面影

ルリア

面影

敷かれた線路のうえを定期的なふりをして不定期な揺れ、均一にみせかけて不均一な音を鳴らす電車に閉じ込められた僕はその揺れに身を委ねて、その音を聴いている──窓の外を見る気にもなれない。

いや、 見なくてもそこにどんな景色があるのかを、僕は知っている。


春には枯れ草ばかりだった土色の地面から顔を出した新緑と、同じく土色だけをまとっていた木が、そのいくつもの枝のさきを薄い桃色で彩っていること。


夏にはどこまでも広がる一面の緑、空っぽだった水田に張られた水が空の色と周りの緑を映してきらきらと輝いていること。


秋には重くなった頭のさきを誇ったように垂れさがる小麦色と、これから訪れる季節に向けてその身にエネルギーを蓄えるべき広葉樹が葉を落とす準備をして緑から紅葉へと変化し、その景色を鮮やかにしていること。


冬には音がなく、どこまでも静かに穏やかで──しかしあらゆる生物の活動をゆるやかにさせる冷たく白い雪化粧が、一種の励ましのようにまぶしく佇んでいること。


ぜんぶ、知っている──ぜんぶ、あなたと、見たから。


*****


数日前、カーラジオから流れてくる天気予報番組で、聞き慣れた声のアナウンサーが梅雨入りをしたことを告げていた。

その声を聞きながら僕は、車の外に目をやり、どんよりと厚い雲に覆われた灰色の曇り空を確認した──雨は降っていないものの、冬が終わり、いつの間にか訪れていた春の恩恵がよくわからないまま、徐々に上がり始めた気温にじっとりとした湿度が混ざった空気は感じていた。

この季節の気温と湿気は、どうやらこの世界のありとあらゆるものとの親和性が高いようで、逃げようとしても執拗に身体につきまとってくる。


不快だ──


まだそこまでまとわりついてくる湿度を感じていなかったくせに、僕はあのとき、何かを思い出し、それを振り払うかのように車のエアコンの除湿のスイッチを入れた。


あらためて数日前に感じたその不快さをまたじわりと思い出し、ぼんやりと「どこかへ行ってしまいたい」とふらりと家を出たものの、目的地は決めていなかった。


決めていなかったくせに、僕はいま、電車に乗っている。


どこでもいいからどこか遠くへ、なんて考えていたわりに、僕が乗り込んだこの電車の終着駅は僕がよく知っている土地だ。


終着駅に着き、電車から降りた僕はまた、以前見たときとは景色がすこしだけ変わっていることに気づく。

あったはずのものがなくなり、なかったはずのものができている──時間の流れは、僕以外のひとたちがよかれと思って積み重ねてきたものや、僕以外のひとたちがつくってきたものを突然見せつけられたときに、とても重くのしかかってくる。

また、僕の知っている景色がひとつ、変わってしまった──この世界に変わらずに存在するものなんてひとつもありません、これが「いま」です、と、当然の顔をしながら堂々とその姿をさらしている。


改札を抜け、ロータリーへと向かう。新しい景色に酔って迷子になりそうな僕を導くのはもう、僕の記憶のなかにしかないのかもしれない。

そう思っていたのに、僕はロータリーに停車していたバスに無意識に乗っていた。何も調べずに来ても、結局はまだ、身体が覚えている。変わってしまった景色のなか、まだ残されているバスの時刻表のような無形のシステムは、この土地でもまだ捨てられていないらしい。


電車に揺られていたときとは違い、今度は窓の外をしっかりと見る。


あのときの春は、「ほら、桜が咲いたよ」と言って、なにがおもしろいのかわからないまま花見に連れて行かれた。

まだ少しだけ肌寒い桜の木の下で「やっと暖かくなってきたなあ」とおにぎりを美味しそうに食べる横顔を見るのが、僕は好きだった。「まだ寒いよ」と言うのが、僕の決まり文句みたいになっていた。


あのときの夏には、蚊取り線香を焚きながら花火をした。

「夜になっても暑いなあ」って笑いながら、冷えたスイカを食べて、「種を飲み込むとおへそから芽が出てくるぞ」なんて言ってあなたは僕を脅した。

大人になってからそれを思い出し、あれはからかっているときの表情だったんだなって思ったら、すこしだけ悔しかった。


あのときの秋には、虫を捕りにいった。虫を嫌がる僕にあなたは「虫がこわいなんて、軟弱に思われるぞ」って言いながら、いくつもの虫を捕まえて見せてくれた。

一面の小麦色にまぎれてうまく虫を見つけられずにいた僕に、虫の見つけ方のコツを教えてくれた。べつに捕まえたいなんて思っていなかったけれど、教えてもらって見えなかったものが見えるようになるのは、おもしろいと思った。


あのときの冬には、こたつに入ってテレビを見ていた。あなたは「寒いから外になんて出たくない」ってぼやきながら、一日じゅうほとんど動かなかった。それでも、年末年始はいっしょに神社へお参りに行ったし、買い物にも連れて行ってくれた。

「内緒だよ」っていいながらくれるお小遣いは、あっと言う間に使ってしまった。


僕はいま、バスに揺られながら面影を探している──さよならも言えずに逝ってしまった、あなたの。


きっと僕以上にあなたは、いま僕が目にしている景色の変化を見ているはずで、だから僕は、目を凝らしたらそこにはあなたがまだどこかで無邪気に散歩でもしているのではないかと考えてしまう。

ひとつ、またひとつと季節がすぎていくたびに、あなたがいたそれらの時間から僕がすこしずつ遠ざかっていっていることを、どうしても認められずに。


──どんなにあなたの面影を探しても、それはもう、ここにはないと、ほんとうはわかっているのに。


バスの運転手が、目的地がなかったはずの僕の目的地の停留所を告げる。

僕は降りる意思を示すボタンを押す──降車ボタンにも、あなたの面影がちらつく。


バスを降りて見慣れた道を急ぐ。梅雨入りしたとはいえ、きょうは雨が降っていなかった。


木々に覆われた山の間に敷かれた道、すこしだけ急な坂を上がりきって、右に曲がる。しばらくまっすぐに進んで、今度は左に曲がる。

舗装された道から、土がむき出しになっている場所に足を踏み入れる。

お世辞にも手入れされているとは言い難いけれど、あたりはそれなりにきれいに整っていた。


目の前に石畳が見えた僕は、足元ばかり見ていた視線をまっすぐ前に向ける──そこには、あなたの眠る場所を示す墓石が、以前見たときとまったく変わらない姿でそこにあった。


──花のひとつでも買ってくるんだったな


そう後悔してももう遅いのだけれど。


「会いに来たよ」



ざわり、と、木々が揺れた。




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面影 ルリア @white_flower

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