しおん

愚者

 

 母は花が好きで、この小さな花壇を大切にしてる。

 母と父が二人で建てた家の小さな庭にある花壇は、私が生まれる前に、母が父に我儘を言って作ってもらったもので、父お手製の赤いレンガで四角に囲っただけの簡単な物だ。

 母は元々花が好きだったらしいのだが、父と付き合っていた時、初めての誕生日プレゼントで小さな花束を貰ったのがすごくうれしくて、自分達で家を建てたら必ず花壇を造ろうと思っていた。と、その頃を思い出した幸せそうな微笑みを浮かべながら、母は私に話してくれていた。

 母その花壇で花をずっと育て続けた。

 サルビア、ベゴネア、カキツバタ、私はそれ位しか覚えてないが、本当に手間を惜しまず、色々と育てていた。


 秋晴れの少し強い日差しの中、母は花壇の前で膝を抱えしゃがんでいる。

 好きな花いじりをしてさぞ機嫌が良いのだろう。縁側に座る私に振り向いて見せた、麦わら帽子を被ったその笑顔はまるで、二十代の若い女の子の様に弾み、輝いて見えた。


 私は、自分が少しマザコンだと自覚している。

 そう恥ずかし気も無く言えるほどに、私にとって自慢の母だった。

 私が幼い頃、肩まである黒髪はサラサラで艶々と輝き、背はすらりと高く、いつも穏やかに笑っている。物知りで、絵本をよく読んでくれて、色んな話しを聞かせてくれた。特に花が好きな母は、家の小さな花壇の前で、花の育て方とその花言葉を話して聞かせてくれた。

 少し物静かで控えめな性格ではあったが、かえってその性格が良かったのか、近所の人達からの評判も良く。料理も上手だったから、遠足に時に作ってくれる、少し気合の入ったその華やかな弁当を囲んだクラスの連中が上げる羨望の声に、私は胸を張っていた。


 目の前で母の首がせかせかと左右に振れている。

 母の後ろに小さなショベルがある。どうやってそこに置いたのか聞きたくなるが、多分それを探しているのだろう、私は外履きのスリッパを引っ掛けると、縁側から立ち上がりそのショベルを拾い上げると、目の前で必死に花壇の中を覗き込む母にそれを差し出した。麦わら帽子の下で母さんは驚いた様な顔をすると、ショベルを差し出した私を見上げ、「ありがとうございます」と言うと、そのショベルを嬉しそうに受け取ると、又花壇の土いじりに夢中になる。



     ・


 麦わら帽子の下で笑うその笑顔は弾んでいる。

 仕方ない事なのだが、その顔は昔とは随分と違う。目尻にも口元にも、大きな皺が出来て、土いじりで汚れたその手の肌は荒れて、矢張り皺が多い。黒々としていた髪は相変わらず肩の迄伸ばしているが、今はその大半は黒ではなく白い色をして、その量も少し寂しくなっていた。

 私はその老いた母の姿に謝罪の気持ちと感謝の気持ち、そして、どうしても許せない気持ちを感じてしまう。


 父と呼ぶべき人は、私が中学校を卒業する前にいなくなった。


 父は工場勤めで、仕事を真面目する男だったが、私が未だ小学生だった頃一度浮気をして、少し騒ぎを起こしたことがあった。

 その日、夕暮れの赤い陽が暮れてしまう前に、母は庭先の花壇の前で小さく蹲る様に、膝を抱え土を掘り返していた。学校から帰った私は、いつもよりその小さく丸まった背中に声を掛けた、私の声に振り返った母はいつもの様に「お帰り」と言ってくれたが、その顔と声は溢れる悲しみを抑えきれては居なかった。

 父はその時は相手の女と別れると言い、母も父を許すと言い、母は父と別れる事は無かった。

 私は私の大切な母を裏切った、父が許せなかった。その所為で、私は、家では父を無視し、時に激しくぶつかる様になった。

 また僕たちは三人で暮らすようになったが、母と父は僕が中二の時に離婚する。

 部活が終わり家に帰ると暗くなった外の花壇の前で、あの時の様に小さく丸まった母の背中を見つけた。どうしたのと聞く私に母は目の前の花壇を見つめた儘、ポツリポツリ小さな声で話してくれた。

 父は結局相手の女性と別れてなかったのだ、その関係が又母と私にバレるまで、ずっと関係が続いて居たらしい。一度は別れ話しでケリがついたらしいのだが、その相手の女が妊娠していたことが後から解かったのだと言う。相手の女からその話しを聞いた父は別れることが結局、出来なかったのだ。

 父は母と私ではなく、違う女と新しい子供を選び、その日、母と私がいる家を出て行った。

 そうなる前から、母と父はずっと話し合っていたらしい。

 何とかやり直せなかったのかと父を繋ぎとめる事が出来なかったと、真っ暗な花壇の前で母は後悔を口にした。

 正直、私には母の気持ちは理解出来なかった。

 私にとって父はその時、憎しみの対象でしかなかった。今思えば、思春期特有の大人への反抗心も手伝ったのだろう、私は私の大切な母を裏切った父に対する怒りは憎しみに膨れていた。私は暗くなった庭先で花壇の前で小さくしゃがむ母に、父に対しての憎しみを罵詈雑言として止めることなく吐き出したのだ。

「そんなに言わないで、もう許してあげて」

 次から次に怨嗟の言葉を吐きだす私に母はそう言った。

 

 それから、私と母は二人で暮らす。

 私は、高校、大学と大過なくやり過ごした。無論、自分でも努力したのだが、大部分は母のお陰で私は無事卒業をすることが出来たのだ。

 せっかく大学を出たのだが田舎だったことも有り、私は地元で思う様な就職先を見つけられず、地元を離れた都会の方で就職することになった。

 後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、いつもの庭の花壇の前で母にその報告すると、化粧を忘れても未だ綺麗だった母は「頑張って」と笑ってくれた。


 私はその会社で一生懸命働いた。

 会社と知り合った女性と付き合い順調に結婚し、子供を授かることも出来た。たまに実家に里帰りをすると、少し歳を取った母はあの花壇の前で孫を膝に乗せ、楽しそうに花の話しを聞かせてくれた。

 それから数年後、私は妻と離婚することになる。私の不倫だった。

 両家の親族を交えた協議の末、子供は妻が引き取り、私は独りになった。

 妻は母と違って料理が上手い訳でもないし、花が好きでもない。でも、特別不満があったわけでも無いし、その不倫相手を特別に愛していると言う感情があったわけでも無い。本当にただの出来心だった。だからその女性とも、結局はその時に別れることになった。

 不倫相手が社内の人間だった事も有って、社内での私の立場は悪くなった。嫌、居心地が悪くなったのだろう、私は逃げ出した。会社を辞め地元に帰った。そして、昔の伝手で小さな工場に勤める事になった。

 それを、花壇の前の土を掘る母のあの時と同じ、小さな丸まった後姿に報告した時、母は「仕様がないよ」と小さな声で寂しそうに言ったのだった。

 

 私は、あれ程憎んだ父と同じになったのだ。

 私の大切な母を悲しませた父と同じになったのだ。

 その時、私はどうしようもない後悔と恥辱に震え、只、立ち尽くす事しか出来なかった。


 それから又、数年私と母は二人だけで暮らした。

 無論、父の話等出る事は無かった。母は、何も文句も不満も言わなかった。いつも変わらず、物静かで、優しいままで、花壇の前で花を育てていた。。


 三年前から母に認知症の症状が出てくるようになった。

 しっかり者が物忘れがひどくなり、綺麗好きが掃除を億劫がるようになった。それは、私の想像を超えて急速に悪くなっていき、母は掃除をしなくなり、あれ程上手だった料理もほとんどしなくなって、外に出る事も殆どなくなった。そして時折、子供の様な物言いや行動をとるようになった。

 私は工場の夜勤を止めさせてもらい、仕事以外は母に面倒を見る事に追われる。

 それでも母は、好きな花壇の手入れだけは欠かさない。それが母を支えている様に、私には見える。



     ・



 シャベルを渡した私は、母の隣にしゃがんだ。

 その私に、母は花壇で大切に育てた花を一本積んで摘んで差し出してくれる。

「貴方、この花を受け取ってください。本当にいつもありがとう」

 そう言って、頬を赤く染めた母が私にくれた紫色の花の名は、紫苑しおん


 花言葉は「追憶」「君を忘れない」

 

 お母さん、僕はその花をどんな気持ちで受け取ったらいいのですか。

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しおん 愚者 @trashpigg

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