第二十三話 戦火再び

 パーティーの騒ぎが収まり、よるはすっかり良くなったジノの姉妹たちに石鹸作りを教える日々を送っていた。妹たちの快復ぶりに、ジノもよるやエドゥアルトに感謝し、王子と聖女の偉業を広める活動をしていた。もちろん石鹸の使い方も。

 そんな微笑ましいよるを、エドゥアルトはいつまでも見守っていたかった。しかしそうは行かないのが人生というものである。

「殿下、すぐに陣営にお戻りを!敵が日に日に進軍を続けているのです。このままでは…!」

 玉座の間で王と共にその報告を聞いていたエドゥアルトは、城を辞す決意を父である王に伝える。

「行くのか、お前は王太子なのだぞ。それでもまだ考えは変わらぬのか?」

 王は正直引き止めたいと思っていた。大事な一人息子であると共に、将来国を担う存在だからだ。誰だって親たるもの子に先立たれたくないと思うのは共感を得られる感情だと信じている。この戦争はそれほどに苛烈だった。

 そんな王にエドゥアルトは意志を曲げないまっすぐな瞳で言い切った。

「父上。いいえ陛下。畏れながらこの戦を勝ち残らねば、我らに未来はないのです。私はそんな国の、そして己の命運をかけた戦を人任せにはしておけません。」

 ああ、やっぱり息子は間違いなく自分の愛する人、エリーザベトの血を引いている。芯のまっすぐなこの性質は、間違いなくエリーザベトの血筋なのだと確信する。

 王はそうか、と一つ頷き、ならばとエドゥアルトにとある提案をした。

「そこまで言うのならば止めるまい。だが行くというのならばあの聖女はここへ置いて行くがいい。共倒れになりたくはなかろう?」

 王としては、聖女、すなわちよるをここへ置いておけば、必ず帰ってくるだろうと思ってのことだ。同時に戦に勝って帰るまでは聖女は渡せぬというある意味の脅迫でもあったのだが。

「何をおっしゃいますか、陛下。聖女、いえ、よるなくしては我らに勝利などあるはずもありません。かつて陣営で負傷した時、彼女がいなければ今この場には立っていられませんでした。彼女の医療の知識や衛生観念は、我ら最前線の陣営でこそ必要な技術です。」

 それを抜きにしては、今度こそ戦場で散る身となりましょう、という圧をかけつつエドゥアルトも引き下がることはしない。

 今度は男同士の火花が散るのか、とラインが少し面倒になった頃、エリーザベトがよるを伴って現れる。

「あら、また何か殿方だけで揉めているの?せっかくこの子の功績を披露しようと思ったのだけれどね。」

 よるが現れたことで、エドゥアルトの緊張感は一気に弛緩する。とりあえず抱きついてしまいたい衝動を抑えながら、母エリーザベトの出方を伺う。

「母上、ごきげんよう。よるの功績を披露と言いますと?」

 くつくつと笑いながら、エリーザベトはエドゥアルトに告げる。

「エド、多少なりともそのオーラは隠しなさい。はしたなくてよ。そうそう、この子が石鹸を広めようとしていることは皆の知るところとなったけれども、肝心の石鹸をこの先どう作っていくのかと気になっていたの。でもちゃんと石鹸作りを確立させていて、それを三人の姉妹に教えてあってね。賢いでしょ?」

 指摘を受けたエドゥアルトは、少し襟を正すと、さすが俺のよる、と心の中で盛大に頷く。

「素晴らしいことです。石鹸作りが他の者でもできるというのならば、よるは連れて帰っても問題ありませんね、父上?」

 してやったり、というエドゥアルトの一言に、父王は一つ深いため息をついた。

「はあ、もうよい。愚息と、異世界より来たりし聖女に神のご加護を。」

 そう言うと、王はエドゥアルトとよる、そして控えていたラインを下がらせた。

「エリーザベト、そなた、わかっていてあのタイミングで入ってきたのだろう?」

 ふっ、と笑いながら、王はエリーザベトにそう問うた。

「あら嫌だ。私を悪者にする気なの?私はただ、親子で歪みあったり、愛し合う二人を引き裂くのはどうなのかしらと思って善意で行動しただけなのに。」

 にこりと笑いながら答えるエリーザベトを王は愛おしく見つめた。

「なるほどな。そなたの言う通りだ。私とて好きで歪みあっているのではないがな。あれは立場というものを考えなさすぎではないかと思ってな。少し考える所があっただけだ。」

 そんな王にエリーザベトは優しく囁く。

「そんなの、貴方だって同じじゃなくて?他のご令嬢との縁談を蹴りに蹴って、なぜよりによって私なの?って散々考えたわ。それと、私と貴方の愛の結晶をあれと言うのはやめてほしいわ。」

 王はエリーザベトのまっすぐな瞳に、

「そうだな。すまなかった。それでは、その愛の結晶の行く末を見守るのが我々の仕事か。」

 と答えた。

「うふふ、そうよ。あの子がどんな道を選ぼうが、それを見守り、時に諭してあげるのが私たちの役目よ。それが親というものよ。立場なんて後からどうにでもなるわ。」

 王はその言葉に、再びふっ、と笑うと、エリーザベトの手を取り、玉座の間を後にした。

 

 エドゥアルトは己の決意をよるに伝える。

「よる、俺は窮地に陥っている陣営に戻ろうと思う。ついてきてくれるか?」

 それを聞いたよるは、すぐさまエドゥアルトに返事をした。

「もちろんだよ。あそこの皆が良くしてくれたから、私もこの人たちの力になりたいって思えたんだもん。むしろ離れてたこの期間が不安だったの。私もまた頑張るから。」

 それを聞いたエドゥアルトは心強さを感じながら、ありがとう、とよるの手を取った。

「ううん。お礼を言うのは私の方だよ。みんなが私を救ってくれた。エド、ありがとう。」

 エドゥアルトはその言葉に目頭が熱くなりそうな感覚すら覚えた。

(なんていい子なんだ。まさに聖女、むしろ女神!)

 素直なよるの言葉に今日も胸を射抜かれながら、エドゥアルトは早速馬や陣営に必要なものの手配を始めた。

 陣営でなら、キスの一つもおねだりしたいが、先ほど母に注意されたばかりなので、今はこの気持ちを抑えることにする。

 エドゥアルトもよるも、そしてラインもすぐに出立したいのはやまやまだが、陣営は助けを必要としている。それは物資も必要ということだ。その準備を待って、護衛をつけながら進まなければならなかった。

 よるはその間、ジノと姉妹たちに別れを告げた。

「ジノくん、そしてエマ、フローラ、クララ。私はエドについて前線に戻ることにしたの。だからね、私は戻ってこられるかもわからないけど、ここの事はあなたたちに頼みたいの。」

 抗議の声はすぐだった。

「えー!それなら私たちも…!」

 姉妹たちから起こったそれは、ジノも同じ気持ちだったが、よるによって遮られた。

「ううん。ごめんね、みんな。みんなはここで石鹸を作ってこの国の人たちに広めてほしいの。それがこの国の戦争後の未来の為だって私は思ってるから。そしてそれは、あなたたちにしかできない事なの。だから、お願い。」

 力強くそう言い放ったよるに、ジノが反撃できるはずもなかった。

「しゃーねーなー。よる様からお願いって言われちゃあな。ほら、エマ、フローラ、クララも。俺たちは俺たちのできることをしようぜ。」

 そう強がってみたが、突然の別れを告げられたジノたちの目からは、涙が溢れていた。

「うん。本当にみんなありがとうね。私、きっと戦争終わって戻ってくるからね。」

 つられて泣いたよるは、姉妹たちと抱き合って涙を分かち合った。

 そうして準備が整った朝、よるはエドゥアルトに伴われ、陣営に戻るべくエドゥアルトの馬に乗る。見送りには、あれだけ厳しかった王もそして王妃エリーザベトもバルコニーから手を振ってくれていた。

「なんだかんだ言って、エドはちゃんとご両親に愛されているんだね。」

 よるはポツリとそんな感想を漏らす。

「ん。そうだな、二人には感謝している。だからこそ、俺も前線から生きて帰らねばならない。その為に力を貸してほしい。頼めるか、よる?」

 少し羨ましくなったよるは、もちろんだよ、と答えると同時に、なんとしてもこの人と共に生きて帰ろうと決意を新たにした。

「お前もだ、わかっているな、ライン?」

 突然話を振られたラインは、少し驚きつつも、

「心得ております。」

 とそつなく返事を返す。

「ここにいる皆もそうだ、全員生きて帰るぞ!ルフトに勝利を!!」

 エドゥアルトは高々と剣を掲げて全員に向けてそう発し、士気を高める。

「ルフトに勝利を!」

 そう応える兵たちを見届けた後、

「ふふ、あれはあなた譲りの才能ね。将来が楽しみだわ。」

 と、エリーザベトが囁くと、

「あの気の強さは私にはない。そなた譲りだと思うが?」

 と王は答えた。

「まあ、私を気の強い女だとおっしゃるの?心外だわ。」

 と、エリーザベトは王に抗議したが、

「通い詰める私を三ヶ月半も拒み続けたそなたが気が弱い女だとは思えんがな。」

 と、ボソリと呟いたとか。

「聞こえてますわよ?」

 氷の微笑みを浮かべるエリーザベトを宥めながら、二人はバルコニーを後にした。

 かくして、エドゥアルトの戦火の日々は再び幕を開けることとなる。

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