第三話 決意
よるは考えていた。
『愛とは何か』について。
エドゥアルトの奇跡的な生還からよるは瞬く間に陣営のスターになった。別によるは特別な事をした覚えはないが、よるの必死の看病のおかげだと皆は口々に讃えた。一部では、異世界から降り立った聖女ではないかと噂する声まであるほどだった。
特に態度が激変したのは、そう、エドゥアルト王子その人である。元々信じてくれた時点から、悪意は向けられていなかったが、どこか警戒されていた節はあった。
それが今や、隙間時間を見つけてはよるに会いに来るようになっていた。事あるごとに、いやなくても、とにかく隙あらばよるを見つけては、天幕に誘い込み、キスのおねだりときたものである。
よるは最初は何事かと思ったが、ただキスして欲しかっただけ、と言われて拍子抜けした。またどこか具合でも悪くなったのかと心配しただけに、肩透かしを食らった感が大きかった。
(花のJKの唇は、安くはないんだけどなぁ…。)
まあ、よるにしてみれば置いてもらっているわけだし、別に拒否感も感じていないからなんとなくなあなあになっている。
けど。
(このまま流され続けていていいわけがない!)
流されていつも最後にはおねだりに負けてしまうよるだったが、実際のところ、エドゥアルトの気持ち、自分の気持ちがわからずにいた。
突然告白されてからはや幾日。よるはずっと抱えていたモヤモヤをとある人物にぶつけることにした。
「ラインさん、愛ってなんですか?」
いつものようにおねだりに負けて、エドゥアルトが所用で席を外した際、天幕の中でよるは独りごちた。
「え、なんで私に聞くんですか?」
天幕の一枚裏から、ラインが返答するあたり、よるは『王子様って怖い』と思う所以である。プライベートとかまるでない。個人情報保護とは程遠い世界!つまり、エドゥアルト王子の行動のほとんど全てを、ラインは把握しているのである。
(王侯貴族って大変な職業なんだなあ…。)
よるは感心してしまう。それはさておき、ラインはどう答えるのだろうか。
「…あの方の事ですから、近いうちに分からせてもらえますよ。」
ラインはボソリとそう言うと、エドゥアルトの帰還に合わせて気配を消した。
(ラインさんって相当切れ者だよね…。)
流石王子の腹心を務めるだけあるなあとよるはこれまた感心した。
「どうした、よる?」
なんでもないの、と首を横に振って、よるは天幕を後にして日常に戻った。
家庭を持ちつつ、ここで働いているものはいくらでもいる。でもよるには、その人々の日常を想像することはあまりできなかった。自分に経験のないものが多すぎて。
愛されるってどういうことなのか。
よるは全く理解が追いつかずにいた。学校でのいじめ、家に帰っても良い待遇は受けられなかった日々。『愛してる』という言葉を、素直に信じて受け入れてしまっても良いのだろうか。そもそも、自分はエドゥアルトの事をどう思っているかすら分からないのに?
(恋らしい恋もしたこともないのに、ね。)
真剣に誰かを想ったことなどよるには記憶にない。どうせ願っても無駄と諦め、ラノベの主人公やヒロインを見て、疑似恋愛を楽しんでいたくらいしかない。まさか自分がラノベみたいなことになるなんて、誰が思っただろうか。事実は小説よりも奇なり、まさにそれ。
では、ここで分析してみよう。
エドゥアルト王子のことは別に嫌いではない。命の恩人だし、感謝もしている。だが、恋愛感情を持って接しているかと言われれば、疑問である。そもそも、どこからが恋愛感情を持っていることになるのだろう?キスに関しては、恩返しした際のなんというか成り行きからの延長線上みたいなところがあるし、ただ、流されているにすぎない。自分自身の意志ではないことは確かであるが、流されてしまうあたり、実はもうダメなのかもしれない。
「う〜〜〜ん。」
よるが、陣営をうろつきつつ悩んでいると、不意に顔見知り程度の男性から声をかけられる。「ちょっと今、良いかな?」
特に用事もないので、問題ないことを伝えると、森に近い天幕の裏へ誘導される。
「あ、あのさ。俺、実はよるのこと…。」
モゴモゴと俯きながら何かを伝えようとしている男性が目線をよるへあげた瞬間、言い淀む。
「あ、ごめん。やっぱなんでもないです。」
男性はそそくさとその場を後にした。
「???」
よるが頭の上目一杯に「?」を浮かばせていると、背後の森の方からガサガサと何やら音がして、王子が現れる。流石にそれには驚きを隠せない。
「王子、そんなところで何を?」
王子はにっこりと微笑むと、
「いや、何。害虫退治さ。」
とよるの疑問にさらりと答えた。
(ゴキブリでも出たのかな?)
その真意は、よるには伝わることなく。すると、王子は唐突によるを抱きしめた。
「!!(何かされる…!)」
よるは咄嗟に身構えてしまった。それは元の世界で培った防衛本能に他ならない。しかし、エドゥアルトは、何をするでもなく、ただよるを抱きしめていた。
「…!(あったかい……。)」
よるは感動にも似た感情で、その温かさを確かめていた。誰かにこんな風に温かく抱きしめられたことなどなかった。感じたことのない温もりに、よるはつい涙してしまった。
エドゥアルトは、よるに涙の理由を問うた。
よるから語られた凄絶な過去に、エドゥアルトは驚きを禁じ得なかった。よるはここに来られて感謝していること、人々が温かく迎え入れてくれている現状を夢なんじゃないかと思っていることなどを話してくれた。
(最初に発見した時の痣、そういうことだったのか…。)
エドゥアルトは、順風満帆に育ってきたわけではないが、身内から暴力を受けたことなどない。それがどれだけ辛いことなのか、想像もできなかった。
よるの身を思う。その細く小さな身体で、一体どれだけの重荷を背負ってきたのだろうと考えると、エドゥアルトは、ますますよるのことが愛おしく思えた。
(彼女をこれから先幸せにするのは、俺しかいない。)
謎の使命感さえ携え、エドゥアルトはよるをもう一度抱きしめた。そして心に誓った。あの時見た夢の中のように、よるを、そして人々を笑顔にすることを。
そう、戦争を勝ち抜き、更にはよるを妃として迎えることを。
そのためにエドゥアルトはまず、ラインに事の子細を伝えた。ラインは特に反対はしなかったが、険しい道のりになることへの覚悟は問われた。
(覚悟?そんなもの、とっくにしているさ。)
エドゥアルトは、信じられないスピードで動き始めた。ひとまず、両親への申し送りである。
「国王陛下におかれましては…」
エドゥアルトは、嫌味なほどに恭しく始める。
「相変わらずだなエドゥアルト、不要な挨拶はやめて、さっさと要件を言いなさい。」
父である国王は、エドゥアルトをある程度評価してはいるが、慇懃無礼な態度はいまだに改めた方がいいと思っていた。
「はい、父上。では。この度我が国に聖女が現れました。これは大変喜ばしいことです。私はその聖女にすでに命を救われた身。この上は、戦争に見事打ち勝ち、その聖女と結ばれたく思います。本日は隣国の姫との婚約を白紙にしていただきたく参りました。」
見せたことのないようなニコニコとした笑顔で、エドゥアルトは朗らかに告げる。
国王は、はあ、と深いため息をつき、何を言い出すやらという顔つきであった。
「聖女だと?馬鹿馬鹿しい。そんなものはただの言い伝えに過ぎぬ。どこの馬の骨にほだされたのだ?隣国セントのキャロライン姫とは生まれた時からの許嫁。今更婚約破棄などできるはずもなかろうこともわからぬ愚息ではあるまいに。」
国王は鋭い視線でエドゥアルトを睨みつける。
「とんだ愚息で申し訳ありません、父上。しかし聖女の存在なくしては、私のこの命は今ここにはなかったもの。認めて頂けぬのなら、この命を以て聖女の礎となりましょう。私は戦場にて散らせていただきます。」
まさかの自殺宣言に、国王は目を見開く。
「このバカ息子め!目先の女に囚われて、国を滅ぼすつもりか!?」
激昂する父王を前に、エドゥアルトは徐々にペースを掴んでいく。
「国を滅ぼす?とんでもない。私はこの国を平和にし、人々の笑顔を取り戻すには、聖女の力なくしては達成できぬと申し上げているだけですよ。ひとまず、父上にはご報告しましたので、早速ラインを送り、姫との婚約破棄の件、隣国にも申し送りをさせていただきます。」
父王は憤慨しているが、エドゥアルトは次の戦があるので、と父王の怒りをスルーして退出した。
(さて、もう後には引けないな。ここからどうするか…。まずはラインの帰還を待つか。)
その場で首が飛ぶ前に、エドゥアルトはさっさと城を辞し、陣営に帰ることにした。
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