第二十六話 悲喜交々
「くそっ、長旅で疲れているところを狙ったはずなのに、なぜ失敗した!?」
カルロは一人、自室で反省会をしていた。
事前に入手した情報で、的確に敵の痛いところを突いたはずだった。
陣営を疲弊させ、不在だったエドゥアルトを呼び戻し、陣営に誘い込んで疲れているところを夜襲で討ち取る。完璧な計画だったはずだ。
途中までうまく行ったのに。あと一息というところで、何かに殴られて、意識がはっきりしていない。あれは強烈な一撃だった。キャロラインからのビンタの次に。
(キャロライン姫、か。)
在りし日に鮮烈なビンタを食らった時のことを思い出す。キャロラインからしてみれば、よるは恋敵のはずなのに。それなのに、乙女の唇を弄ぶなとキャロラインはカルロに対して怒ったのだ。
ああ、なんと優しい心持ちの姫だろう。それを蔑ろにするなんて絶対に許されない。
カルロはエドゥアルトを忌々しく思う。
と、そこへ窓から風が入る。
「見事に失敗してくれたな。しかもエドゥアルトを殺すなと言ってあったのに、あんなの契約違反だろ、なあ?」
その窓辺に現れたのは、キャロラインの兄、アルフレッドである。何度も言うが、ここは三階なのだが。
「ふん、それについては散々議論したはずだ。あのエドゥアルトめを殺さねば、我が国の利害に合わぬとな。」
アルフレッドは気に入らない様子で、カルロに反論する。
「そーかい。そんなに国の利害が好きならそうしな。ただ、それじゃあうちの妹は靡かねえし、俺もお前には大事な妹はやれねーよ。」
カルロはその言葉にしまったと思ったようだ。
「そうじゃない。確かに国の利害は大事だが、俺はキャロライン姫のためを思って…!」
エドゥアルトは消しておこう。そう思った。
「勝手に妹を理由にするな。消すぞ?エドゥアルトは確かに気に入らねえ。だが、あれはキャロラインのお気に入りだからな。あれに消えられるとキャロラインが泣いちまうだろうが!そんなこともわかんねー馬鹿なのか?」
ぐ、とカルロは言葉を失った。キャロラインの想いはそこまでに深いものなのかと。それならば一層エドゥアルトのキャロラインに対する態度は許されない。カルロはそう反撃しようとした。が、アルフレッドの方が一歩早かった。
「お前に情報横流ししたのは、聖女の方を消すってことで一致したからに過ぎねえ。もうお前とは組まねーよ。じゃあな。」
アルフレッドはそれだけ言い残すと、風と共に窓から消え去っていた。
「くそ。エドゥアルトも消しておかねば、戦争後に俺の席がないことはわかっていてどうして聖女だけ消すか。こうなったら、力ずくでルフトの国だけを潰して、セントの国にはキャロライン姫を差し出させる形で和平を結ぶプランを第一候補にするしかない。」
今、ルフトの国とセントの国は同盟破棄こそしていないものの、関係は最悪だ。その原因こそエドゥアルトによるキャロラインの冷遇なのだが、両国ともに、代々の同盟関係を維持してきたというプライドがあり、同盟破棄までは言い出せないでいるのが実情なのだ。
また、同盟破棄の道を選んでしまえば、それぞれが山間の資源豊かな国であるが故、周辺国から狙われることになる。一国としては国力の弱いルフトとセントは、そのうち別々の国に支配され、搾取されるだけの道を辿るだろう。それは両国の王も理解しており、なんとか二国で持ち堪えているからこそ今の民の生活が成り立っていることは分かりきっている。
だからセントの王も、内々に聖女を始末してしまいたいという思惑が働き、アルフレッドはそれに従って行動しているのだ。
セントの王にしてみれば、キャロラインとエドゥアルトは元々一方的に不仲だったとはいえ、聖女よるの出現によってそれはさらに悪化した。ならば、せめて聖女さえ消してしまえば、不仲ながらもキャロラインとエドゥアルトは最終的に同盟婚をせざるを得なくなるのでは、と考えるのは至極当然のことだろう。そう、よるさえいなければ。一言で言うならそういうことになる。
ディエトロ国のカルロにとっても、聖女は邪魔だった。なぜなら、エドゥアルトを始め、ルフトの民の士気を高める存在だからだ。そして自ら病人を診たりしているという。負傷兵の治りを早くされるのは非常に困る。カルロにしてみれば、一番消しておきたいのはエドゥアルトだ。エドゥアルトを消せば、ルフトに未来はなくなり、降参は必至、そして同時に恋のライバルも消える。まさに一石二鳥なのである。だから最前線にエドゥアルトが出てきた時はラッキーだと思った。なのに、奴ときたら、なんとしぶといことだろう。王太子のくせに、やたらとタフで打たれ強いときた。カルロはエドゥアルトのそういうところも大嫌いだった。
(王太子のくせして、常に最前線とか、頭おかしすぎる…!)
王太子とか普通、後ろから兵を指揮して、自分は後方支援とかだろ。というカルロの考えを遥か斜め上をいくのである。カルロはカルロの考えに沿って、後方支援に回っていると、弱腰と言ってくるのもむちゃくちゃ腹が立つ。
(ダメだ、冷静になれ。相手に隙を与えるな…!)
カルロはカルロなりに真面目にやっているのだが、いかんせん彼は空回りしがちだった。
その頃陣営ではー
「よる、二度もカルロなんかのせいで怖い思いをさせて、本当にすまない。俺がもうちょっと早くによるを探しに出ていれば…。」
そう謝るエドゥアルトに、よるは首を横に振って答えた。
「ううん、私こそごめんね。いつも簡単に捕まっちゃって恥ずかしい。」
エドゥアルトが自ら喉に突きつけた剣によってできた傷の手当てが終わると、よるは、これからはもっと気をつけるね、と言い席を立とうとする。
エドゥアルトはよるのその後ろ姿を抱きしめて、
「よる、行かないで。もう少しここにいて。」
と耳元で囁き、珍しく甘えにかかる。
「う、うん。じゃあ。もう少し。」
そう答えるよるの耳はすでに真っ赤だが、エドゥアルトは自分の寝台に腰掛けると、よるをその膝の上に座らせた。
「ねえ、よる。カルロに自害を迫られたあの時、よるはダメだって言ってくれたけど、その時なんて言ったの?よく聞こえなかったからもう一回言って?」
よるは一瞬きょとんとする。
「そんなのに屈しちゃだめだよって言ったけど。」
何か言ったっけ、とよるは考える。自分も必死だったし、あまりよく思い出せない。
「その後。言ってないとは言わせないからね?」
よるは嫌な予感を感じ取る。エドゥアルトがこういう言い方をしてくる時は、だいたいよるが何か口を滑らせていて、それをとてつもない地獄耳と記憶力で脳裏に置いている時だ。
(なんて言ったっけ…。)
「思い出せない?俺を失いたくないみたいなこと言ってくれたと思ったんだけどな?」
気のせいだったかな?と意地悪く笑うエドゥアルトに、よるはそうだった、と思い出してまた恥ずかしさのあまり真っ赤になった。
「あ、あれは。必死だったし、その…。」
照れて真っ赤になるよるが言葉を濁そうとするが、エドの本来の気質がそれを許さない。
「ん?必死だったから?なんて言ってたの??もう一回ちゃんと聞きたいんだが?」
よるは穴があったら入りたいくらいの恥ずかしさを堪えながら、でもエドゥアルトには伝えなければいけない気がして、エドゥアルトの黒い瞳を見つめる。
「エドを、失ったら。私は、もうこの世界でも生きていけないって、そう言ったの。」
当のエドゥアルトは、よるから真正面に向かってそう言われて、目を瞬かせた。そして、数瞬ののち、よるをきつくきつく抱きしめた。
「なんて可愛い生き物なんだよるは!安心してくれ、俺は今も生きているし、これからもみすみす殺されなんかしないぞ!」
あれだけ大ピンチだったのに、エドゥアルトは今そう言ってよるにわざと不敵に笑って見せた。
(この世界でも、って、そういうことか。よるは元々、ここに来る前の世界で自ら身を投げたんだったな。)
エドゥアルトは、よるから以前の世界にいた時の凄絶な過去をたくさん聞いた。だからその言葉を聞いた時、エドゥアルトは自分が生きるということの責任をより感じた。そして、こうも囁いた。
「俺もだよ、よる。俺ももうよるのいない世界は考えられない。だから、もっと俺と一緒にいて。約束だぞ?」
うん、うん、と頷くよるの目からはまた涙が溢れた。
「でも、あの時みんなが助けてくれなかったら、どうするつもりだったの?」
よるはあの時の恐怖を思い出しながら、エドゥアルトに疑問をぶつける。
「すまない。あれはあれで打つ手なしだったんだ。だから、様子を見つつなんとか突破口を探していた。正直彼女らのフライパン攻撃がなければ、もう少し傷は深かっただろうな。本当に皆に助けられた。」
そうだったの、と頷くよるは、
「みんなが助けてくれたのは、日頃のエドの行いって事だね。感謝しなきゃ。でももう、あんな危険なことはしないで。お願い。」
そう言って上目遣いに見上げるよるが可愛くて愛しくて、エドゥアルトは天にも昇る気分だったが、戦争中である以上、約束はできない。
「よる、すまない。約束したいところではあるが、今は戦時中だ。いつどんな場面が訪れるかわからない。でも、必ずよるの元へ戻ると約束するよ。」
曖昧な返事になってしまった自分がエドゥアルトはもどかしかった。でも、どんな形になっても必ずよるの元へ戻ろう。エドゥアルトはそう決意した。
「ありがとう、エド。その言葉、ずっと信じてるからね。」
お互い少し微笑んで、その晩よるはそのままエドゥアルトの腕の中で眠った。
「ライン。」
寝息を立てるよるを、エドゥアルトは自分の寝台に寝かし、腹心の名を呼ぶ。
「はい、王子。ここに。」
返事はすぐにあり、ラインは報告を始める。
「調べましたが、どう考えても我が国の情報が漏れています。おそらく敵方と内通している貴族以上の者が必ずやいるかと。」
そうか、とエドゥアルトは頷き、
「これを使う時が来た、か?」
と、灯りに小さな木彫りの人形をかざして見せた。
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