第二十七話 父への手紙

 次の日、エドゥアルトはいつものパトロールを終えると、羊皮紙の前で一人考え込んでいた。

(さて、何と書いたものか。)

 慎重に内容と言葉を選ばねばならない。何せこれを送るのは国王その人へ、なのだから。

 珍しく思い悩むエドゥアルトに声をかけたのは、温かい昼食を持ってきたよるだ。

「エド、難しい顔して何悩んでるの?大丈夫?」

 声をかけられたエドゥアルトは、大丈夫ではないが気丈に振る舞ってみせる。

「これは父上へ書く手紙なんだ。何、よるは心配しなくていいよ。父上にはよるとは順調ですって書いておくからね。安心して?」

 よるはすぐさま、

「順調って何がどう順調なのよ?」

 と、呆れた顔をして食事の準備に戻った。

 そんなよるにエドゥアルトは背後から腰に手を回すと、耳元で囁く。

「教えてあげようか?何がどう順調なのか。」

 またからかわれていることはわかっていつつも、よるは自分の顔が赤く染まっていくのを感じずにはいられなかった。

「け、結構です。今はほら、食事の時間だし。終わったら私もまだ用事が残ってるから!」

 なんとかエドゥアルトの意地悪から逃れようとよるは必死に抵抗してみたが、いつも勝てた試しなんかないのである。

「よる、相変わらず腰ほっそいね。食事足りてる?」

 背後から回された手を振り解けず、ガッチリ捕まえられたままのよるは、エドゥアルトの問いに

「食事は十分に摂らせてもらってるから大丈夫だよ。元からこんなもんだし。それよりほら、エドもちゃんと食べないと…。」

 と、答えたのだが、その末尾はエドゥアルトからのキスによって消えた。

(私にはいつもこんな感じだけど、これは通常運転じゃない、らしいもんね?)

 かつて冷徹の名を欲しいままにしていたエドゥアルトからは、今の姿は陣営の皆にとって考えられないらしい。

「よるがせっかく用意してくれた食事だ、さあ食べようか。」

 そう言ってエドゥアルトはよるを解放し、腰かけるとその膝の上をポンポンと叩いている。

 これももはやお決まりなのだが、これは見られるとかなり痛々しい構図なのでは、とよるはいつも肝を冷やしている。

 そうこうしているうちに昼食を何事もなく終えると、エドゥアルトは再び羊皮紙に向かう。

 よるともっと接していたいが、そうも言っていられない。

(この手紙で今度こそ奴の息の根を止めてやる。)

 そう決意し、筆を走らせた。

 二ヶ月の歳月を要し、エドゥアルトは父王とのやり取りを続けた。

 

 ある日、王都からの勅使が再び現れた。それはいつもの荷馬車ではなく、エリーザベトからの手紙を携えてやってきたあの時のように、いやそれ以上に立派な騎士が届けにやってきた。

 勅使からの手紙を受け取ったエドゥアルトは、

「やれやれ、わざわざ近衛兵を派兵しなくても良いだろうに。」

 とだけ呟き、羊皮紙の中身を真剣に確認すると、ラインを呼んだ。

「少し留守にする。その間よるとここを頼むぞ。」

 ラインは、短く返事をすると、下がった。

「明朝俺も出立する。勅使の役目、ご苦労だった。大したもてなしはできないが、ゆっくり休んでくれ。」

 エドゥアルトは勅使の役目を終えた兵たちを労うと、自分の天幕へ引っ込んでこれからのあれこれを思案する。

 と、そこへ知らせを聞いたよるがやってきた。

「エド、留守にするってどういうこと?」

 背後にラインが控えているのが見える。

(気を回しすぎだ、ライン。)

 しかし不快に思うことはなく、よるに今後のことを伝える。

「よる、俺は少し王都へ戻らなければならない。長くはかからないと思うが、その間良い子で待っていてくれるか?」

 王都へ行くと聞いて、よるには緊張が走ったらしい。まあ、あのパーティーで苦労した事を思い返せば当然か、とエドゥアルトはよるの心情を慮った。

「大丈夫だ、よる。心配しないでいい。すぐ帰ってくるよ。ちょっと両国での話し合いがあるだけだ。」

 その言葉に、よるは緊張の度合いを高めてしまったようだ。

「わ、私は役に立てなさそうだね…。」

 萎縮するよるをエドゥアルトはどうすればこの緊張を解せるのかと困惑したところに、例のフライパン女将がやってきた。

「ダーイジョウブよ、よるちゃん!私たちもついてるわ!こういう時は、笑って送り出してあげなきゃね!」

 その言葉に、よるはすっかり強張っている自分の顔に気付かされる。

「ご、ごめんエド!私そんなつもりじゃ…。」

 ぷるぷると手と首を振りながら、よるは一生懸命に自分の酷い顔を直してみせる。

「よる、不安にさせてごめん。でも、俺はよるの元へ必ず帰るって、約束しただろう?何も取って食われるわけじゃない。心配ない。」

 必死に不安を堪えるよるを、エドゥアルトは優しく抱きしめると、そう囁いた。

「うん、私、待ってるね。気をつけて行ってきてね。」

 そう言ってよるはエドゥアルトに微笑んで見せた。

 

 

 一週間後ー

 

 エドゥアルトはまたあの重厚な石の門をくぐった。今度はよるの香りと温もりを感じられないことに少しばかり残念な気持ちになる。

「エドゥアルト、よく帰ってきた。」

 城で父王にそう迎え入れられると、エドゥアルトは誇らしい気持ちでいっぱいだった。母に頭の上がらない父だが、決して芯が弱いと言うことではない。威厳があり、王として尊敬している。

「エド、おかえり。今回はあの子たちは置いてきちゃったのね?残念だわ。もっと遊んで欲しかったのに。」

 母は妖艶に笑むと、相変わらずの口調でエドゥアルトを迎え入れる。それも決して嫌味なのではなく、あくまでも母としての愛なのである。

「はい、今回はよるに到底こんな話は聞かせられないと思い、また、よるの身の安全を考えてラインに任せてきました。」

 エドゥアルトの言を聞いた二人は、よろしい、と頷くとエドゥアルトと共に本題に入った。

 

 

 その頃陣営では

 

「エドは無事に着いたかな?」

 現代では当たり前だった、スマホがないせいで、よるはエドゥアルトとの連絡がすぐ取れない現状にだいぶそわそわしていた。

 今どこ?何してる?ができないのである。

(スマホってやっぱり人類の宝なんじゃ。)

 そこまで思い詰めて、ここにないものを言っても仕方がない、の堂々巡りを繰り返すこと一週間。

 よるは陣営の役に立つことで気を紛らわしていた。エドゥアルトからのおねだりがない分、いつもより仕事は捗っている気がする。

 しかし、よるを求めるあの声が聞こえないことに、どうしても寂しさを抱いてしまうのは烏滸がましいだろうか。

(なんか調子狂うなあ。)

 よるは、よるが思っている以上に、エドゥアルトに比重を占められていることに気づいていなかった。

 ラインはあえて何も口出しせず、よるの護衛と、陣営の運営に専念した。

 幸いこの二ヶ月間、ディエトロからの攻撃はさほど重たくなく、ルフトの陣営とは拮抗していた。だが、その間にもディエトロ側は兵力を補充しているであろうことは容易に想像ができないほどラインは無能ではない。

 しかし軍議で隊長を差し置いて口出しをするほどラインは厚かましくなかった。

(王子が戻られるまでは現状維持、もしくはやや有利になっていればと言ったところか。)

 相手に攻勢を許すことは避けなければならない。

 国内最強騎士にして、空気になりたいとさえ思っているラインは、決して出過ぎた真似はせず、かといって陣営に不利益になることなく、影から陣営を支えた。

(ラインさんって、気疲れとかしないのかな…。)

 よるはラインを見ていてそう思う。かつてストレス社会に生きたよるがそう思うのだから、ラインの精神的疲労は相当に見えるのだろう。

 そんなラインを心配して、よるが声をかけると、ラインはけろりと答えた。

「ストレス?なんですか、それ。新しい異世界用語ですね。よるさんの口ぶりから察するに、あまりよくない意味を指していそうですが、私のことならお気になさらず。」

 そう言うと、よるにエドゥアルトが普段使っている寝台を勧めてきた。

「なんでこのベッドなんです?」

 おそるおそるよるが尋ねると、ラインは何を言っているんだという顔をして、

「安心毛布ってご存知です?よるさんの睡眠に影響が出ると私の首が飛びますので。」

 つまり、ラインはエドゥアルトの匂いのするこの場所で眠ればよるは眠れるだろうと淡々とよるに告げているのだ。

「ら、ラインさん、お気遣いは嬉しいのですが、私そこまでしなくてもちゃんと眠れますよ!流石に!!」

 真っ赤になりながら頬を膨らませているよるをよそに、ラインは更に続ける。

「いえ、それによるさんにここで眠って頂けたら、王子が帰ってきた時に…。」

 そこはよるの匂いになっていると。ラインはそう続けようとしたが、淡々と続けすぎたスーパーハイスペ男子ラインにも、ついに乙女心の鉄槌が落ちた。

「もう、ラインさんってそういうとこですよ!一生結婚できないタイプ!!」

 怒ったよるはラインを置いてけぼりにして、天幕を出て行ってしまう。

(…私もまだまだ乙女心を説くには早いらしい。)

 とりあえず夜もそれなりに遅いので、空気となってよるの行方を追う。

「もう、もう、ラインさんも変に気を回しすぎて空回っててサイテー!」

 うんうん、と話を聞いてもらっているのは厨房である。

「そうねえ。思春期男子にありがちなミスよね〜。まあでもほら、男の子ってそういう生き物だから!でも、よるちゃんは正直なところどうなのよ?ほれほれ、どのベッドで寝たいの?私たちにこっそり言ってごらんなさいよ。」

 フライパン女将にすっかり懐いているよるだったが、その質問はずるい。

「う…。うーん。正直言うと、エドがいなくて寂しいから、その…。」

 よるは内心では気づいてはいた。実はエドゥアルトの匂いに包まれて眠ってしまいたい自分がいることに。でも、その感情を認めてしまってもいいのかという戸惑いの方が大きく、自分が変なことを考えている変な人間になってしまったのではないかと混乱していた。

「んっふふ〜。よるちゃん、素直でよろしい!」

 認めさせられてしまった感情を今更引っ込めることなんてできない。豪快に女将に背中を叩かれたよるは、エドゥアルトの寝台で眠る決意を固めかけた。

 が。

「…今の、聞いてましたね、ラインさん?」

 よるが真っ赤になりながら、己の感情と向き合い、そして意外な答えを出したことに少し驚いたラインは、一瞬空気になることに失敗したらしい。

「そろそろプライベート無くなっても仕方ないかもしれないけど、乙女の秘密は聞かなかったことにするのが紳士じゃないんですか?」

 これ以上追い詰めると、『よるをいじめた』という罪でエドゥアルトが帰ってきた時首が飛ぶかもしれない。

「申し訳ありません、よるさん。そういう意図ではなかったのですが、良かれと思ったことが拗れました。私は何も聞いていません。おやすみなさい。」

 ラインは素直にそう謝罪すると、何も聞かずに立ち去った。

 よるはそのまま女将に宥められ、結局エドゥアルトの寝台にて休む日々を過ごすことになった。

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