第4話

静かな話し声といい香りで目を覚ます。

おでこの上には,濡れた布巾が置かれている。

身を起こし,奥のソファの上に寝かされていたことが分かった。

ゆっくりと立ち上がる。

少しふらつくが,声の方にゆっくりと歩く。


ドアを開け,カウンターに座っている2人を見つける。

瑠璃さんは難しい顔をしながらコーヒーを飲んでいる。

少しむすっとした顔をしながら,男の子,いや,ホームズさんは紅茶を飲んでいる。


「瑠璃さん」


私は声を掛ける。


「あら,愛梨。もう具合はよくなったの?」


慌てたように,私の方に近づいてくる。

ホームズさんも,目線を私に向けた。


「顔色は…まぁ,さっきよりはマシになっているわね」


私の顔にそっと手を当て,顔色を確認し,ホッと安心したようにため息を吐いた。

私は何も言えず,ただ瑠璃さんを見つめる。


「愛梨,こっちにいらっしゃい。

…全部,説明するから」


私のカップに紅茶を淹れながら,私を席に座らせる。

静かに席に座る。

私の前に,そっとカップが置かれた。

さっき飲んだものと同じ,みかんのような紅茶の香りが鼻をくすぐる。

口に含むと,さっきまでバクバクとなっていた心臓が落ち着く。


「驚かせてしまってごめんなさい」


瑠璃さんは,私に体を向けて頭を下げた。

私は,何も返せない。


「説明,聞いてくれるかしら」


不安げな瞳を私に向けて,瑠璃さんは問いかけてくる。

私はコクリ頷く。

瑠璃さんは,ホッとしたように息を吐いた。


「さっきも言った通り,あたしは魔法使いなの。

ラピス・ラズワード これがあたしの本当の名前」


瑠璃さんは指をくるりと振って,クッキーを一つ宙に浮かせ,私の手のひらに落とした。

サクッとかじると,ほんのりと生姜の味がした。


「この店は,あたしの趣味でやってるお店

本を読むのが大好きだったから,本屋さんをひらきたかったの」


瑠璃さんもクッキーを1つ口に放り込んだ。

ホームズさんも,黙々とクッキーを食べている。

瑠璃さんは紅茶に口をつける。


「愛梨,1つ,信じられないかもしれないことを言うわ。

信じてくれなくたっていい,怖いのなら,聞かなくてもいいわ」


瑠璃さんは,私の目を見つめて,真剣に言った。

私も見つめ返す。

時計の秒針がぐるりと一周した。

私は口を開く。


「聞いてもいいですか?」


瑠璃さんはにっこり微笑んで,頷いた。


「もちろんよ」


瑠璃さんは,私のカップに紅茶を注ぐ。

そして,カウンターのそばに置いてある本棚を指さす。


「あの棚に扉のついている本棚,わかるわよね」

「もちろん,わかります。でも,それが,なにか?」


私は,本棚に目をやりながら頷く。

この1ヶ月,少しずつ読んでいる本たちが入っている棚だ。

わからないはずがない。


あのね,と小さな声で,瑠璃さんは呟いた。


「あのね,あの本棚の本たちはね,登場人物がいなくなってるの。

主人公だったり,脇役だったり,本によってまちまちだけど」


瑠璃さんはそんなおかしなことを言った。


「そんなこと,あるわけないじゃないですか。

現実的にありえないです」


私はハハハと乾いた笑いをあげながら,瑠璃さんに言った。

瑠璃さんは悲しげに微笑む。


「現実的にありえないと思うわよね。

でも,あたしは魔法使いよ。

現実的にありえないものが,愛梨名前にいるの。

信じる理由には,ならないかしら」


瑠璃さんは今まで見たことがないくらい悲しげな顔をしている。

私は頭がこんがらがった。

わからない,わからない。


でもと思った。


でも,瑠璃さんが私にこんな嘘をつくはずがない。

まだ私と瑠璃さんは,ほんの1か月の付き合いだけど,瑠璃さんがこんな嘘をつかない人だということをわかっている。

私は,瑠璃さんの話をちゃんと信じることに決めた。


「私,まだ,魔法使いとか,魔法とか,そういうのは頭がこんがらがって,よく分かんないです。

でも,瑠璃さんのことは信じているので,信じます」


私は,上手く動かない頭をどうにか動かして,拙く言葉を紡いだ。

瑠璃さんの瞳に,涙が溜まっていた。


「ありがとう,信じてくれて」


顔を手で覆って,小さな声で瑠璃さんはそう言った。

そして私をそっと抱きしめた。

私もぎこちなく,瑠璃さんの背中に手を回した。

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