第二十二話 静かに散る火花と終焉

 ざわめく場内で、エドゥアルトは母エリーザベトと視線を交わす。どこか妖艶に、ニコリと微笑んで見せたエリーザベトの表情から、エドゥアルトはその心の内を読み解こうと思ったが、自分より上手のエリーザベトの思惑を読み切れるとは思えず、断念した。

 続いてキャロラインにも視線を送る。見れば、より豪奢なピンクのドレスに着替えて再登場したよるを悔しそうに見ている。

 よるは、キャロラインの視線を感じ、わざと目を合わせた。そこには闘志が宿っていた。

(キャロラインさんには悪いけど、私はもう、エドなしではこの世界で生きていけないの…。だから、絶対に譲るわけにはいかない!)

 よるには強い意志があった。

 キャロラインは歯噛みした。あれだけズタボロにしてやったのに、まだ立ち上がってくるなんて。しかも、エドゥアルトがそれを後押しして、完璧にエスコートしているのがまた腹立たしい。そこにいるのはわたくしのはずだと。なぜいつまでもあんな小娘を可愛がっているのかが本当に理解できなかった。

 エリーザベトが二つ手を叩くと、場内のざわめきは止み、また音楽が始まる。

 今度こそラストチャンスだ。エドゥアルトは、よると共に頷き、ダンスホールへと戻っていく。そして、その際、エドゥアルトはよるにあるお願いをした。

「よる、すまないが、今度のダンスは俺が全面的にリードする。だから、俺に身を任せてついてきてくれないか。」

 というものだった。

 今までもだいぶリードしてもらっていたよるとしてはよくわからなかったが、頷いて返事をし、特に何かを問いただすことはしなかった。

 程なくして、よるはその意味を存分に知ることになるのだが。

 キャロラインは憤っていた。というのも、せっかく叩きのめしたと思っていた小娘の復活、しかもエドゥアルトから贈られたのであろう素敵なドレスに身を包んでの再登場、そして当然のようにエドゥアルトにエスコートされている事に対してだ。嫉妬という感情が暴風のように荒れ狂う。この事態には、遠くで静観していたアルフレッドも駆けつけていた。

「お兄様、わたくし悔しいですわ。なぜわたくしはこんな仕打ちを受けているのか、全く理解できなくてよ。」

 それを聞いたアルフレッドは、かわいそうに、と妹に同情すると、

「そうだろうとも、キャロライン。お前があれを理解する必要はない。なぜなら…。」

 二人は頷き、

「今度こそぶっ潰すからだ!」

「今度こそぶっ潰すからですわ!」

 と、ほぼ同時に嫌な決意表明をしていた。

 キャロラインは今まで相手をさせていたアルフレッドの手下に下がるように伝えると、アルフレッドと共に、ダンスを始めた。

(裾を踏んづけるくらいじゃ足りなかったと言うのなら、今度は足を踏みに行ってやりますわ!わたくしたちを甘く見ないことね!!)

 そうして、二組による静かな戦争は幕を上げた。

 エドゥアルトは、ラインからの報告と、目視で、アルフレッドが合流していることも確認していた。

(これはますます油断できない状況になってきたな。なんとしても、よるを守りきる!)

 九割方あの兄妹は、よるを潰しにかかってくるだろう。それを防げるのはよるのペアであるエドゥアルト、そう、自分しかいない。

 ダンスホールに入って、ステップを始めると、早速あの兄妹が急接近してくる。

 おおかたまたよるに恥をかかせようという腹なのだろう。仮面で顔を隠しても、その下に透けて見える底意地の悪さは隠せない。

 キャロラインがよるに接近したそのタイミングで、エドゥアルトはよるをぶん回し、自分とよるとのポジションを入れ替えるという荒技に出る。

「ひゃっ!?」

 一瞬よるの驚いた様子が聞こえたが、それに構っていてはよるを守りきれない。

(すまない、よる。少しの間辛抱してくれ。)

 エドゥアルトは心の中でそうよるに謝ると同時に、兄妹の次の手を見逃さない。

 アルフレッドがよるの衣を裂こうとしてくるのでそれも回避。とにかく兄妹が近づいてきたら、兄妹側に自分が来るようによるとのポジションを入れ替えて回避する。そしてその後流れに乗って一時的に離れることも忘れない。

 そんな攻防がしばらく続いた。曲も終盤に差し掛かり、先ほどと同じ不覚を取らないよう細心の注意を払う。と、ここで兄妹が猛攻に出てくるが、本気のエドゥアルトは、それを見事に全て回避し切って見せた。その度にぶん回されているよるはたまったものではないのだが。

 やがて曲の終わりを告げる最後の音が鳴り、皆一斉にお辞儀をする。

 観衆からは、まばらに拍手が鳴る。と言うのも、貴族の大半が聖女なる娘の大失態からの下卑た笑いを期待していたからだ。

「チッ、つまんねーの。」

 平たく言ってしまえば、そういう事だ。

 エリーザベトはというと、兄妹とエドたちの攻防を楽しんでいた。

(あら、エドもやればできるじゃない。振り回されている方はかわいそうだけれどね。でも、そう対応するしかないわよね。よくやった方かしら。)

 エドゥアルトは、よるを確認する。

 ドレスの損傷、なし。他被害、なし。

 終わって油断しているだろうと後ろから近づこうとするアルフレッドの足を思いきり踏んでおくことも忘れない。

「ぐおお、なぜ俺の気配を…。」

 足を踏まれて悶絶するアルフレッドに、エドゥアルトは言い放った。

「俺のよるにつく害虫の気配を察せないわけないだろう。お前、元々よるに何をしようとしたか俺は忘れていないぞ。」

 害虫呼ばわりされた隣国、しかも同盟国の王子アルフレッドに対する態度をみた貴族たちは、エドゥアルトに対して抱く感情はやっぱり恐怖だったらしい。

「ふふ、流石そなたの血を引いておる、エドゥアルトは。」

 と、微笑むのは国王その人だ。

「あら嫌だ、まるで私が冷徹な女みたいに仰らないで。ちゃんと愛を持って皆に接しているわ。一部ゴキブリを除いてね。うふふ。」

 そうさらりと答えるエリーザベトからは、やはりエドゥアルトの血筋を感じられずにはいられなかった。

 場が収まったところで、エドゥアルトは再び国王、並びに王妃であるエリーザベトに向かって進言する。

「我らの聖女よるは、この日の為に血の滲むような努力を真面目に積み、見事試練をクリアしたと言って良いでしょう。途中ハプニングはあったものの、一定の成果は認めて頂けるものと確信しております。また、教養を身につける傍ら、街で苦しむものたちのために、衛生活動を行い、街に住むもの誰もが衛生的な生活を送れるようにと、安価な石鹸の開発にも取り組んで参りました。ここまで国の未来を案じられるものは他にいないと愚考いたします。何卒よるを我々の聖女として迎え入れて頂きたい。」

 国王と王妃は顔を見合わせて、しばしの間考えた。

(あの灰まみれは石鹸を作るためだったと言うこと?確かに、国民皆が衛生環境を向上できれば、国が豊かになる。)

「わかった、エドゥアルト、我が愚息よ。その者を聖女と認めるのは吝かではない。しかし、その者を聖女だからと言ってそなたの婚約者として認めるかはまた別の問題だ。それがわからぬお前ではないはずだ。」

 エドゥアルトは一瞬不満そうな顔をしたが、よるが聖女認定されたことは一歩前進だと捉えたらしく、

「ありがとうございます。よるを聖女として認めていただけただけでも、今夜このパーティーに出席した甲斐がありました。今は我が国は戦争の最中。同盟国を重んじる陛下のお気持ちも十分に察せられます。」

 と、返答した。

 国王もやれやれとなんとか丸く収まったと安堵したが、不安はあった。

(あれだけの入れ込みよう、諦めた様子ではないな。今日のところは問題なさそうだが、またこの議題はいつか紛糾するに違いない。)

 国王はまた心労が一つ増えた。

「あなた、そんなに気を揉まないで。あの子のことだから、なるようにしかならないのよ。」

 そう声をかけたのは妻であるエリーザベトだった。なんなら少し楽しそうですらある。

 

 夜も更けてー

「エド、まだ起きているんでしょう?私よ、エリーザベトよ。」

 寝巻きにガウンを羽織ったエリーザベトは、エドゥアルトの私室を訪ねる。

「母上。何か御用ですか?」

 迎え入れたエドゥアルトだったが、エリーザベトが訪ねてくることは滅多にない。しかもこんな時間に。

「うふふ、あのよるという子、正直ここまでやれるとは思ってなくてね。それにあの堅物のあなたをここまで骨抜きにするなんてね。」

 唐突によるの話題を始めるエリーザベトに、エドゥアルトは問う。

「よるを認めて頂けて、ありがとうございます。それを言うためにわざわざ?」

 エリーザベトの含みのある言い回しに、嫌な予感を覚えていたエドゥアルトは、本題を探していた。

「そんなの前置きよ。あなた、あの子とどうしても結婚したいのなら、わかるわよね?」

 エドゥアルトは、母に心の中を見透かされていたことに戦慄した。

「父上の説得。それと、戦争の終結および勝利、でしょうか。」

 エリーザベトは満足げに頷き、

「よくわかっているじゃない。流石は我が子ね。でもそれだけでは足りないわ。同盟を破棄する必要はないけれど、キャロラインとの婚約を破棄するということは、逆に同盟を破棄される可能性が大きいわ。それはどうするの?」

 エドゥアルトとて、その問題は考えたことがないわけではなかった。

「わかりません、今は。」

 そう答えるしかなかった。

「そう、素直な答えでよろしい。でも、どうするのが最適解かは、今からよく考えておきなさい。それだけよ。おやすみ、かわいい坊や。」

 エリーザベトは、エドゥアルトの額にキスをすると、それだけ言って帰って行った。

「坊や、か。まだまだだな。俺も。」

 月を眺めながら、エドゥアルトはやはり母には敵わなかったのだと知った。

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