの時は俺も十七という歳だったので右も左も分からず困っていた。そんな時に俺を桔祢さんに紹介してくれたり、飯を食わせてもらったり、本当に至れり尽くせりの恩人で、あの時の少年にはとてもありがたい存在だった。


最近は会う機会もなく半ば疎遠状態にあったが取り扱う事件が似たようなものばかりで名前をよく耳にしていて、名前を聞く度に無精髭を携えて目尻に皺を寄せている笑顔が浮かんだ。


だが、良いところもあれば悪いところもあるのが人間というもので、赤坂のおっさんは時折、周りが見えなくなる。所謂、意識してしまうとそれしか見えなくなってしまうのだ。それに頑固なところもあり、なかなか折れないというところもその事に拍車をかけていた。


それを俺は悪いとは思っておらず素晴らしいことだと思っている。だが、それは失敗しなければの話だ。おっさんはその癖が出ると大抵失敗してしまうのだ。


ーーーーーもしかしたらその悪癖がこの期に及んで出てしまったのかもしれない。


俺は走る。それは周りから見れば異様な光景だろうと思う。なぜなら、俺の体は疾風のごとき残像を残して移動していたからだ。それは能力によるもので無意識に発動をしていた。それほどに俺は焦っていたのかもしれない。


(嘘だと言ってくれおっさん・・・・っ!!)






夏の夜の夢であって欲しいと強く思った。


その光景は葬式のようだった。午前零時を過ぎ、暗闇の廃墟の中、ある新人は泣き崩れ、ある中年の刑事は肩を落とし、誰もが参列者のように悲嘆にくれていた。そんな中、俺は不思議と冷静だった。自分でも驚くほど落ち着いて周りを見渡す。するとその中に見知った顔を見つけ近寄る。俺をこの場に呼んだ桔祢さんだ。桔祢さんからはいつもの笑みがなく、何を考えているか分からない。その表情はマネキンのような真顔に見えれば、仏が半眼の眼差しを張られたブルーシートへ向けているようにも見える。


「来たか、一。残念だが赤阪警部は殉職されたよ」


桔祢さんは殉職と言った。つまりおっさんは職務中に命を落としたということになる。俺の危惧した通り、例の悪癖が出てしまったのだろう。ブールシートの向こう側におっさんの死体があるというのに体は言うことをきかない。脳からの伝達を拒む。呼吸も乱れて吐き気もする。赤坂のおっさんの顔が、思い出が、頭の中いっぱいに侵食していく。そして膝から崩れ落ちて俺は涙を流した。


哀咽しながら目から落涙する。地面に染み込んでいく雫を誰にも見られないように、体を丸めて覆い被さりながら。目から出てくる玻璃のような雫は永遠に止まらないように感じた。


「赤坂警部は最後の最後に大仕事を成したぞ」


そう言って桔祢さんは滅多に吸わない安い煙草を咥えマッチで火をつける。そして顔を埋めている俺に対して言葉を続ける。


「警部はね、犯人の手掛かりとなる証拠を死の間際に残したんだ。・・・警察の意地ってものを見せてもらったよ」


紫煙を漂わせながら桔祢さんが今どんな表情をしているかは分からない。おっさんとは俺なんかよりも長い付き合いだったはずだ。そんな桔祢さんが真っ直ぐおっさんの死と向き合っているのに俺は何、俯いてるんだ。そう思うと自然と俺は泣くのをやめ、立ち上がって桔祢さんの話を待つ。そんな俺を見つめて桔祢さんは、


「警部の遺体とは別の血痕がそばにあってな。それもかなりの量だ。致死量とまではいかないがね。

それが何によるものか調べていると警部の手に二発撃った跡がある拳銃が握られていた。つまり、犯人は警部に少なくとも撃たれたということだ。

実際、銃の音で第一発見者が遺体を見つけてるわけだしな」


桔祢さんは煙草の火を消し、吸殻をケースの中に入れながら淡々と言う。赤坂のおっさんに対して揺れる感情がないように思えるが、桔祢さんは犯人を一刻も早く捕らえる事がおっさんへの手向けだと理解してるのだ。どんなに自分が悲しくとも表情を崩すことなくおっさんが残した犯人への手がかりを無駄にしないために。


俺は何も言えなかった。おっさんへの想いが断ち切れないからではなく、桔祢さんのその意思に畏敬の念を抱いたためだ。この人には全然勝てないなと改めて思った。


一時間ほど捜査をして、赤坂のおっさんの携帯がなくなっているということ以外なにもなく、渋々引き上げる準備をする桔祢さん。


「私はもう引き上げるが、一、お前はどうする?」


「・・・・残ります。まだお別れを言ってないので・・・」


「そうか・・・ほどほどにしとけよ。明日から忙しくなる」


そう言い、背中を向け歩いていく桔祢さん。


俺はブルーシートがかかっている場所に体を向け、手を合わせながら黙祷する。


(今まで、ありがとうございました。・・・・必ず犯人は俺の手で捕まえるからな、おっさんーーーーーー)






/2


オフィスは殺伐としていた。昨夜あった焼死体事件によるものである事は誰も何も言わないがなんとなく分かる。先輩なんか目にくまができてるし、桔祢さんも昨日みたいな丸みが全くなくて怖い。


正直言って私はこの空気は苦手だ。


「おい、成瀬」


「は、はいっ!!」


驚いて先輩の方を見る。


「襟が立ってる」


「あ、す、すみません・・・・」


変に緊張して声が上ずってしまう。先輩は別に怒ってる訳じゃないという顔をしながら書類を整理しだす。桔祢さんの方を見ても頭を抱えてパソコンと向き合って嘆息している。かくいう私は雑務をこなして場に溶け込もうと必死だ。


そんな陰鬱な雰囲気の中、ピロロロロと携帯の着信音がなった。音の発生源はどうやら先輩のものらしい。携帯を見て相手を確認した先輩がオフィスから出ていくのを眺めながら時計を見ると時刻はもう十六時だった。昨日が特別なだけで案外、暇なんだなと思いながらとっくに先輩が出ていった扉をじっと見ていると先輩が怖い顔になって戻ってくる五秒先の未来が視えた。


五秒後、視た未来と全く同じ顔で先輩がオフィスに入ってくる。目つきが獲物を狩る肉食獣のように鋭く、話しかけようものなら噛み殺されそうな雰囲気だ。そんな猛獣とかした先輩に桔祢さんが悠然に話しかけた。


「どうした、一?お前、今とんでもない顔してるよ。まるで親の仇にでもあったような・・・」


「いえ、何もありません。俺はいたって普通ですよ」


先輩はそう言うが絶対に先の電話で何かあったに違いない。桔祢さんも私と同じことを思っているだろうにそれ以上は何も訊かなかった。


時間が過ぎて、仕事が片付く頃には午後十九時になっていた。外は夏ということもあり、まだ明るかったが、相変わらず先輩の顔は暗いままだ。しかもなぜかソワソワしていて、まるで餌を前に尻尾を振っている犬みたい。


「桔祢さん、今日は大事な用があるので先にあがります」


先輩がそう言うと桔祢さんは、ん、了解、とだけ返し先輩はあっという間に机にある書類、パソコンを片付けて疾風の如くオフィスから出ていった。


呆気にとられている私に桔祢さんが静かに話しかけてきた。


「成瀬ちゃん、悪いけど一の後をつけてくれる?あれは私の勘だと件のアラヤに会いに行くんじゃないかな」


「え?分かるんですか?」


「ほら、赤阪警部の携帯がなくなってたでしょ。その携帯を犯人が持ていて、一の番号にかけてきたと思ってね」


「でも、なぜ先輩にかけたんでしょうか?接点はないと思うんですけど」


「それは至って単純な話で向こうさんは一と殺し合いたいんだろうさ。一って、アラヤ業界じゃまぁまぁ有名だし、私もだけど」


「なんで殺し合うんですか?」


「それも単純で、奴は殺しが趣味なんだよ。今までの被害者たちを調べれば分かる。それぞれが全く関係のない人達だったからね。動悸がないんだ。そんなの好き好んで殺しをやってるとしか思えないでしょ?いわゆる快楽殺人者ってこと。

この手の輩はアラヤでは多くて珍しいことじゃない。自分の力に溺れているのさ。

・・・それよりも、一の動向を探ってくれるかな?」


「も、もちろんです。私もさっきの先輩は気になりますし・・・」


「そうだよね、ありがとう。一のこと頼んだよ」


「はい!」


私は桔祢さんに帰りの挨拶をしオフィスを出る。


オフィスの隣の部屋は、エネルゲイア専用の銃置場になっており、暗唱番号を入力し登録された指紋を認証する事で入れる。そこで昨日受け取ったベレッタをスーツ下のホルダーに入れ、私は先輩の後を追った。復讐はよせと言った先輩の役に立ちたいというその一心で・・・・。





奴からの電話は正直言って僥倖だった。


今ある情報では奴のいる場所を探し当てらなかったからだ。あらゆる証拠を全て燃やしてしまう火の能力があまりにも厄介で頭を抱えたがその悩みも今となっては灰となって消え失せている。


なんなら感謝の気持ちが湧いてきいる。今からおっさんの弔い合戦ができるというのだから、これ以上の胸の高鳴りはないだろう。今の俺にはそのことしか見えていない。


先程の電話の相手は声を聞く限り男だった。携帯から聞こえる少し枯れたその声ははっきりと自分の名を告げた。


ーーーーー火守暁、と。


五芒の祖の一角にして、大勢の人間の命を奪い、成瀬の両親の敵その相手の名を俺は聞いた。


そして次に男は落ち合う場所を指定してきた。その場所は湾岸にある廃倉庫だった。


相手からの指定ということは大方罠が仕掛けられているだろうと予想はつくが、俺はその指定場所にて奴と相まみえようと、奴を仕留めようと決めた。


たとえ、この命が絶えようともーーーーーー。





午後二十時三十一分と時計が時間を刻む。周りは暗闇に包まれ光源と言えば月明かりぐらいなものでとても不気味だった。倉庫が並び潮の匂いがし、街の光が小さく見える、そんな闇夜に唯一鳴り響く自分の足音を聴きながら俺は目的の場所に辿り着いた。


そこには錆びくれて今にも崩てきそうな柱や梁。瓦礫が散乱している灰色の地面。屋根についている窓だったものから月の明かりが降り注ぎ、倉庫内の埃を照らして無数の星を生み出していた。


ーーーーーそんな中に男はいた。


柱の基盤に座り込んでいる男は面を被っていて顔は分からないが、あいつは間違いなく焼死体事件の犯人であることが分かった。なぜなら男の着ている白いパーカーには大量の血が滲んで黒ずんでいたためだ。おっさんに撃たれたものということは一目瞭然だった。すると男はこちらの方に歩いてきた。その際に月の光に照らされた面は木製でひょとこを型どったものということが確認でき、何とも形容しがたい不快さを醸し出していた。


「お前が火守暁か?」


俺は少しでも気を強く持てるように先に声を出す。それもそうだ。相手はあの五芒の祖なのだ。少しでも気を抜けばこちらが狩られる。


「やぁ、初めまして乾一さん。お待ちしておりました」


火守は俺と真正面で向かい合う。


「僕はあなたになんの恨みもありませんが、あなたは違いますよね?」


「・・・・・・・」


「こわいなぁ、そんなに睨まないでくださいよ。でも、本気を出してもらえるのはありがたいです。自分の能力を正確に測れますから」


「・・・・御託はそれだけか、殺人鬼。お前のしてきたことは地獄の閻魔様もお手上げの大罪だ。」


「はぁ、残念です。まだ冗談を言えるくらいの冷静さがあるんですね。

・・・それともただ非情なだけですか?」


「ふん、お前なんかには俺の気持ちを理解できるわけないだろ」


「そんなはずはないんですけどね。僕はこう見えても人の心を読むのは得意なんですが・・・・」


火守の言葉を最後に場は静まり返る。







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