第3話

******



 来た道を戻り、優香さん邸に帰還する。


 外観は、普通の一軒家だ。一階建てで、貸家ではないだろう。充分な暮らしをしているといえる。


 毎朝、出勤時に見ているはずの家なのに、今はまるで違う建物に見えた。

 敷居しきいをまたごうとするだけで、別の景色に思えてしまうものなのか。恋している人の住処に入るって、上司に呼び出されたときよりもソワソワする。

 わたし、泥棒みたいにオドオドしてるかも。


「香菜江さん、どうしたの? お荷物ずっと持ってもらっちゃったから、疲れちゃった? ごめんなさいね、重たいもの持たせてしまって」


 優香さんがわたしの挙動不審をいぶかしんで、慌てて買い物袋を取り返してくる。

 

「いえ、平気です! すみません、よそのお宅にお邪魔するの、久々すぎて。ちょっと戸惑ってしまいました」


 嘘ではなかった。

 わたしは、人生で一度たりとも恋人がいたことないし、友人でさえろくにいなかった。勉強と仕事づくめの日々だ。

 その人生を捧げているかのような仕事でさえ、付き合いの飲みを断りまくるせいで、今やもう誰もわたしを誘わない。孤独が好き……ってわけでもないのだが、異性と関わるのは面倒だ。

 同性である女の人は恋愛対象になってしまうから、二人きりになる機会がめったにない。よって、一人でいることが普通になってしまった。難儀な人生である。


「そうなの? 香菜江さん、人気者っぽく見えるのに、意外だわ。特定のお相手とかがいるのかしら」


「いや、全然独り身です。ずっと一人だから、優香さんが朝、挨拶してくれて、とっても嬉しいんですよ」


「香菜江さん、素敵な方なのにもったいないのね。私の家では遠慮すること何もないし、くつろいで大丈夫よ」


 優香さんは本当に優しい。おっとりしているし、悪人に騙されていないか不安になるレベルだ。もしかしたら、前の男にも何か騙されたのかもしれないし。やっぱりわたしが、しっかり守ってあげないといけないな。


 優香さんにうながされ、玄関を通る。

 家の中も、至って普通だ。いや、これが優香さんの家の匂いか、って意識するとめちゃくちゃドキドキとするので、わたしの脳内は普通って感じじゃないけど。内装は本当にありふれた景観をしていた。


 わたしは、目ざとく玄関をチェックする。靴は、優香さんのものと理沙ちゃんのものしかない。……もしかしたら、靴を収納してある棚の中に男物が置いてあるのかもしれないが、いくらなんでも開けて調べる無作法はできるわけがなかった。


 靴以外にも、男性の気配は何一つない。誰かが以前に住んでいた形跡すらなかった。結婚生活を送っていたのは、だいぶ昔のようだ。もしも死別だったならば、形見として残っていてもよいものだが、玄関で得られる情報はこの程度か。


「なにか珍しいものでもあった?」


 優香さんは、それこそわたしが珍しいものかのように、怪訝けげんそうに眺めていた。

 わたし、気づかないうちに玄関のチェックをしゅうとめかと思うレベルでしていたようだ。なんてマナーの悪い人間だろう……。猛省もうせいせねば……。


「あ、いや……。ずっと二人で暮らしているのかなあ、って思って」


「え? そうねぇ、理沙をさずかってからは、ずっと二人ね。この家の生活にも、だいぶ慣れてきたわね~」


 ん、理沙ちゃんが生まれてから二人暮らしってことか。もしかして、優香さんを妊娠させてしまったから、男が逃げたってことか? だとしたら、そいつは死罪に値するな。

 かといって、相手のことを優香さんに直接質問するのもはばかられる。事実だったとしたら、心に深い傷を負っているのは優香さんのはずだし。今が優しいお母さんしているのが、奇跡なくらいだ。


 いつまでも玄関で立ち尽くしているわけにはいかない。

 わたしは、意を決して優香さんのお宅に侵入した。気分は、敵城を視察する兵だ。優香さんの情報を、ちり一つ見逃すわけにはいかない。


「そんなにキョロキョロしても、面白いものないわよ?」


「ご、ごめんなさい。自分の住んでる部屋と別物でしたから、気になっちゃって」


 わたしは何度注意されればいいんだ。優香さんが優しいから険悪にならないだけで、普通の人だったならば追い出されてもおかしくはないぞ。他人の家をジロジロ眺め回すなんて、失礼にもほどがある。だけど、気になって気になって仕方がない。


 わたしは深く息を吸って、呼吸を整える。

 優香さんに案内され、リビングでお茶を待つことになった。


 リビング内は、主に理沙ちゃんの私物でいっぱいだった。座布団も子供用のかわいいキャラクターが描かれたものだったり、他には女児用のおもちゃが散乱している。そして、ここにも男性の痕跡は何一つなく、死別ではないことが確信になろうとしていた。

 なにせ、写真立てもあるのに、写っているのは優香さんと理沙ちゃんだけのものだ。二人は親子として仲むつまじいらしく、色んな場所にお出かけしているらしい。写真のどれもが楽しげであり、幸せそうな家族には違いなかった。


「こんなものしかなくて、ごめんなさい。来客、あんまりないものだから」


「いえ……いきなりお邪魔してしまってすみません。理沙ちゃんって、お出かけが好きなんですか?」


 優香さんが差し出してくれた紅茶を一口すすってから、写真に目配せしつつ問いかけた。

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。理沙ちゃんに好かれることができれば、自然と優香さんとも親密になれるはず。だからこそ、好みもリサーチしておかねばならないのだ。それに、将来、優香さんと暮らすことができれば、理沙ちゃんもわたしの娘だ。嫌われるようなことがあってはならない。


「えぇ、そうねぇ。お休みの日は、どこかに連れてって、ってうるさいのよ。ま、一緒になって私も楽しんじゃうのだけど」


「理想のお母さんですね、優香さんって。じゃあ今度、三人でどこかに行ったりもしましょうよ」


 わたし、こんなに積極的だったかな。優香さんを前にすると、口が勝手に動き出してしまう。自分を律することができないほど、何かを欲しいと思ったことなんてなかった。欲望ってとてつもないほどの活力になるんだな、って実感した。


「私は構わないけれど……理沙、うるさいわよ? 香菜江さんの迷惑になってしまうかも」


「あはは、にぎやかでいいじゃないですか。それより、理沙ちゃん、人見知りとかしませんかね? いきなりわたしなんかと遊びに行っても、警戒されちゃうかな?」


「う~ん……香菜江さんは綺麗な女の人だし、大丈夫じゃないかしら。理沙、綺麗な女性を見ると喜ぶのよねぇ。だから、香菜江さんが遊んでくれるなら、こっちとしてもありがたいんだけど」


「綺麗な女性、って……わたしなんか……おしゃれにはうといですし……。美人の優香さんと並んだら、恥ずかしくなってしまいますよ」


 口に出すだけで、顔から火が出そうだ。


「私だって、おしゃれはあんまりわからないわよー。子育てしていると、自分のこと後回しにしちゃって。身だしなみ、整ってるか不安になっちゃうわ。香菜江さんは、いつもパリッとしたスーツ着ているし、美人で格好いいから理沙もなつくと思うのよねー。私だって、街で見かけたら香菜江さんにふらふらついていっちゃいそうだし」


 優香さん、コロコロと笑いながら褒めてくれる。

 容姿を褒められるの、異性にされたことはあるけど、全然嬉しくなかった。でも、優香さんに褒められると、床に転げ回りたくなるくらい幸せだ。告白されてしまったのかと勘違いしてしまうくらいには、舞い上がっている。

 無論、彼女はお世辞で言ってくれているのだろう。だって優香さん、女性に恋心を抱くわけないよね。子どももいるくらいなんだし。


「優香さんにそう思われていたなんて、嬉しいです。それに、家に入れてもらえるくらい仲良くなれて、感激ですよ。ちょくちょく会いにきてもいいですか?」


「ぜひ、そうしてほしいわ。お夕飯とかも食べて行って欲しいくらい。私も、この歳になってお友だちができるとは思ってもいなかったし、なんか浮かれちゃうわ」


 お友だち……。いや、当たり前のことなんだから、ショックを受けちゃだめだ。ステップアップしていけばいいんだ。というか、挨拶だけの関係からお友だちになれたんだから、距離はかなり縮まったじゃないか。


「わたしも、浮かれてます。夕飯ご一緒したいですけど、次回でいいですか? 準備大変そうですし、理沙ちゃんも驚いちゃうかもしれませんし。わたしも、明日仕事ありますから」


 本当は、夜まで居座りたかった。

 けれど、準備は入念にしたい。理沙ちゃんへのプレゼントとか用意したほうが、確実に嫌われないですむだろうし。

 だって、家に帰って知らない女の人がいたら、小さい女の子って驚いちゃうかもしれない。しかも、その得体のしれない女が自分の母を狙っていて、仲良さそうにしていたら良くは思わないんじゃないかな。


 理沙ちゃん、何が好きそうかはリビングを見渡してそれなりにリサーチできた。次に会う時までには絶対に用意する。


「そう? 残念……。次はいつ頃会えるかしら。ふふ、私ったら、香菜江さんと一緒にいるの、とっても楽しいみたい。もう次のこと考えちゃってる」


 優香さん、頬を赤らめてはにかむのだから、わたしはノックダウン寸前だった。とんでもない破壊力の笑顔だ。美人すぎる。今にでも押し倒して、えっちなことしたい。もしかして優香さん、天然のたらしか? そんな反応されたら、老若男女、惚れるに決まっているだろう。罪作りな人だ。


「わたしだって楽しみですよ。次は、土日なら時間を気にせずお会いできます。理沙ちゃんにも一応聞いておいてください」


「ええ、わかったわ。香菜江さん、体に気をつけてお仕事してね」


 はぁ、優香さん最高。お嫁さんにしたい。

 彼女の一言だけで、一週間仕事頑張れそうだ。


 次は土曜日をめどに約束を取り付けた。理沙ちゃん次第で予定がずれるかもしれないとのこと。

 さて、今週は仕事帰りに、理沙ちゃんへのプレゼントを選別しないと。優香さんにも、贈り物したいな。

 どうにかして、女として意識してもらわねば。それと、理沙ちゃんにも受け入れてもらう。


 やる気でてきた!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る