第19話 狂気の問題児②(栗沢 彩子視点)

「ふわぁ~あぁ...」


 土曜日の朝5時半、私は眠い目を擦りながら、鍛錬場の入り口に来ていた。


「こんな時間から相澤君は一体何を...と言うかそもそも本当にこんな時間からトレーニングなんてしてるの?」


 もし本当なら授業中に寝てしまうのも納得ね...いや寝ていいってわけでは無いのだけれど...


 と思っていると


 タッタッタッ・・・


 と遠くの方から軽やかな足音が聞こえてきた。


 足音のする方を見ると、小柄(と言っても私よりは大きいけれど)な人影が、こちらに向かって走ってきているのが見えた。


 相澤君だ


 後ろでまとめた真っ白な長髪が、走るテンポに合わせて左右に揺れている。


 入学時には短い黒髪だったのに...今はまるで別人のような見た目になっていた。


 前からおかしいと思っていたけれど、ストレスでこんなになるものなの!?


 と、ますます疑問に思ったけれど、まずは相澤君に声をかける。


「おはよう、相澤君。こんな時間からトレーニング?」


「あぁ、栗沢先生、おはようございます。先生もお早いですね。では」


 そう言って、相澤君はすぐに鍛錬場に向かって走りだそうとした。


「ちょっと待って!?」


 それを、手首を掴んで引き留める。


「相澤君、入学してから一度もダンジョンに入らず、鍛錬場に籠もっているらしいわね。」


「......」


 相澤君は何も言わない。


「確かに、ダンジョン攻略に備えて訓練をしておくのは悪いことではないわ。けど、流石にやりすぎよ。もう入学して4か月よ?一度位はダンジョンに入ってもいいんじゃない?」


「......」


 相澤君は何も言わない。


「それともなにか、行きたくない理由でもあるの?」


 私は問いかける。

 ダンジョンに行きたがらない生徒と言うのは、居る。

 ダンジョンでモンスターに襲われ、それがトラウマになってダンジョン攻略を拒否する生徒は少なくない。


 私もかつてはそうだった。学生時代、モンスターに殺され掛け、そのせいでダンジョンに入ろうとすると脚が震え、吐き気を覚える時期があった。


 その時、担任の先生が親身にサポートをしてくれたおかげで、私はまたダンジョンに潜れるようになった。


 私も、ダンジョンに行けなくなった生徒に寄り添い、背中を押してあげたい。

 そう思って、私は教師を志した。


 確かにモンスターを恐れる人はいる。

 けれどそれは、一度ダンジョンに入ったからこそ生まれる恐れだ。


 相澤君はそうではない、まだ本物のモンスターを見てもいないのに、ダンジョンに行きたがらない。


 それには何か理由があるはずだ。

 モンスターへの恐れでは無い、彼自身が抱える悩みが。


「......」


 相澤君は何も言わない。

 私は相澤君の手を両手で包み、懸命に訴える。


「もしそうなら、私に教えて。必ず力になるから!私だけじゃない、あなたの担任の大垣先生も協力してくれるわ!だから、一人で悩まないで!」


 私は知りたかった。

 彼が抱えているものを。

 探索者を志しているはずなのに、それを阻んでいる何かを。


 知って、導いてあげなければならないと思った。

 それが教師としての役目だと、私は思うから。


 私の話を黙って聞いていた相澤君は、ようやく口を開いた。


「ダンジョン...?よく...分かりませんが...極めなければ...ならないので。」


 彼の言っていることが、よく分からなかった。

 極めるって何を?

 しかもダンジョンが何か分かっていない?

 いくらダンジョンに行ってないからって、ダンジョンそのものを忘れることなんてあるの?


 相澤君はこちらをじっと見ている。

 その目はどこまでも無機質で、人とは別の生き物のようだった。


 その目を見てしまった私は、恐怖で固まってしまう。


「すみません...鍛錬を...しなければならないので...」


 そう言って、私の手を丁寧に解き。彼はゆらゆらと歩いてと鍛錬場へと向かっていった。


「ちょっと待ちなさい!!」


 恐れを振り払い、両腕を広げて相澤君の前を塞ぐ。


 少し時間はかかったけど、彼の現状は理解できた。


 彼は今、鍛錬のことしか頭に無い。

 探索者を目指していたのに、ダンジョンが何かすら忘れてしまう程に。

 過剰な鍛錬を続けるあまり、精神に異常を来してしまったんだ。

 彼の心は今、壊れかけている。


「鍛錬がしたいのは分かった、けどまずは休みなさい。あなた、自分が今どうなっているか分かる?髪も真っ白になって、記憶もなくなってるのよ?明らかにやりすぎよ。これ以上続けたら本当に心が壊れてしまうわ!」


 私は必死に諭した、けれど...


「...?別に...俺は元気...ですよ?」


 相澤君は訳が分からない、とでも言いたげに首を傾げた。


 そして両腕を私の方に突き出してきた。


「な...何!?」


 押し飛ばされるかもしれないと思って身構えていると、

 彼はそっと私の両脇に手を差し込み、軽々と持ち上げてしまった。


「ちょっと、離しなさい!!」


 突如訪れた浮遊感とこそばゆさに驚きつつもがいていると、彼はすぐ横に私をに下ろし


「すみません...鍛錬を...しなければならないので...」


 さっきと全く同じトーンで言って鍛錬場の中に走り去ってしまった...。


「ち、ちょっと待ちなさい!!」


 私も彼を追って、鍛錬場へと走った。




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 もう一話だけ栗沢先生回続きます。


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