第七話 戦場にて

 その日、エドゥアルトはラインを伴って、何事もなく出陣した。よるはいつものように見送り、無事の帰りを祈る。流石によるは戦の戦力にはならないので、ただ見送ることしかできないのだ。戦はエドゥアルトの祖国である、ルフト王国とアルフレッド、キャロライン達の祖国であるセント王国。その2国と敵対するディエトロ王国との戦いであるが、ディエトロ王国の国力は凄まじく、2国で立ち向かってなおエドゥアルト達は劣勢に立たされていた。だからキャロラインを冷たくあしらっても、即刻同盟破棄、とはいかないのがそういう理由なのである。今ここで同盟を破棄したら、ルフト王国も、セント王国も各個撃破され、全てがディエトロ王国になるのは遠くない未来だ。ディエトロという国は、支配下に置いた占領地に圧政を敷くことが有名で、これまでに飲み込まれてきた国々の悲鳴はエドゥアルトの元までよく聞こえてきた。

 エドゥアルトは、そんな国々に思いを馳せながら、誓いを新たにする。

(この戦、負けるわけにはいかない…!)

 このところ戦は劣勢には変わりないのだが、膠着状態が続き、両者睨み合い、という状況だった。ただここが踏ん張りどころで、これ以上攻め込まれれば、敗戦は目の前、というところでもある。皆もそれを理解して、踏みとどまってくれているのだ。エドゥアルトは国の為に命を捧げて戦ってくれる民に感謝している。だからこそ勝って帰らねばならないという思いも強い。そして傷ついた民に心を痛めていたところを、懸命に看護してくれる存在が現れたことにとても驚いた。エドゥアルトの身に言い知れぬ衝撃が走ったことは今でも鮮明に覚えている。まさに戦場に降り立った聖女。よるの行動は士気の昂揚にも十二分に貢献してくれた。傷を癒した兵が、よるに、そしてエドゥアルトに感謝し、また祖国の為に戦ってくれているのだ。

 敵国は、占領地から兵を送り込んでくるが、その分士気は低い。以前は名を挙げて占領地からの発言力を高めようとする動きもあったが、発言力を持ったと判断された瞬間、その地は焼き討ちにあったという。他者の発言は一切許さない独裁国家ぶりが窺える。

(俺はこの国をそんなふうにさせるつもりはない!)

 エドゥアルトの表情は、思い詰めるあまりいつの間にか険しいものになっていたらしい。ラインが様子を伺いつつ、エドゥアルトに声をかける。

「王子、お気持ちはわかりますが、臣下が見ておりますよ。」

 エドゥアルトははっとさせられる。皆の先頭に立つものが、暗い顔をしていていいわけがない。

「そうだな。すまない。だが、俺は決して悲観していないぞ。俺たちには聖女であるよるがついてるしな!」

 エドゥアルトはわざとらしいほどに明るく振る舞って見せた。そして民からは、お熱いことで、とか、惚気はそこまでにしてくださいよ、とか、冗談めいた返答が返ってきて、場は少し和んだようだ。そうこうしているうちに、戦場である平原が姿を現す。布陣を確認して、エドゥアルトは気を引き締める。王太子という身で、稀有なことではあるが、エドゥアルトは先陣を切るタイプだ。まず自分が動かずして、どうして民がついてきてくれようか、という考えの下、何度も止められつつも、最前線から動くことはしなかった。もちろんラインや、他の護衛のものが優秀だからというのもあるが、エドゥアルト自身も鍛錬を怠らなかったし、それなりの事態には対処できるという自信もあっての行動だ。

 と、そこへ敵国にざわめきが起こる。

「これはこれは、カルロ王子様じゃないか。こんなところへノコノコ出てくるなんて、熱でも出たのか?」

 ざわめきの正体を把握したエドゥアルトは、嫌味ったらしく声を上げた。そう、そこに現れたのは、ディエトロ王国の王子、カルロであった。赤い髪に鋭い目つき。エドゥアルトの嫌味に呼応する。

「なんだ、専ら聖女とやらにお熱のお前に言われたくはないね。今日はそろそろこのお遊びにも飽きたし、お前らを叩き潰してやるってわざわざ言いに来てやっただけだ。直々の言葉にせいぜい感謝しながら死ぬんだな。」

 カルロも負けじと嫌味を返す。そしてその場を後にしようとしたカルロをエドゥアルトは焚き付けてみせる。

「引っ込むのか?威張っていても、そんなもんなんだな。代替わりでもしてみろ。誰もお前のような弱腰には着いて来んさ。」

 常に先陣を切ってきたエドゥアルトに民たちも、そうだそうだ、とヤジを飛ばす。弱腰、と言われた事に余程腹を立てたのか、カルロは振り返ると、

「もっぺん言ってみろ。マジで潰すぞ?」

 と血走った目で睨みつけてくる。

「御託はいい、潰せるもんなら潰してみろってんだよ。ほら、かかってこいよ?」

 挑発に乗ったと判断したエドゥアルトは、さらにカルロの怒りを買っていこうとする。カルロはなおも怒りを募らせていく様子だったが、流石に安い挑発で無駄死にすることはしなかった。

「俺の力、それすなわちここにいる兵力だ。相手してみろ。」

 そう言うと、カルロは布陣の奥へと消えた。と同時に、敵国兵が動き出す。追随は許さないといった構えだ。

(それが弱腰だってんだよ。)

 エドゥアルトは心の中で一つ舌打ちをすると、向かってくる敵兵に突っ込みつつ民に呼びかけた。

「行くぞ、皆のもの!ここで潰される我らではない!!今こそここにルフトの団結力を示すぞ!!!」

「おう!!!!!」

 民からの呼応を受け、エドゥアルトは乱戦に突入する。馬上から次々に敵を薙ぎ倒していく。

 相変わらず士気の差は大きい。一生懸命に戦うルフト兵に対し、帰る場所を失ってただ突っ込んでくるだけのディエトロ兵からは、死に物狂いという精神は見受けられず、兵力差に対してそれをカバーできるだけの士気の高さがルフト側にはあった。

 戦も大詰め、突っ込んできた敵はあらかた片付け、そろそろ退くか、という時だった。最後の悪あがきで敵方のそれなりに地位のあるやつが馬ごと突っ込んでくるのが見えた。エドゥアルトはその敵に向かって一閃ーしようとして失敗した。それは味方しかいないはずの後方からの攻撃で、馬の後ろ脚が斬られたせいだ。姿勢ががくんと崩れる。それを視認したラインが、

「王子!!」

 と叫びながら庇いにくる。何が起こったのかを確認するため斬られた馬の方を見る。

(アルフレッド、貴様…!)

 そこには黒いフードで半分顔を隠しつつも、下品な笑いが漏れたアルフレッドの姿があった。敵の斬撃に対しラインが捨て身で突っ込んでくる。

(ああ、いまラインを喪うわけにはいかない…。)

 エドゥアルトはラインを押し除けると、最大限できる防御をしつつ、敵の攻撃を受けた。致命傷には至らなかったが、動けない程度にはダメージを受ける。エドゥアルトは力を振り絞ると、こう命令した。

「ライン、全員連れて今すぐ退け!これは命令だ!!お前もだ!!!」

 見ればラインも手負いだ。そんなことはできないというラインの悲痛な叫びをよそに、民がラインを制止している。やがてラインは命令の意味を察し、民を連れてその場を離れる。

 その間にエドゥアルトは気を失っていた。

 その頭を靴で小突くものがいた。黒いフードに身を包んだ、アルフレッドである。

「あーあ。ラインまでは無理だったか。でもよ、みろよこのザマ?キャロラインには悪いが、ちょっとした見ものだぜ。このまま死なれちゃ困るが、ちょっとあっちで反省してこいよ、なあ?」

 そういうと、黒いマントを翻し、その場を去った。

 カルロは戦場後を確認しに戻ってきた。そこに横たわるエドゥアルトを見て、少し驚いたが、カルロはカルロで良い餌ができたと唇の端を吊り上げた。

 

 その日、陣営はお通夜のような雰囲気だった。いつも陣営でどっしり構えている主人がいないためだ。

「くそっ、私の落ち度だ…。王子はなぜ、なぜ……。」

 いつになくラインも荒れていた。それはそのはず。守るべき主人に守られて自分はのうのうと生きているのだから。よるはまさかあの強いラインの涙を見る事になるとは思いもしなかった。よるはまだエドゥアルトが帰らないという事実を受け入れられず、泣く事もできなければ、どうして良いのかもわからなかった。

 帰ってくるはずだと夕食を二人分用意して、エドゥアルトの天幕で待っていた。その食事はどちらも摂られることがない。ただラインから、エドゥアルトはラインを庇って自ら敵の攻撃を受けたこと、その攻撃で動けなくなったことを聞かされた。

 ラインは自分の失態だと責めつつも、よるの側を離れることはなかった。ラインがあの命令から察したこと、それは、『帰ってよるを守れ』というメッセージに他ならない。

 何らかの不意打ちを受けた時、王子が何を見たのかはわからない。ただ、ラインは考えた。もしあのまま、自分が攻撃を受けていたらー?エドゥアルトはその先まで考えて、あの行動に出たのかもしれない。だとしても危険すぎる賭けだ。

 カルロが怒りのままに、エドゥアルトを即処刑してもおかしくないせいだ。捕虜として身代金を要求されるならまだラッキー、最悪拷問の限りを尽くされ、苦痛の中で死ななければならないかもしれなかった。

 全てはカルロの手の内という事になる。

「さて、これを奴隷にでもすれば、キャロライン姫はこちらに傾いてくれるかな?」

 カルロは真剣に考えていた。そもそもカルロがこの戦争に参加している理由、それはキャロラインが欲しいから。である。幼少のみぎりに一目惚れして以来、どれだけアタックしても首を縦に振ってくれないツレないキャロライン姫。聞けば運命の人がいるから、という理由だった。その運命の人が、コレ?キャロライン姫を無碍にし、突然現れた聖女とやらに入れ込み、戦で王太子のくせに先陣切ってくる馬鹿。こんな馬鹿以下だと思われてるなんて心外にも程がある。どうすればかの金の姫の心は揺れてくれるのか。やっぱりこの赤毛がいけないのだろうか?カルロはコンプレックスの赤毛をいじってみる。

 と、そこへエドゥアルトが目を覚ましたと一報が入る。

 今の所捕虜扱いだが、もちろん部屋をあてがってやるつもりなどなく。

 牢獄でたっぷりどうやったらそんなにがっちりキャロライン姫のハートを掴めるのか聞いてくれよう。そしてそれを反故にする理由も。

 今度こそ、キャロライン姫は俺のものだ。その為なら、なんだってしよう。どうしてもダメなら、2国とも潰そう。

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