エアレーヌとラピスラズリの導きを彼に

せをは

第1話

 外に出るのが嫌になるほど,太陽が輝いている。

 今日は夏休み初日。

 お昼の2時半と少し回った頃。

 クーラーの効いた店の中で,私は時計を見てから,大きく欠伸をした。


 こじんまりとした「古書店エイレーヌ」で私,阿斗倉 愛梨あどら あいりは1ヶ月前からバイトしている。

 家から近く,大好きな本に囲まれて,しかもお金までもらえる。

 そして,お客さんはほとんど来ることがない。

 というか,私は今まであったことがない。

 コミュ障で,本好きの私にとって最高のバイト先だ。


 あまり広くない店内の壁には一面の本棚。

 カウンターの内側から見て左側の棚には海外の本が,右側の棚には,日本の本が並んでいる。

 その両方の棚に,左右に開けるタイプの扉が付いている。

 カウンターから大体正面15m位の所にベルの付けられた入り口。

 私はカウンターに肘をついてその入り口をぼーっと眺める。

 古本の,少し独特な匂いが私の鼻をくすぐった。


「こぉら,なにぼーっとしてるのよ」


 後ろから,私の頭に軽く手を置かれた。

 振り返らずともわかる,この古書店の主人である瑠璃さんだ。

 一応振り返って見ても,やっぱり瑠璃さんだった。


「高校生のくせに疲れた顔してるわねぇ」


 私の顔を後ろから覗き込みながら,そんなことを言われる。

 私の目の下に,うす黒いくまができていた事を思い出す。

 昨日徹夜で,推理小説を読んでいたからである。


「どーせ,推理小説でも読んでたんでしょ?睡眠不足は美肌の大敵なのよ」


 瑠璃さんは,見透かしたようにそんなことを言いながら,カウンターの奥の部屋に消えていく。

 瑠璃さんのポニーテールが背中で揺れる。

 瑠璃 本名か不明 苗字不明 性別不明 年齢不詳

 不明だらけの人物


 バイトを始めて1ヶ月経ったが私が瑠璃さんについて知っていることは,ほとんどない。


 今日の瑠璃さんの格好は,真っ赤なシャツに,黒いロングのスカート。

 スラリと伸びた足を彩るように,白いハイヒールを履いている。

 長い縛った黒髪も,腰のあたりで揺れている。

 たしか,私の面接をした時は,緑色のしゃつな灰色のパンツ,そして銀縁の眼鏡だった。

 髪も,肩につかないくらいのショートヘアだったはず。

 なんだか少し厳しそうな見た目だなと思っていたけど,喋ったらすごく優しいなと思ったことを覚えている。

 昨日は,坊主だった。


「愛梨,紅茶とコーヒーどっちにする?」


 奥の部屋からぴょこりと顔を出して,瑠璃さんは私に問いかける。

 なんとなく今日は,紅茶の気分だ。


「紅茶がいいかもです」

「りょーかい,砂糖は5つぐらい?」

「いえ,なしで大丈夫です」


 瑠璃さんは,すごく甘党なので,全ての飲み物を甘くしなければならないと思っているらしい。

 コーヒーも,ほとんど原型をとどめていないような味にするまで飲むことはできないらしい。


 また私は,カウンターで肘をつき,入り口をボーッと見つめる。

 頭の中で,昨日の推理小説の内容が踊る。

 私の心は,霧深いロンドンに飛んでいく。


 霧深いロンドンの夜の街

 黒いコートを着た怪盗がひらりひらりと宙を舞う。

 鹿撃ち帽を被った男がそれを追いかける。

 私はそれを離れた場所から見つめている。

 手を伸ばしても届かない。

 だって彼らは,紙の世界の住人なのだから。

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