第3話
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来た道を戻り、優香さん邸に帰還する。
外観は、普通の一軒家だ。一階建てで、貸家ではないだろう。充分な暮らしをしているといえる。
毎朝、出勤時に見ているはずの家なのに、今はまるで違う建物に見えた。
わたし、泥棒みたいにオドオドしてるかも。
「香菜江さん、どうしたの? お荷物ずっと持ってもらっちゃったから、疲れちゃった? ごめんなさいね、重たいもの持たせてしまって」
優香さんがわたしの挙動不審を
「いえ、平気です! すみません、よそのお宅にお邪魔するの、久々すぎて。ちょっと戸惑ってしまいました」
嘘ではなかった。
わたしは、人生で一度たりとも恋人がいたことないし、友人でさえろくにいなかった。勉強と仕事づくめの日々だ。
その人生を捧げているかのような仕事でさえ、付き合いの飲みを断りまくるせいで、今やもう誰もわたしを誘わない。孤独が好き……ってわけでもないのだが、異性と関わるのは面倒だ。
同性である女の人は恋愛対象になってしまうから、二人きりになる機会がめったにない。よって、一人でいることが普通になってしまった。難儀な人生である。
「そうなの? 香菜江さん、人気者っぽく見えるのに、意外だわ。特定のお相手とかがいるのかしら」
「いや、全然独り身です。ずっと一人だから、優香さんが朝、挨拶してくれて、とっても嬉しいんですよ」
「香菜江さん、素敵な方なのにもったいないのね。私の家では遠慮すること何もないし、くつろいで大丈夫よ」
優香さんは本当に優しい。おっとりしているし、悪人に騙されていないか不安になるレベルだ。もしかしたら、前の男にも何か騙されたのかもしれないし。やっぱりわたしが、しっかり守ってあげないといけないな。
優香さんに
家の中も、至って普通だ。いや、これが優香さんの家の匂いか、って意識するとめちゃくちゃドキドキとするので、わたしの脳内は普通って感じじゃないけど。内装は本当にありふれた景観をしていた。
わたしは、目ざとく玄関をチェックする。靴は、優香さんのものと理沙ちゃんのものしかない。……もしかしたら、靴を収納してある棚の中に男物が置いてあるのかもしれないが、いくらなんでも開けて調べる無作法はできるわけがなかった。
靴以外にも、男性の気配は何一つない。誰かが以前に住んでいた形跡すらなかった。結婚生活を送っていたのは、だいぶ昔のようだ。もしも死別だったならば、形見として残っていてもよいものだが、玄関で得られる情報はこの程度か。
「なにか珍しいものでもあった?」
優香さんは、それこそわたしが珍しいものかのように、
わたし、気づかないうちに玄関のチェックを
「あ、いや……。ずっと二人で暮らしているのかなあ、って思って」
「え? そうねぇ、理沙を
ん、理沙ちゃんが生まれてから二人暮らしってことか。もしかして、優香さんを妊娠させてしまったから、男が逃げたってことか? だとしたら、そいつは死罪に値するな。
かといって、相手のことを優香さんに直接質問するのも
いつまでも玄関で立ち尽くしているわけにはいかない。
わたしは、意を決して優香さんのお宅に侵入した。気分は、敵城を視察する兵だ。優香さんの情報を、
「そんなにキョロキョロしても、面白いものないわよ?」
「ご、ごめんなさい。自分の住んでる部屋と別物でしたから、気になっちゃって」
わたしは何度注意されればいいんだ。優香さんが優しいから険悪にならないだけで、普通の人だったならば追い出されてもおかしくはないぞ。他人の家をジロジロ眺め回すなんて、失礼にもほどがある。だけど、気になって気になって仕方がない。
わたしは深く息を吸って、呼吸を整える。
優香さんに案内され、リビングでお茶を待つことになった。
リビング内は、主に理沙ちゃんの私物でいっぱいだった。座布団も子供用のかわいいキャラクターが描かれたものだったり、他には女児用のおもちゃが散乱している。そして、ここにも男性の痕跡は何一つなく、死別ではないことが確信になろうとしていた。
なにせ、写真立てもあるのに、写っているのは優香さんと理沙ちゃんだけのものだ。二人は親子として仲
「こんなものしかなくて、ごめんなさい。来客、あんまりないものだから」
「いえ……いきなりお邪魔してしまってすみません。理沙ちゃんって、お出かけが好きなんですか?」
優香さんが差し出してくれた紅茶を一口
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。理沙ちゃんに好かれることができれば、自然と優香さんとも親密になれるはず。だからこそ、好みもリサーチしておかねばならないのだ。それに、将来、優香さんと暮らすことができれば、理沙ちゃんもわたしの娘だ。嫌われるようなことがあってはならない。
「えぇ、そうねぇ。お休みの日は、どこかに連れてって、ってうるさいのよ。ま、一緒になって私も楽しんじゃうのだけど」
「理想のお母さんですね、優香さんって。じゃあ今度、三人でどこかに行ったりもしましょうよ」
わたし、こんなに積極的だったかな。優香さんを前にすると、口が勝手に動き出してしまう。自分を律することができないほど、何かを欲しいと思ったことなんてなかった。欲望ってとてつもないほどの活力になるんだな、って実感した。
「私は構わないけれど……理沙、うるさいわよ? 香菜江さんの迷惑になってしまうかも」
「あはは、
「う~ん……香菜江さんは綺麗な女の人だし、大丈夫じゃないかしら。理沙、綺麗な女性を見ると喜ぶのよねぇ。だから、香菜江さんが遊んでくれるなら、こっちとしてもありがたいんだけど」
「綺麗な女性、って……わたしなんか……おしゃれには
口に出すだけで、顔から火が出そうだ。
「私だって、おしゃれはあんまりわからないわよー。子育てしていると、自分のこと後回しにしちゃって。身だしなみ、整ってるか不安になっちゃうわ。香菜江さんは、いつもパリッとしたスーツ着ているし、美人で格好いいから理沙もなつくと思うのよねー。私だって、街で見かけたら香菜江さんにふらふらついていっちゃいそうだし」
優香さん、コロコロと笑いながら褒めてくれる。
容姿を褒められるの、異性にされたことはあるけど、全然嬉しくなかった。でも、優香さんに褒められると、床に転げ回りたくなるくらい幸せだ。告白されてしまったのかと勘違いしてしまうくらいには、舞い上がっている。
無論、彼女はお世辞で言ってくれているのだろう。だって優香さん、女性に恋心を抱くわけないよね。子どももいるくらいなんだし。
「優香さんにそう思われていたなんて、嬉しいです。それに、家に入れてもらえるくらい仲良くなれて、感激ですよ。ちょくちょく会いにきてもいいですか?」
「ぜひ、そうしてほしいわ。お夕飯とかも食べて行って欲しいくらい。私も、この歳になってお友だちができるとは思ってもいなかったし、なんか浮かれちゃうわ」
お友だち……。いや、当たり前のことなんだから、ショックを受けちゃだめだ。ステップアップしていけばいいんだ。というか、挨拶だけの関係からお友だちになれたんだから、距離はかなり縮まったじゃないか。
「わたしも、浮かれてます。夕飯ご一緒したいですけど、次回でいいですか? 準備大変そうですし、理沙ちゃんも驚いちゃうかもしれませんし。わたしも、明日仕事ありますから」
本当は、夜まで居座りたかった。
けれど、準備は入念にしたい。理沙ちゃんへのプレゼントとか用意したほうが、確実に嫌われないですむだろうし。
だって、家に帰って知らない女の人がいたら、小さい女の子って驚いちゃうかもしれない。しかも、その得体のしれない女が自分の母を狙っていて、仲良さそうにしていたら良くは思わないんじゃないかな。
理沙ちゃん、何が好きそうかはリビングを見渡してそれなりにリサーチできた。次に会う時までには絶対に用意する。
「そう? 残念……。次はいつ頃会えるかしら。ふふ、私ったら、香菜江さんと一緒にいるの、とっても楽しいみたい。もう次のこと考えちゃってる」
優香さん、頬を赤らめてはにかむのだから、わたしはノックダウン寸前だった。とんでもない破壊力の笑顔だ。美人すぎる。今にでも押し倒して、えっちなことしたい。もしかして優香さん、天然のたらしか? そんな反応されたら、老若男女、惚れるに決まっているだろう。罪作りな人だ。
「わたしだって楽しみですよ。次は、土日なら時間を気にせずお会いできます。理沙ちゃんにも一応聞いておいてください」
「ええ、わかったわ。香菜江さん、体に気をつけてお仕事してね」
はぁ、優香さん最高。お嫁さんにしたい。
彼女の一言だけで、一週間仕事頑張れそうだ。
次は土曜日をめどに約束を取り付けた。理沙ちゃん次第で予定がずれるかもしれないとのこと。
さて、今週は仕事帰りに、理沙ちゃんへのプレゼントを選別しないと。優香さんにも、贈り物したいな。
どうにかして、女として意識してもらわねば。それと、理沙ちゃんにも受け入れてもらう。
やる気でてきた!
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