第二話 落とす前に落とされてることに気づきましょう
その日は土砂降りの雨だった。
だが、それを理由にパトロールを怠ることはできない。むしろ、こんな日こそ好機と捉える敵もいるかもしれない。
いつものようにエドゥアルトはライン他、供のものを連れて森へ向かった。強い雨で視界も悪いし、足元はどろどろで、馬たちも疲弊しているのがわかる。川縁の細い道へ差し掛かった時だった。パラパラと斜面から小石が落ちてきたのを確認したのも束の間。
「王子!!」
ラインの悲鳴にも似た叫びと、地鳴りはほぼ同時で、川に気を取られていたエドゥアルトは気づくのが遅れた。
落石である。
間一髪のところで直撃は免れたが、エドゥアルトは驚いた馬に振り落とされ、頭を強く打ったらしく、そのまま意識を失った。
よるは雨の日に良い思い出はない。
いや、それ以外の日も、天候など関係なく良い思い出なんて今までほとんどないけれど。
この日はなぜだが胸騒ぎがしていた。そしてそれは的中してしまったのだ。
エドゥアルト一行がパトロールに出かけた森の方が騒がしい。
「早く救護班を!」
次第にざわめきを増す群衆の中から、負傷者たちを手当てしている天幕の中にいるよるの耳にはっきりとそう届くまで少しの間かかった。その声の主はラインで、ライン自身も負傷しているようだった。
よるは救護を求めるライン達の方へ一目散に駆け寄る。ラインはよるや、他の看護や治療に携わるもの達の姿を認めると、力無く助けを求めた。
「王子を、早く王子の手当てを…!」
よる達は顔を見合わせて頷く。伝わったことに安心したのか、ラインはその場で気を失ってしまった。ラインの服にはあちこち誰のものかわからない血液が付着していたが、ライン自身は左腕を負傷しているようだ。幸い大きな出血は認められなかったと後から聞いた。
と言うのも、よるはラインからの伝言を受けてすぐさま森へと駆け出したからだ。
私が今ここにいられるのはエドゥアルト王子が受け入れてくれたからに他ならない。人生ゼロスタートができたのは、エドゥアルト王子率いるこの陣営のみんなのおかげなのだから。
よるは使命感さえ覚えつつ、負傷しているであろうエドゥアルト王子の元へと急いだ。
途中は死屍累々、息絶えた部下達の文字通り屍を越えていった。ラインが陣営まで辿り着けたのは、ひとえに王子を助けたいという気力の力だろう。
よるが到着すると、剣を構えた部下達が、一生懸命に意識のないエドゥアルト王子の警護をしていた。しかし、その部下達も、負傷しており、息も絶え絶えに、ただ意識を保って、王子が何者かに害されないようにと気を張っているようだった。
「皆さん!救護に来ました!今から助けます!だからもう少しだけ!耐えてください!!」
その言葉とよるの姿を目にした兵士たちから力が抜け、その場に頽れるのが確認できた。
エドゥアルトは夢を見た。平和になった国と、人々の笑顔、そしてその隣にー流れるような黒髪の女性の姿。見たことのないような愛らしい笑顔で、自分に微笑みかけている。
嗚呼、いつの日か、こんな日を迎えられたら最高だ。戦争に疲弊した人々の顔はもうたくさんだ。こんな風に、平和が訪れるなら、今戦っている自分も報われる。ふと、隣の女性が自分の手を引き、どこかへ誘う。その手に引かれていたはずが、ちっとも追いつけず、いつしか女性はどこかへ去っていってしまった。一人真っ暗闇に放置され、振り返るとそこは屍の山だった。今まで屠ってきた敵国の兵士たちの、嘆きと怒りが体現されたようなその光景に、エドゥアルトはなんとなく、自分もこの山の中の一人なのだと思い始め、そちらへ向かってフラフラと歩き出していた。そんな時だった。
(呼ばれている、気がする。)
そう、遠く彼方から、自分を呼ぶ声が聞こえてくる気がするのだ。呼ばれている気がする方を見ると、光が差しているように見える。
人間誰しも、光さす方へ歩いていくのが本能なのではないかとエドゥアルトは勝手に思っている。遅々として進まぬ重い体を引き摺りながら、懸命に声のする光の方へとただひたすらに歩いた。
よるは毎日祈りながら意識の戻らぬエドゥアルトの世話を必死に続けた。医師の見立てでは、頭を強く打っている可能性が高いと言っていた。この世界の人々には、レントゲンや、CTスキャンといった技術がないため、検査ができないのだが、よるは脳出血や頭蓋骨骨折などがないかと心配していた。この世界の医療はよるのいた世界よりはあやふやで、回復を待つしかないことがもどかしかった。
当然点滴なども発達しておらず、薬を飲んでもらうには口移しという古典的な方法しかなかった。なぜか意識を取り戻したラインから、薬を飲ませるのならよるが適任という謎のご指名を受けてしまい、よるはそれを受け入れた。
(命の恩人、だもんね。今度は私が返す番なんだから。)
医師から手順を説明してもらい、よるは投薬を開始した。
そして寝ずの看病を続けること三日三晩が過ぎた。
「ん…。」
朝の静謐な空気を感じる。エドゥアルトは今までいた泥のような世界から抜け出したと感じた。試しに目を開けてみる。いつもの見慣れた天井だ。起き上がろうとーして失敗する。激しい眩暈。そういえば落馬して頭を打った気がする。
「…王子?」
そっと声をかけてきたのはラインだ。ずっと側に控えていたようだ。見れば、左腕を手当てされた形跡がある。
「ライン、怪我の具合はー」
お互い状況を確認しようとしたところで、ラインが唇の前に人差し指を立てて静かにするよう促す。そしてラインとは反対側のベッドの端を指さして何かを訴えている。
見ればそこにはベッドの傍らの椅子から転げ落ちないように器用な体勢で寝息を立てているよるの姿があった。
(あ、この黒髪、あの時のー)
そう、夢の中で微笑みかけていたのは、
「きみ。だったのか。」
エドゥアルトの独り言に、ラインは不思議そうな顔をしていたが、医師にエドゥアルトが目覚めたことを知らせに行くと言って退出した。
よるはなおも静かに寝息を立てている。エドゥアルトは今度はゆっくりと身を起こすと、よるに軽く口付けをした。
「?んん??」
流石に異変を感じてよるは目を覚ます。そして目の前に、意識を取り戻したエドゥアルトを認めると、喜びのあまり涙を滲ませながら思わず抱きついてしまった。
「王子、王子。お目覚めになったんですね、よかったあああ〜〜」
ここへ来てから数週間。すっかり陣営の民と馴染んでしまって、一庶民になっているよるだが、エドゥアルトが今、それを許すはずがなかった。
「よる、心配かけたな。ところで、ずっと俺の世話をしてくれていたのか?」
エドゥアルトはさりげなくよるを膝の上に座らせる。
「あ、そう、ですね…。だって、心配したんですから…。」
よるはまだ感動が抜けないらしく、潤んだ瞳でエドゥアルトを見上げている。と、そこへ明るい声が入ってきた。
「よるさ〜ん。今朝のお薬、よるさんが取りに来ないからって、先生が…。」
よるによくしてくれる看護仲間の一人だ。彼女には家庭があり、エドゥアルトがよるを膝に乗せているのを見て何かを察したらしく、
「じゃ、ここに置いておくから。お邪魔しました〜!」
と言って去っていってしまった。
「え、あれ?お邪魔って??おーい。王子がお目覚めに…むぐっ」
状況がいまいち飲み込めていないよるを、エドゥアルトが制する。
「せっかく気を遣ってくれたんだ、台無しにするのは失礼だろう?」
エドゥアルトはいい加減猫をかぶるのはやめた。今までよるをどう陥落させようかと考えていたが、そうじゃない。俺はよるが欲しい。そうだ。そういうことだ。
「ところで、あれは薬湯だな?俺は三日ほど意識がなかったそうだが、どうやって飲んでいたんだろうな?」
おおよそ事情を察しているからこそ、エドゥアルトは意地悪くよるに問いかける。
それは、とよるが少し頬を赤らめたところで、エドゥアルトは一気に攻勢に出る。
「気になるから、再現してくれないか?」
と。
「え!さ、再現?今ここで??」
よるは何で、という顔をしている。
「そ。再現♡」
エドゥアルトはどこまでも意地悪くよるを追求する。
よるは気恥ずかしさと、でもエドゥアルトが目覚めたという嬉しさとでパニックになりかけていた。
そして、その混乱の中で、エドゥアルトの術中に嵌ってしまったのだ。
ここ数日、そうしてきたようにエドゥアルトに口移しをする。すると、エドゥアルトはよるの首に腕を回し、がっちりホールドしてしばらく離してくれなかった。
「んっ、んん!」
よるが抗議してもお構いなしである。ようやく離すと、エドゥアルトはおもむろによるに告げる。
「愛してる。」
よるは驚きのあまり、目を見開く。
「ごめん、今言わないと後悔する気がした。」
エドゥアルトは、今ある正直な感情を全てよるにぶつけた。
程なくして、ラインが医師を連れて戻ってきたことにより、その場は解散となった。
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