8. 【過去回】 ぼくがなおしてもいい?

「昼はお星さまが見えないからつまらないなぁ」


 小高い丘の上、幼ホワイトは地面に寝転がって青空を眺めていた。


 そのまま右手だけを空に向け、人差し指で何かをなぞろうとする。


「う~ん、やっぱりお昼だとまだ出来ないや」


 淡く光る指で青いキャンバスに何度も描こうとするけれども、それが何かを形作ることは無かった。


「よし、練習しよう!」


 しかしその失敗も幼ホワイトにとっては気落ちする物ではなく、頑張らなければと努力するきっかけになるものでしかなかった。

 二つの太陽が輝き、白い雲が所々に漂う大きなキャンバスを使い、幼ホワイトは一人で遊んでいた。


 スターテイル島。

 豊かな自然が特徴的な小さなこの島は、クラウトレウス王国の上位貴族の静養地。

 ここに住むのは静養のためのいくつかの屋敷を管理する人々だけ。


 幼ホワイトは屋敷の庭師とメイドの息子。

 島には幼ホワイト以外の子供がおらず、普段は大人達に遊び相手になってもらっているのだが、今日はとある理由で屋敷から離れ一人で遊んでいた。


「……、……」

「あれ?」


 すると幼ホワイトの耳に話し声が聞こえてきた。


「おかしいな、今日は誰も来ないはずなのに」


 大人達は忙しく、丘まで来るはずが無い。

 その忙しさの原因となった人達も、外には出て来ないだろうと聞いていた。


 幼ホワイトは体を起こし、声がした方を確認する。


「まずい!」


 するとそこには、車椅子に座った少女と、その車椅子を押す女性の姿があった。


 幼ホワイトが見たことのない大人。

 それすなわち、島の外から来た人ということ。


 そしてこの島に来るのは偉い貴族だけと決まっている。

 その偉い貴族が静養にやってくると大人達から教えられていた。


 平民である自分が粗相をしないようにと、幼ホワイトは屋敷から離れてこうして一人で遊んでいたのだ。

 それなのに相手の方からやってきた。


「どうしようどうしよう」


 関わらないように逃げてしまった方が良いだろうか。

 しかし相手に気付かれているかもしれないのに挨拶もせずに逃げるのは失礼ではないか。

 それともこのままこの場所にいることの方が不敬だろうか。


 答えが出せずしばらくその場から動けなかった幼ホワイトだが、やがて一つの結論を導き出した。


「(頭を下げてから逃げよう)」


 これならただ逃げるだけよりかは失礼ではないだろう。


 もう二人はかなり近くまで来ている。

 慌てて頭を下げてその場を離れようとする。


「待って」


 しかしそれは車椅子を押す女性に止められてしまった。


 こうなってしまっては話をするしかない。


「あ、あの、ぼ、ぼぼ、僕はここの庭師をやっているライスの息子のホワイトです!」

「うふふ、自然に話してくれて構わないわ」

「ですが……」

「わたくしがそう言っているのだから構いません」

「はぁ」


 本当に大丈夫なのか不安でならなかったが、そう命じられたのならば従うしかなかった。


「それで、僕に何用でしょうか」

「自然に話しなさいって言ってるのに。まぁ良いわ。娘が貴方と話をしたいって言ってるのよ。話し相手になってあげてもらえないかしら」


 その女性の視線は車椅子に座っている少女に向けられている。


「(つまりこの二人はスープ辺境伯様の母子おやこなのか。とんでもない大物に会っちゃった)」


 四大辺境伯の一人、スープ辺境伯。

 その娘が病気にかかり、静養をするために親子でこの島にやってきた。

 そして幼ホワイトの両親が働いている屋敷に今日から泊まっているから、幼ホワイトは失礼の無いようになるべく屋敷に近づかないようと両親から言われていたのだ。


 なんともセンシティブな話で、もし会ってしまったのならばどんな失礼をやらかしてしまうのかと戦々恐々だったのだが、会ってしまった上に話せと命じられたのならばやるしかない。


「僕はホワイト・ライスと言います。貴方のお名前は?」

「…………カレイ…………スープ」


 その声はあまりにもか細く、静かな丘の上であっても耳を凝らさなければ聞き取れない程であった。


「カレイ様ですね」

「こほん」

「……カレイさんですね」

「こほん」

「(さん付けでもダメなのぉ!?)」


 貴族令嬢の名前を気安く呼ぶなどあり得ない。

 しかしカレイの母親はあくまでも『普通に』接することを望むようだ。


「子供は子供らしく。それが一番です」

「(子供っぽく呼べってことだよね。でも良いのかな……本当に良いのかな……)」


 不安でどうにかなってしまいそうだけれど、母親は早く言えとでも言いたげな物凄い目力で幼ホワイトをガン見している。


「(お父さん、お母さん、ごめんなさい!)」


 ここで失礼をしてしまったら家族にも迷惑がかかることを幼ホワイトは分かっていた。 

 例えカレイの母親が許可をしたとして、後でやっぱり怒られるだなんて理不尽が普通にありえるのだ。そうなってしまえば叱られるのは幼ホワイトの両親になるだろう。下手したら仕事をクビになる可能性だってありえる。


 だがそれはここで言うことを聞かなくても同じこと。

 仕方なく幼ホワイトは覚悟を決めた。


「カ、カレイちゃん、だね」

「…………うん」


 ホワイトの答えは正しかったようで、カレイの母親は満足気な顔をしており、カレイ本人もどことなく嬉しそうだ。


「(それにしても、この子の病気は……)」


 難局をひとまず乗り切った幼ホワイトは、改めてカレイの様子を確認する。

 カレイは病気によりやつれていて、生気を全く感じられず、今にも消えて無くなってしまいそうだ。

 だがそれはあくまでも表面的な見た目の印象だけ。

 彼女の魔力を探ると、それは彼女の体の中で猛烈に暴れ回っていた。


 過剰魔力症と呼ばれる症状で、治療方法が確立されおらず、確実に死に至る病である。


「(静養に来たって話だけど、まさかこの病気だっただなんて)」


 幼ホワイトはこの病気について知っており、カレイがどれほど辛く苦しんでいるかを理解できた。

 車椅子で移動しているということは、もう体がまともに動かないのかもしれない。


 末期症状であり、幼い命が失われるのはそう遠い未来では無いだろう。


「あの!」


 幼ホワイトは立ち上がり、カレイの母親に向かって呼びかけた。


「あら、私では無くて娘と話をするように伝えたはずですが?」

「その娘さんのことでお話が……ううん、カレイちゃんのことなんだけど!」


 ここに来てホワイトは無理に丁寧な言葉を使うのを止め、カレイの母親が指示するように普段の子供らしい言葉遣いに戻した。それは自分の気持ちや考えを正確に伝えるため。


「なにかしら」


 カレイの母親は、急に態度が変わった幼ホワイトの様子に怪訝そうな顔をする。




「カレイちゃんの病気、僕が治しても良い?」

「え?」




 ここに来て、初めてカレイ母の表情が崩れた。

 娘の話し相手になってもらう平民としか思っていなかった相手から、誰もが治せない病気を治療して良いかと言われれば驚くのも当然だろう。


「ううん、僕が治したいの! お願い、治させて!」

「待って。ホワイト君って言ったわよね」

「うん」

「君は娘の病気を治せるの?」

「うん!」


 ドクン、とカレイ母の心臓が大きく鳴った。


 娘の病気は完治せず、必ず死に至る病である。

 しかも最早いつ死んでもおかしくないくらいに病状が進行しているため、最後の時をせめて静かな場所で家族一緒に暮らそうとこの島にやってきたのだ。


 それなのに治せる、と目の前の少年は言う。


 いくら子供の戯言とはいえ普通ならば看過できない。

 激怒されてもおかしくはない。


 だがカレイの母は幼ホワイトのあまりにも自信満々な様子が気になった。

 そして娘が助かるのならば藁にも縋りたいと考えている。


 娘を思う気持ちが、幼ホワイトの言葉を無意味なものだと断じなかった。


「治療魔法が使える、ということかしら」

「ううん。カレイちゃんの病気はそれじゃあ治らないよ」

「え……じゃ、じゃあどうやったら治るの?」


 無駄な期待はしてはならない。

 でも目の前の少年は明らかに確信をもって何かを言おうとしている。


 逸る気持ちをどうにか抑え、カレイ母は冷静に幼ホワイトと向き合った。


「ええとね、僕達は体の中に魔力の入れ物があるの」


 幼ホワイトは水魔法で薄い水の膜を作り、それをボール状にした。大きさは球遊び用のもの程度。


「それでカレイちゃんはね。この中に魔力がたくさん詰まっていて……」


 ボールの中に水が生み出され、どんどんと溜まって行く。

 そしてやがてボールの中は水で一杯になった。


「もうボールに入りきらないのに、それでも魔力が増えちゃって……」


 ボールはすでにパンパンで、それでも水が追加され、そして。


 パン!


「こうなっちゃう病気なの。だからこうなる前に、もう一つボールを用意しなきゃダメなの」

「…………」


 唖然。

 まさにその一言だった。


 娘の病気を治すために四方八方手を尽くした。

 医師や学者の話を大量に聞いて、自分自身でも必死に考えた。


 だが魔力やカレイの病気について幼ホワイトのような考え方をしている人は居なかった。

 『魔力の入れ物』という考え方だけならば、提唱している人が何人か居たけれど、いずれも曖昧で漠然としたイメージを語るだけの偽者だった。


 しかし幼ホワイトは違う。

 具体的なイメージがあり、そして何よりも絶対にそれが正しいのだと確信している。


「(この歳で、なんという魔法の精度なの。まさか本当に……)」


 しかもホワイトが見せた水の魔法、特に薄い膜を作って球体にする技術はベテランの魔法師であっても苦労するレベル。高い魔法技術は、魔力について詳しいことの証明では無いだろうか。


 それはつまり縋った藁が宝だった可能性を意味している。


「本当に……本当に治せるの……?」

「うん。でも治すには一つだけ大事なことがあるんだ」

「大事なこと?」


 膨大な金額を要求するのではないか。

 やはりこの少年も他の偽物と同じで詐欺師では無いか。


 その疑念が湧いてくるが、幼ホワイトの『大事なこと』とは全く別のことだった。


「カレイちゃんが僕の話を心から信じてくれること」

「え?」

「魔力を操作するにはイメージが大事なんだ。だから僕の説明をちゃんと信じてくれないと、多分上手くいかないんだ……」


 だからこそ信頼が必要。

 疑われていては上手くいかない。


 つまり治療が成功するかどうかはカレイと幼ホワイトの関係による。

 しかし二人はまだ出会ったばかりでお互いのことを良く知らない状態。

 しかも信頼関係を結ぶ時間など残されていない。


 幼ホワイトとカレイの母親がカレイを見る。




「…………信じる…………よ」




 カレイは薄く笑うと、そう口にしたのだった。


 でもそれは助かりたいがための嘘の気持ちかもしれない。

 そう思った訳では無いが、幼ホワイトは純粋に不思議に思って確認した。


「どうして?」


 その答えは、ホワイトを驚かせるものだった。


「…………目が…………綺麗…………だから」

「ええええ!?」


 これまでそんなことは言われたことが無く、とても照れ臭かった。

 でもどうしてだろうか、とても嬉しくて胸の奥がじんわりと温かく感じるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る