第四話 無茶ぶりと忍び寄る黒い影

 エドゥアルトが陣営に帰り着いて三日。ラインは疲れ果てた様子で帰還した。

「首尾はどうだった?」

 というエドゥアルトの質問に対し、ラインは嫌味たっぷりに答えた。

「生きて帰れただけでも上々でしょう?」

 ラインは少し休むと言ってその場を後にした。流石のラインでも今回の件は骨が折れたらしい。

 と、そこへよるが食事を持って現れた。エドゥアルトのわがままの一環で、よるはエドゥアルトが不在でない時は、夕飯を一緒に摂ることになっていた。ここ数日、ラインだけが不在という初のパターンに戸惑っていたよるは、素直に感想を漏らした。

「今すれ違いましたけど、ラインさん戻られたんですね。結構疲れた様子でしたけど…。」

 というところまでで、よるの言葉は途切れた。エドゥアルトに唇を塞がれたせいだ。

 もうなんというか、ここまできたら慣れっこだが、不意打ちはやめてほしい。とよるは思った。エドゥアルトは相変わらずよるに入れ込んでおり、それは陣営の誰もが知るところだった。もはや公式カップルという認識まである。というのも、いつぞやよるに告白しようとしていた哀れな『害虫』や、あまりにも頻繁な呼び出し、皆が勘付かないわけがなかった。

 あの女嫌いとまで言われたエドゥアルト王子もついに身を固めるのか?という旋風が陣営を駆け巡った。一部女子からは、『ライン様以外の相手は認められない』という謎の敵意を向けられているとは露知らず、よる自身も『なぜ自分などに好意を向けるのだろう』と疑問だった。今日もそんな一日が終わろうとしている。

(ラインさんがいない間、何かピリピリしてたけど、それだけラインさんを信頼しているということなのかな?)

 今日も生まれる新たな疑問を、よるは口にはせず、ようやく解放されると食事に移る。エドゥアルトの行動は日に日にエスカレートしているような気がするが、よるは危害を加えられていた遠い記憶よりはだいぶ平和なので、余程無茶を言われない限りは応じるようにしようと思っている。

「よる、ここに座って。」

 ぽんぽんと叩いているのは、エドゥアルトの膝の上である。

(また変なお願い始まったー…。)

 食事を二人で摂るのに、膝の上に座る意味がわからない。今日はラインも帰ってきたこともあってか、上機嫌っぽいエドゥアルトの膝の上によるは大人しく腰掛ける。

「あーん。」

 エドゥアルトは、上機嫌そのままに、よるに子供っぽい催促をする。

(上機嫌すぎて、頭のネジ飛んでったのかな?)

 よるは、やや呆れたが、エドゥアルトも日頃の疲れとかストレスもあるのだろうと何も反抗せずに食事をエドゥアルトの口元へと運んであげた。エドゥアルトは、それに満足して、そのまま食事を進行する。よるは、自分の分を口に運んでは、エドゥアルトの食事を口に運び、という形になった。毎日要求されても困るなー、と思いつつ、不快ではなかったので今後もたまにならいいかな、という気持ちになった。

(ラインがいない間によるを襲ったらどうしようと気が気ではなかった。)

 エドゥアルトは己の欲望よりも、自制心が優ったことを少しだけ喜んだ。ラインが不在、それすなわち今のうちってことでは?止める者はいないし、何より普段天幕の外に控えている邪魔者がいないということだ。とエドゥアルトは何度思ったか知れない。しかしエドゥアルトも愚か者ではない。好きすぎるからと言って、よるを一方的に己の欲望のままにすることは、よるに嫌われることだと分かりきっていた。だからこそ、己を抑えることに成功したのだから。もしよるもそれを望んでくれたなら、その時は。

「王子、王子?起きてます??」

 おーい、とよるに呼ばれて、エドゥアルトは思考の海から我に帰った。食事が終わって下げてもらっている間に、盛大に考え事をしていたらしい。

 今日も可愛らしくて仕方のないよるだが、一つ過ちを犯していることに気づく。そっとよるの手を取ると、エドゥアルトは優しくだが、断固として許せない点を指摘するため語りかける。

「よる。今なんて?」

 え、という反応をするよるは、ただ呼びかけただけ、と答える。

(あまりに反応がなさすぎて、座ったまま寝てるのかと思ったのは失礼だったかな?)

 とよるが軽く反省していると、エドゥアルトは再び語りかけた。

「俺のこと、なんて?」

 え、そこ?と突っ込みたくなりつつ、よるは

「王子」

 と答えた。

「俺の名前、覚えてるよね?」

 よるは嫌な予感がした。この展開ってもしや。

「覚えてますよ。エドゥアルト様。」

「様はいらない」

「え、ええ?じゃあ、エドゥアルト。さん。」

 やっぱり呼び捨て展開〜〜!?身分違いすぎてそれは流石に断りたい…。とよるが思ったところで、エドゥアルトは首を横に振った。

「エドと呼んでくれないか?」

 まさかの呼び捨てどころか愛称!めっちゃ呼びづらい。まだ誰にもわからないようにカボチャとかピーマンにしてくれたらいいのに。よるが困った顔をしていると、エドゥアルトは少ししょんぼりとした顔で、

「ダメなのか?」

 と尋ねる。

 出た。エドゥアルト王子のおねだり上手。キスさせてって言われた時もこういう落とされ方をした気がする。ましてや、立っている自分に対して座って上目遣いで言ってくるところがもはや手練れなのかも知れない。

「え、エド。」

 よるはものすごい気力を振り絞って呼んだ。ラインが休んでいるため不在でよかった。聞かれたら一刀両断ものかも知れない。まだ首と胴体はさよならしたくない。

「よる。ありがとう。これからも二人の時だけでもいいから、そう呼んでくれると嬉しい。むしろ呼べ、もう命令だからな!」

 エドゥアルトはここ数日のピリピリした感じから解放されたせいもあり、この上ない上機嫌である。

(めっちゃ畏れ多かった〜。でも、誰かに嬉しいって言われたの、数えるほどしかないかも…。ちょっと照れるな。)

 よるが少し頬を染めていると、エドゥアルトはおもむろに立ち上がり、よるの額にキスを落とす。

「照れてる。可愛い。」

 エドゥアルトはなおもよるに対する愛おしさを増大させつつ、そのまま抱き寄せる。

「へぇ。あの専ら女嫌いで通ってたエドゥアルト様がお熱な女か。興味はあるな。」

 その声の主は、天幕からやや遠い茂みの中にいた。

「いやですわ、お兄様。あの方はわたくしの魅力に素直になれずにいただけよ。それを横から来て、ちょっと看病しただけの小娘を当て馬にして意地悪なさってるだけ。今度のことだって、きっと本気ではなくて、わたくしの心に変わりがないかを試してらっしゃるのよ。ここからじゃよく見えないけれど、あんなちんちくりんの小娘より、ずっとわたくしの方が魅力的に決まってるわ。」

 お兄様、と呼ばれた人物は、そうかい、と一つ頷くと、

「じゃあ、キャロライン。その魅力ってやつを、あの男に存分に見せつけてやらないとな。お兄様は、キャロラインこそあの男と運命で繋がっていると信じているぞ。お前のその自慢の美貌で、あいつを今度こそ骨抜きにしてやれ。二度と婚約破棄なんて言えないようにな。」

 キャロライン、そう。この度エドゥアルトから婚約破棄を言い渡された、隣国の姫。キャロラインは生まれた時からもう結婚相手が決まっていた。それが三つ上のエドゥアルトである。小さい頃から将来王妃になるのだと言われ続け、相応の教育も受けてきたし、何より皆がその美貌を讃えた。キャロラインはそれを信じ、美しさに磨きをかけてきた。あらゆる流行の最先端を取り入れ、ドレスもお化粧も、それはそれは頑張った。なんと言っても、田舎に超一流の仕立て人がいると聞けば、呼び寄せて宮廷に住まわせ、金に糸目もつけずに国一番のドレスを仕立てさせた。その仕立て人は、これ以上のドレスは作れぬと言い残して、首を括ってしまったが。お化粧も、人をやって辺境にしか咲かない花の粉で作ったものを用意させた。それはそれは入手困難だったものだ。最終的には手に入れたが。

 そうして花よ蝶よと育てられ、完璧にして迎えたお互いの顔合わせの日。

 エドゥアルトから放たれた言葉は、キャロラインが耳を疑うものだった。

「お前みたいなブス、死んでもごめんだね。」

 キャロラインは生まれて初めて浴びせられた暴言に、ひととき放心状態だった。そして気づいたのだ。 

(初めての胸の高鳴り…。これが、恋!?)

 今まで皆誰もが、キャロラインの美貌を讃え、寄ってきては返す波のように去って行った。だが、あの人は違う。なぜ暴言を浴びせられたかはわからないが、自分に媚びたりはしなかったのだ。ああ、わたくしは、あの方の横に立つために生まれてきたのだ。これこそ運命!…だと思ったのに。

 なんだあのちんちくりんは。婚約破棄?そんなの嘘か冗談に決まってる。きっと今、試されているだけなのだ。でなければ、わたくしは何のために生を受けたのか。もし本当にあの方に愛する女ができたというのなら。絶対に排除してやる。どんな手を使っても。そして結ばれよう。生まれた時から運命で繋がったあの方と。ずっとツレない態度を取っていたのも、きっと何かの手違いだ。わたくしこそが、あの方に愛されるに相応しい女なのだ。それ以外の結果は受け入れられない。

 それは、キャロラインの兄、のアルフレッドも同じ考えだった。

「お兄様。まずは、あのちんちくりんをどうにかしてくださいな。」

 アルフレッドはキャロラインに賛同する。

「いいぞ、可愛い妹よ。その気概だ。あの女は俺がどうにでもしてやるから、その間にエドゥアルトを陥落させるんだ。どんな手を使ってもな。」

 夜の茂みの中に、よからぬ企みが気持ちの悪い笑いを漏らす。

 だが、夜襲をかけるという手は使わずに、二人は翌朝堂々とエドゥアルトを訪ねることにした。下手に動けば、あのラインが黙ってはいないからだ。

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