第6話

******



香菜江かなえさん香菜江さん。おはよう」


「あ。おはようございます、優香ゆうかさん」


 朝、通勤途中、いつものように優香さんが家の外に出ていた。理沙りさちゃんの見送りが終わったところなのだろう。

 先日、逃げ帰るようにして別れたばかりなので、気まずい。いや、気まずさを感じているのは、わたしだけのようだ。優香さん、普段と変わらず、ふんわりとした笑顔をしている。


 通勤途中ってこともあって挨拶だけで済むのかな、って思ったら、優香さんが歩み寄ってきた。


「あの、急いでるところごめんなさい。これ、渡したくって……」


 優香さんは唐突に長方形の箱を取り出して、わたしに差し出してくる。綺麗にラッピングされたそれは、どうみてもプレゼントのたぐいだ。

 わたしは、咄嗟とっさに受け取ったものの、箱と優香さんの顔を見比べて固まってしまった。


「えっと、これは……?」


「私なりに、お返し。香菜江さんに色々してもらったり、頂いたりしてるから」


「いいって言ったのに……。でも、その気持ちが嬉しいです。ありがとうございます」


 心が痛む。

 優香さんのあれこれを勝手に想像して、勝手にメンタルがやられていたわたしにプレゼントをくれるなんて。先日の別れ際も、失礼な態度しちゃってたはずなのに。優香さん、すごく優しい人だ。やっぱり、わたしはこの人のことが大好きなんだって実感した。


「でもね、私、贈り物とかあんまりしたことがなくて。香菜江さんも趣味がないって言ってたから、何をあげていいかわからなくって……。もし、いらない物だったら、誰かにあげるなり、捨てるなりしちゃっていいからね?」


 優香さんの念押しがすごい。丁寧に予防線の網を張り巡ってくるので、中身がすごく気になる。


「捨てるなんて……。ちょっと中身、見てみていいですか?」


「もちろんよ」


 このやり取り、わたしが理沙ちゃんにプレゼントしたときの流れと同じだな。

 思い出して、心がほっこりする。


 わたしのために見繕ってくれたものとは、なんだろうか。


 優香さんが選んでくれたものだから、包装紙すらも愛着が湧いてしまう。彼女の想いを破いてしまうような気がして、ビリビリとはいきにくい。わたしは丁寧に、包みを剥がしていった。


 が、ワクワクもつか。出てきた物を見て、わたしは硬直する。


「あっ、ご、ごめんなさいね。プレゼント準備する時間もあまりなかったし、本当に何がいいかわからなくって……お仕事の邪魔にならないものがいいなって考えたら、そんなものしか思い浮かばなくって」


 わたしがあまりにも固まっていたからか、優香さんは早口で謝罪を述べた。だいぶ慌てているみたいだ。

 好意を無下むげにしてしまったか、と思い至り、焦りながら笑顔を浮かべる。愛想笑いになっていないといいけれど。


「いえ、本当に気持ちが嬉しいです。ただ、わたしはつけない物なので……家に飾ってでもおきますね」


「あっ、つけない……のね。ごめんなさい、私無知で……。そうだよね、女性だものね。そういえば、香菜江さんがつけているの、見たことなかったかも……」


 優香さんが贈ってくれたものの正体は、ネクタイだった。

 わたしはいつもスーツを着用しているし、普通にスラックススタイルなので、似合うと思ってしまうのも無理はないか。

 まあ、女性会社員の全員が全員、ネクタイをしないってこともないだろうが。少なくとも、わたしの周囲にはあまりいないな。


「そんなに落ち込まないでください。わたし、誰かからプレゼントもらったことなかったし、本当に嬉しいですよ」


「なんか、押し付けちゃったみたいでごめんね。次は香菜江さんの好きなもの贈りたいから、また後ででいいから、好みのものとか教えてね?」


「あはは、そうですね……。では、会社行かないと……。ネクタイ、ありがとうございました」


 ふぅ。

 会社を理由に、場を去れてよかった。


 わたしの心は、ネクタイによって、更にえぐられてしまったのだから。

 だって、優香さんがプレゼントにネクタイを選んだのって、たぶん男の人がそばにいた影響だよね? わたしの勝手な妄想なのかもしれないが、元旦那か何かが会社員だったと考えるのが自然だ。


 結果的に、連日でメンタルにダメージをくらってしまった。


 うぅ……。どこかでぱーっとやらないと、だめかもしれないな……。



******



「飲みすぎた……」


 頭がぼんやりする。

 視界がゆがみ、まっすぐ歩けない。


 わたしは、暗い路上を千鳥足ちどりあしで進んでいた。


 ――会社の飲み会に、久しぶりに参加してしまったのだ。

 

 普段はいつも断っている飲み会だが、今日は無性に酔っ払いたい気分だった。

 

 だってこの一週間、優香さんの過去を想像してしまい何事も手につかなかったのだ。仕事も何件かヘマをする始末。その上、プレゼントでもらったネクタイのこともある。何もかも忘れて、酒におぼれたかった。

 

 時刻はもう23時。

 明日が休みとはいえ、飲みすぎたな。同僚も驚いていた。わたしが飲み会に参加するのもそうだし、やけ酒のような飲みっぷりだったので、ドン引きだったに違いない。しかも、特に同僚と話をするわけでもなかった。優香さんのこと、誰かに吐き出したほうが楽になれただろうか。


 思考と酔いで脳みそがぐわんぐわんと揺れる。


 気づけば、いつもの通勤路に差し掛かっていた。

 そこには、真夜中にもかかわらず人影があって――。


「ちょ、ちょっと香菜江さんっ! どうしたの、こんなになって」


 慌てて駆け寄ってきた人物は、花の香りをともなっていた。

 

 ……優香さんに受け止められたわたしは、彼女の柔らかい肢体したいを全身で感じる。温かくていい匂いのおまけつきだった。


「あ、こんばんは。優香さんこそ、どうしたんですか。こんな時間に外に出て、危ないですよ」


 よかった。ろれつは回るみたいだ。

 ただし、優香さんの顔を直視できないけれど。それはわたしのメンタルが弱いせいなのか、はたまたお酒のせいで視界が定まらないからなのかはわからなかった。


「私は玄関先にいただけだから、危なくなんてないわよ。それより、香菜江さんのほうが危なっかしいわ。香菜江さんだって女の子なんだから、お酒を飲んだ後に一人で歩いていたら事件に巻き込まれちゃうわよ」


 優香さん、普段のおっとりとした声じゃなくて、語気が荒めだった。理沙ちゃんをしかっていたときのような、真剣な声音。

 わたし、もしかして優香さんに心配をかけてしまったのだろうか。


「すみません……。今度からはタクシーを呼ぶようにします……」


「うん、そうしてくれたほうが私も安心だわ。それより、今日はちょっとうちで休んでいって? ほら、お水用意するから」


 なかば強引に、優香さん宅へ引きづられる。

 以前のこともあるし、酔いもあるしで、変なことが口から出してしまいそうで怖かった。

 けれど、優香さんに構ってもらえて、心配してもらえて、嬉しい気持ちもあった。情緒が安定しない。恋って怖いんだなって思った。


 室内の様子も、前に会ったときとなんら変わらないように感じる。理沙ちゃんはすでに就寝済みだろうから、ひっそりとしているし、明かりも最小限。

 前回と違うところといえば、居間でお水を出してもらっているところだ。


「優香さん、まだ起きてたんですね」


「今日は……いつもの時間に、香菜江さんを見かけなかったから。遅くなっているのかな、って気になっちゃって」


 まさか、わたしのことを気にかけてくれていたなんて。しかも、いつもの時間、って言ってくれるあたり、普段から気に留めてもらえていたことが伝わってきて、心が温まる。お酒の後に飲むスープ類よりも、極上の気分を味わえた。


 気持ちがたかぶってしまう。

 優香さんに、わたしの想いを全部打ち明けたくなる。


「あはは……ラインとかで聞いてくれてもよかったのに」


「あ、そう、よね……。でも、毎日、窓から香菜江さんが帰ってくるところ見ているから。今日はまだかな、って勝手にソワソワしちゃうの。だから今も、寝る前に窓の外見ていたら香菜江さんが帰ってきたから……慌てて出てきたのよ」


 どうして、ホステスかと思わせるほどの話術でわたしの心を揺さぶってくるんだ。

 グラグラと振り子のように揺れる今の気持ちで好意をささやかれたら、酔いの勢いに任せて押し倒してしまいたくなるに決まってる。

 

 わたしは必死に自我を保つ。

 水を一気に飲んで、深く息を吐いた。


「香菜江さん、今日はどうしたの? お酒、あんまり飲まないイメージだったけれど。何か大変なことでもあったの?」


「ん……まぁ、なんでもないですよ。仕事の付き合いってやつです」


 優香さんは、眉をひそめる。もしかしたら、お酒、相当臭ってるのかも。

 けれど、そうではなかったようだ。どうやら、わたしが本心を言っていないと思ったらしい。その通りではあるが……優香さんのことで思い悩んでいました、とは口が裂けても言えないしなぁ。でも、心がモヤモヤする。優香さんを前にすると、気持ちが落ち着かなかった。


「あんまり溜め込んではダメよ。私は香菜江さんにたくさん助けられているから、今度は私が香菜江さんを助けたい。つらいことがあったら、何でも言って?」


 だめだ。

 情緒じょうちょが不安定なときに優しくされたから、感情が止まらなくなりそうだ。

 防波堤ぼうはていにせき止められていた波が氾濫はんらんして、一気に押し寄せてきた気がした。


 ドン、っと鈍い音が室内にこだまする。


 わたしの眼下には、優香さんがいた。

 本当に押し倒してしまった。もう、頭で考えることは何もない。


「辛いことなら、あります。あなたのことが好きで好きで……辛いんです。お酒の勢いで言うのは卑怯かもしれませんが、もう我慢できません。優しすぎる優香さんがいけないんですよ……。ずっと恋してました、あなたに」


 みるみる優香さんの顔面が赤くなっていく。まるで、酔っ払っているのが優香さんに移ってしまったみたいだ。

 

 優香さんは、わたしから目線をそらし、口をもごもごと動かす。が、言葉にならないみたいだった。


「……すみません。困りますよね」


 少し、冷静さを取り戻す。とんでもないことをしでかしてしまったな。

 優香さんの上から離れようとして――そでを掴まれた。瞳が交錯こうさくする。


「ほ、本気、なの……?」


「もちろんですよ。優香さん、何度も聞いてきたじゃないですか。どうして親切にしてくれるのか、って。今なら包み隠さず言えます。あなたのこと愛していたからだ、って。わたし……ずっと下心があったんですよ」


 お酒の力はすごかった。何でもスラスラと言える。

 しらふに戻ったとき、凄まじく後悔するのかもしれない。でも、自分を止めることができなかった。


「そっか……そうだったのね……」


 優香さんは、納得したように頷いていた。

 嫌がっているようには見えない。都合の良いように解釈しすぎだろうか?

 いや。躊躇ちゅうちょしていてはだめだ。もっと攻め込まないと。


「優香さんは、女同士なんて変に思うかもしれないですけど。こういう愛もあるんです」


「え? 全然、変に思わないわ。むしろ、すごく嬉しいし、理想かも……」


「そうなんですか? 優香さんって、理沙ちゃんを産んでいるくらいだから、男性との再婚を望んでいるのかな、って不安だったんです。よければ、わたしと――」


「ちょっと待って。……香菜江さん、もしかして、盛大に勘違いしてる?」


 わたしがプロポーズをしようとした瞬間、優香さんの手で口元をふさがれた。


 せっかくいい雰囲気で。プロポーズ受け入れてもらえるかも、ってドキドキしていたのに。流れが変わった。


「勘違い?」


「んっと……。私、理沙を産んでいないし、再婚っていわれても……そもそも、結婚したことないわよ?」


「……え?」


 酔いのせいか?

 優香さんの台詞、何一つ理解できないぞ。


 様々な情報が脳内に飛び込んできたわたしは、さすがに脳みその稼働限界を突破してしまったらしい。再び世界がぐるぐると回りだして、天をあおいでしまった。

 視界いっぱいに、優香さん宅の天井が映る。そして、そのままブラックアウトしていった……。

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