第五話 宣言

「ごきげんよう、エドゥアルト様?」

 昨日はあんなに上機嫌だったのに、朝一番から、エドゥアルトはものすごく嫌な顔をした。

(昨日に戻りたい…。)

 よるとキスして楽しく食事をした挙句、愛称呼びしてもらって、抱きしめた。良い日だったとエドゥアルトは昨日を振り返って一瞬意識を飛ばした。

 と、そこへ迫ってくるのはキャロラインの青い瞳である。

「どうかなさったの、エドゥアルト様?」

 顔面が近い。ついでに香水臭いし、化粧臭い。顔面が近いのはよるだけにしてほしいエドゥアルトは、天幕の入り口で、公衆の面前にも関わらず、キャロラインを普通に手で押し退けてしまった。

 恥をかかされたキャロラインだったが、それでもなおエドゥアルトに食い下がる。

「もう、照れ屋さんなんですから、エドゥアルト様ったら。」

 つん、とエドゥアルトの胸板をつついてみせた。が、異変に気づかないエドゥアルトではなかった。

(よるはどこだ?)

 群衆の中からよるを見つける速度には自信がある。ふと、その目にラインの姿が留まる。ラインはエドゥアルトと目が合ったことを確信すると、陰の天幕の裏へと消えた。

(くそ、やっぱりか…!)

 エドゥアルトは未だその場でもじもじしているキャロラインを無視すると、天幕の中へいったん消え、裏から先ほどラインが示した場所へと一目散に向かう。

 

「へえ、案外可愛い顔してるな。異世界人だなんて聞かされて、どんなもんかと思ったが悪くない。」

 アルフレッドは、よるを見つけると、腕を引き、エドゥアルトの天幕からは陰になる天幕の裏へと強引に連れてきた。キャロラインに気を引かせている間に目立たないように。

「えと、誰ですか?」

 腕を引っ張られて、少し痛かった。よるは見たことのない人物に警戒を強める。

「俺か?俺はアルフレッド。お前んとこのエドゥアルトの許嫁、キャロラインの兄さ。キャロラインは可愛いんだぞ?それをお前のせいで婚約破棄ときたもんだ。可哀想になあ。生まれた時からエドゥアルトの嫁だと言われ、それを信じて今まで頑張ってきたのに。ぽっと出のお前のせいでぜーんぶ台無しだ。だから今度は、俺がお前を台無しにするのさ。」

 よるは何を言われているのかまるで理解できなかった。が。

(嫁?婚約破棄?これって…。悪役令嬢が出てくるやつだ!!)

 言葉の端々から、今まで積んできた経験と読んできたラノベの知識をフル稼働させて答えを導き出した。つまり、この人はいわゆる悪役令嬢のお兄さん!危険なイベントが起こっているようだ。しかもこういう時の身の危険って。

「お前を二度とエドゥアルトに顔むけできない体にしてやる。これもキャロラインが受けた苦痛に比べれば、なんてこたあない。とっとと終わらせようぜ。」

 そういうとずいっとアルフレッドが迫ってくる。

(やっぱりなー…。そういう方向だよね。)

 よるは数々のピンチを乗り越えた猛者。大概のことでは冷静さを欠かないが、流石にこれは大ピンチすぎる。女子からのいじめ、母親からの暴行。でも男子から暴行されたことはないし、かといってこれを追い払えるほどの技術や体力もない。しかもここは異世界。防犯カメラもなければ、交番もない。つまり、完全に退治しないとこのピンチは切り抜けられないというオマケ付きだ。

(どうしよ、どうしよ…。なんとか隙を見つけなきゃ…!)

 とりあえず大声を出してみるかと息を思いっきり吸ったところで相手の手で口を塞がれる。

「抵抗されると逆に燃えちまうだろ?なあ。」

 やばい。相手は完全に体格的に有利だし、腕を引っ張られた時も思ったが、結構力も強い。しかもなんか乗り気になってるし、このままだと発見された時にはタイムオーバーのパターンだ。

 と、その時、よるのエプロンの中に、何か固い感触があった。

(これ、メスだ!なんでここに入ってるかはさておき、チャンスかも!)

 よるは咄嗟に握ったメスで口を塞がれている腕に切りつける。

 迸る痛みに束の間だが、口を塞いでいた腕が緩む。よるはその隙を見計らって激しく抵抗し、なんとかアルフレッドから逃れた。

(なんとか天幕の中まで逃げ切れたらー)

 と、そこでよるは髪の毛を引っ張られて痛みを覚えた。

「だから、抵抗するなって、なあ、楽しくなっちまうだろ。」

 再びよるは捕らえられる。今度こそ奥の手はない。

(もう、ダメだー…!)

 最後の抵抗に、両腕を体の前に構える。次の瞬間起こるであろう悪いことに備えて目を閉じる。

「おい。」

 どこから出したのかと思う程のドスの効いた低音が場を支配する。

 その声に怯えたのは、よるーではなく、アルフレッドの方であった。

「ヒッ。」

 よるが恐る恐る目を開けると、そこには髪の毛を鷲掴みにされたアルフレッドと、背後にエドゥアルトの姿(逆光でよく見えないが)があった。

「俺のよるに手を出すとは良い度胸だ。お前のモノぶった斬って、二度と女を抱けない体にしてやろうか?あ?」

(ん?今さらっと俺のって言った??)

 よるはエドゥアルトの発言内容の怖さより、さらっと俺のもの宣言されたことに驚いてしまった。とはいえ、相変わらずどこから出してるのかわからない低音ボイスは怖かったが。

「え、あ。すみませ…」

 髪を後ろから掴まれてひっぱられ、頭をぐわんぐわんされている状態のアルフレッドは、なぜここにエドゥアルトが正確に現れられたのか理解できていない様子だ。と、よるの傍にラインがそっと控える。

(このコンビ、本当に怖い…!)

 よるは慄いた。エドゥアルトはアルフレッドを一通り脅しつけ、打ち捨てるとよるの元へと駆け寄る。

「おー、よしよし、怖かったね。もう安心して良いからね〜。」

 エドゥアルトは大袈裟なほど、よるを抱きとめると頭を撫でて、安心させてくれた。

「うん、ありがと…。」

 よるは怖かったので、それしか出てこなかったのだが、アルフレッドに対する態度とのあまりの豹変ぶりに、ちょっと別の意味で怖くなってしまった。

「よる、こういう時は?なんて呼ぶんだっけ??」

 突然始まるエドゥアルトの無茶ぶりに、よるは固まる。

「え、な、名前のこと?でも今はラインさんもいるし…。」

 その言葉を放った刹那、ラインは消えた。

「ライン?何のことだ?」

 エドゥアルトは先ほどまでとは別の意味で嗜虐的な笑みを浮かべている。

「あ、ありがと、エド…。」

 エドゥアルトは、よくできました、ともう一度よるの頭を撫でる。

「ククク。また照れてる。ほんと、可愛い。」

 よるは、わかってるなら呼ばせるなと言いたかったが、二度もピンチを救ってくれた恩人にそんなことを言えるはずもなく。エドゥアルトはそのままよるにキスもおねだりする。

(このまま流されてて良いわけない、私…!)

 そう思いながらも、今はエドゥアルトの腕の中が心地よく、よるはそのままエドゥアルトの腕に抱かれて天幕の陰から出る。その際、アルフレッドを一踏みすることも忘れない。ぐえ、と気持ちの悪い潰れたカエルのような声が聞こえた気がするが聞かなかったことにする。よるを抱えたエドゥアルトを認めたキャロラインは、舌打ちをした。兄が失敗したことを悟ったためだ。

 そしてエドゥアルトは陣営の真ん中まで来ると、高らかに宣言した。

「聞け、皆の者!俺はこの戦争に打ち勝ち!異世界より現れしこの聖女よるを妃として娶り!更なるこの国の繁栄を皆に約束する!ついてくる覚悟のあるものはいるか!?」

(え、聖女?いつの間にそんなことに?)

 よるはまた混乱した。しかも、娶るって言われた気がする。つまり、結婚?婚約破棄って。まさかそのせいで私襲われた????

 群衆からは歓声があがり、口々に皆が

「エドゥアルト王子万歳!」

「王子と聖女に栄光あれ!」

 などと言っているのが聞こえてきた。

 エドゥアルトはよるを降ろし、その歓声に応えていた。

 あまりの展開の速さに、よるが頭を抱えていると、豊かな金の髪を揺らしながら女性がつかつかと歩いてくるのが目に入った。そう、キャロラインである。

 バチーン!

 キャロラインはよるの側まで来ると、強烈な平手打ちを繰り出した。

(あ…。)

 香水、化粧の匂い。そして受けた仕打ち。その瞬間、よるは母親から受けた暴行をフラッシュバックしてしまい、気を失った。

 

「ん…。」

 目を覚ますと、そこはエドゥアルトの天幕で、この世界に来て最初に見た天井だった。

「よる、よる!目が覚めたか?」

 そこには血相を変えたエドゥアルトの姿があった。一つ頷き、感覚を取り戻してみると、頬は少し熱を持っており、そこには手当された跡があった。

「えっと。あの人たちは?」

 よるはキャロラインとアルフレッドのことを尋ねる。

「よーーーーーく言い含めてお帰り頂いたぞ。今度俺のよるに何かしたら死をもって贖ってもらう、むしろそれ以上の苦痛を与えてあえて生かしてやるって言っておいたから、しばらくは何もしてこないと思うぞ。」

(発言がちょいちょい不穏だな〜。)

 はっきり言って怖い。何が怖いって、エドゥアルトの、よるに対する態度と、それ以外の人に対する態度のギャップが怖い。

「怖い怖い怖い。」

 今度こそ、声に出して言ってしまった。すると、すっとどこからかラインが現れて、よるに告げた。

「よるさん。貴女が特別なだけで、王子は昔からだいたいあんな感じですよ。貴女が現れて王子は変わった。私はそれを喜ばしく思っています。感情らしい感情を見せなかった王子が、貴女に対しては子供のようにそれを表現するので。王子にも相応の感情があったのだと、安堵致しました。ありがとうございます。」

 よるはラインに感謝されるようなことは何一つした覚えがないのだが。

「ところで。聖女っていうのは?」

 ああ、とエドゥアルトは思い出したようによるに説明する。

「よるは異世界から現れて、見知らぬ我々の陣営の環境改善を行なったばかりでなく、俺の命をも救った。これを聖女と言わずして何と言うのだ?」

 いやいや。命を救ってもらったのはこっちの方で。とよるがこれまでの経緯を話していると、ラインは感心して、

「世の中にこれほど謙虚な女性がいるのですね。私ですら驚きです。」

 と漏らした。エドゥアルトはそれに大層気をよくして、

「そうだろうそうだろう。よるは大変聡く、慎ましやかで、尚且つ謙虚だ。こんな心の美しい女性を聖女と言わずなんと表現できようか。」

 いやいやいや、生きてきた環境以外は至って平々凡々なJKなんですけど。褒められ慣れてないからめっちゃ恥ずかしい…。穴があったら入りたいくらいだからもうやめて〜〜。

「ええと。エドは女嫌いっていうのは…?」

 よるはここぞとばかりに、いろいろな疑問を二人にぶつけてみることにした。

「おお。ラインがいるのにエドって呼んでくれた。じゃなくて。あれはただ単に結ばれたいと思う女性がいなかっただけだ。今はよるとなら結ばれたいぞ。むしろ結んでくれ。」

 よるはどんどん質問する。

「その、キャロライン姫とは?」

 結ばれたいと思えなかったのか、という話でだ。

「あれは姫という皮を被った化け物だ。田舎の仕立て屋を監禁してドレスを作らせ、挙句家族からの会いたいという要望も再三却下し、ついに仕立て屋を死に追いやった。他にも化粧に使う粉を作らせるために兵や民を危険に巻き込んで厭わない女だ。そのおかしさを指摘しない周囲も含めて、俺は付き合いきれん。」

 そんなことが、とよるは改めてエドゥアルトの民を思う心を汲み取った。

「エドは、民のことすごく考えてるよね、すごいと思う。」

 エドゥアルト自身は、ごく普通のことをしているだけという認識だっただけに、よるに褒められてすごく嬉しそうだった。

「民を幸せにできない王は、王自身も幸せにはなれん。」

 それだけは持論なのだと、エドゥアルトはそう呟いた。ラインもそれを知っているからこそ、エドゥアルトの信条に賛同しているが故に仕えている。

「そっかあ。エドはやっぱりすごいなあ。そこまで考えているなんて。」

 よるは思わず感嘆の声を上げた。そんなよるに対し、エドゥアルトが言い放った。

「そんな俺との将来を考えても良いんだぞ?」

 と。そういえば、愛してると言われたけど、返事ができないまま問題が宙ぶらりんになっていた。よるはまだ答えを見つけられずにいる。

「え。えと。」

 言い淀むよるに、エドゥアルトはそっと囁いた。

「離さない。」

 え?と聞き返したよるに、エドゥアルトは今度こそはっきりと聞こえるように言った。

「俺が離さないと言ったら離さないから覚悟しろ。」

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