第12話 幽霊部員A――倉橋ひかり(後編)

 事故とはいえ倉橋に押し倒され、密着状態になってしまった俺。

 

 もちろん可及的速かきゅうてきすみやかに彼女から離れるべきだろうが、顔面に柔らかな物体が乗っていて、うまく動くことができない。


 そしてその柔らかい物体は、俺の顔面にムニムニと幸せな感触を残しながら少しずつ這い上がっていく。


「べ、べつに、なんでもないから、光太郎くんは気にしないでね!」


 どうも倉橋は手を伸ばして洗濯物を取り外しているらしいが……顔面をなぶられ続けている俺は、はっきりいってそれどころではない。


「もごぉ……」


「あっ!」


 苦悶の声が漏れたことで、ようやく倉橋にも俺の苦境が伝わったようだ。


「ち、ちがうから!」


 俺から慌てて離れた彼女は、回収したばかりのパンツを握りしめたまま、首をぶんぶん振っていた。


「別におっぱいを押し当てて光太郎くんを悩殺しようとしたわけじゃないの!」


「お、おう、そうだよな。わかってるわかってる」


「だってそういうのはラビュちゃんとかゆらちゃんみたいにおっぱいが大きい人がやるから効果があるんであって、あたしみたいに気合を入れればBカップですみたいな人間じゃあ――」


 慌てているせいか、手に持ったパンツを振り回しつつ弁解する倉橋。

 やがて勢い余ったらしく、彼女の手からパンツが離れる。


 くるくる回転しながら空中を飛ぶピンクのパンツは――なんの因果か俺の頭にスポッとはまった。


「ぱんつぅ!」


 目を見開いて叫ぶ倉橋。

 でもそんな反応になるのも仕方が無いと思う。


 もともとパンツを被って生活していたっけとついつい考えてしまうほど、倉橋のパンツが俺の頭にジャストフィットしていたのだ。


「ち、ちがうよ!? 別に光太郎くんの頭にお気に入りのパンツをかぶせて悩殺しようと思ったわけじゃなくて――」 


「分かってる。分かってるからさ」


 俺は倉橋の弁解を遮り、そしてつぶやく。

 ――もちろんパンツを頭にかぶったままで。


「これ、どうにかしてくれない?」


「ご、ごめんなさぁ~い!」


 サッとパンツを取り外してくれたようで、視界がようやくクリアになった。

 

 安堵の吐息をもらしつつ、俺は思う。


 倉橋はあれだな。

 予想以上に危なっかしいタイプだ。

 

 でもだからこそ、ラビュが部活メンバーに加えようと思った理由も分かる気がする。

 ――奇人変人が好き。

 たしかに倉橋はその要件を満たしているようだ。


 しかしそうなると、俺はどうなんだろう?

 変態ではあっても、変人ということは無い気がするけど……。



 その後、倉橋が作ってくれた料理は本人が主張していた通り、たしかにおいしかった。

 もっとも食事を楽しむ間も、ピンクの残像が視界に残り続けるという後遺症はあったわけだが……。


◇◇◇◇◇


 翌日。

 部活に顔を出すと、いつもの通りラビュや御城ケ崎がソファに座っているなかで、倉橋も入り口付近のパイプ椅子に座っていた。

 カーテンに隠れていないのは珍しい。


 そんな彼女は俺の姿を見て、勢いよく立ち上がると申し訳なさそうに頭を下げる。


「昨日はごめんね、光太郎くん!」


「いや別に謝る必要は無いって」


 軽く手を振ってみせた。

 実際、被害を受けたのはどちらかといえば倉橋のほうだと思う。


「え、なになに? ラビュがいないあいだに、なにか面白いことでもあった?」


「べつにラビュが期待するようなことはなにも無かったぞ」


「うん。そうなの。あたしがただ光太郎くんに迷惑かけちゃっただけだから。えっとね……」


 俺としてはてきとうに誤魔化すつもりだったが、倉橋は昨日の出来事を説明するつもりらしい。

 しかしいったい、なにをどこまで話すつもりなんだ……?


 不安を隠しきれない俺が静かに見守る中、倉橋は軽くうつむいたまま説明を始める。


「昨日はあたしと光太郎くんのふたりで帰ることになったんだけど、そんなときふと思ったんだ。光太郎くんとふたりきりになれるチャンスなんて、二度とないかもしれないって。だから――」


 そこでふっと顔を上げた倉橋は、真面目な表情で俺を見つめてくる。


「――光太郎くんを、あたしのおウチに連れ込むことにしたの」


「おウチに連れ込む……!?」


「表現!」


 驚愕の表情を浮かべる御城ケ崎の反応を見た俺は、慌てて叫ぶ。


「表現に気をつけようか、倉橋。今の言い方は、さすがにちょっと誤解を招く。俺をお友達食堂に招待したかっただけなんだよな?」


「あ、うん。そうなの」


「ああ、お友達食堂ですか。なるほど……」


 幸い御城ケ崎もすぐに納得してくれた。

 きっと、お友達食堂に招待されたことがあるのだろう。


 しかし、気を張っていてよかったな。

 即座に訂正できたから、あらぬ誤解を受けずに済んだ。


「ごめんね、光太郎くん。また迷惑かけちゃった……」


「いやべつにいいさ。経験した出来事をきちんと説明するのって意外と難しいよな」


「うん、たしかにそうかも。ちゃんと考えてから話さないとだめだよね。もう一回、きちんと説明させて」


 真面目な表情で俺の言葉に頷いた倉橋は、軽く考え込んでから再び話し始める。


「えっとね、今まで女の子に手料理を振舞ったことはあったけど、男の子にはなかったから、ちゃんと受け入れてもらえるか前から気になってて。でも初めてって大切だし、誰でもいいってわけじゃないでしょ? その点、光太郎君は優しくて、でも素直な感想を聞かせてくれそうだから、この人ならいいかなって思ったの。それでせっかくふたりきりになれたし光太郎君をおウチに誘って――」


 そこで言葉を切った倉橋は、照れたように微笑む。


「――あたしを食べてもらおうと思ったの」


「あたしを食べてもらおうと思った!?」


「表現!」


 俺は再び叫んだ。


「倉橋、表現に気をつけよう。今のキミは慌てているせいか、ちょっと表現に難があると思う。あたし『が作った料理』を食べてもらおうと思ったんだよな。肝心の部分を省略しちゃだめだ」


「えっと、うん、そうそう、そういうこと」


「ふーん……」


 ラビュはつまらなそうに、口をとがらせている。


「でもそれだったら別に迷惑はかけて無くない? 大喜びしたコータローはゲヒゲヒ笑いながらヒカリンの家に突撃したわけでしょ? ヒカリンが謝る要素なんてないじゃん」


「ゲヒゲヒってなんだ」


「ヒカリンのおウチに遊びに行く、下心満載なコータローの鼻息の荒さの表現なのかな?」


「なぜに疑問形。というか俺は、倉橋の家に向かってるってことに気づいてなかったんだよ。ただおいしいお店があるとだけ聞いてたから、てっきり普通の料理屋に行くものだとばかり思ってたんだ」


「え!? じゃあ、ヒカリンはコータローを言葉巧みにだましてお家に連れ込んだの? やるぅー! 天才の所業!」


 なぜかラビュの好感度は上がったようだ。

 そしてべた褒めされたせいで否定しづらくなったのか、倉橋は反論もせずにえへへと頭をかいている。


「とにかくまあ、そんな感じで光太郎くんがあたしのおウチに遊びに来てくれたの。ただその、まあいろいろとあって……」


 こちらをチラチラと横目で見てくる倉橋。

 さすがに、『いろいろ』の中身を言うとマズいということは分かっていたようだ。


 安心した俺が微笑みながら軽く頷いてみせると、倉橋もホッとしたように言葉を続けた。


「――最終的に光太郎くん、あたしのパンツを頭に被っちゃって」


「パンツを頭に被った!?」


「表現ッ!!」


 俺は力の限り叫んだ。


「この言葉叫ぶの今日だけで三回目になるぞ倉橋ィ! 表現!!」


「あっというまに四回目になりましたね」


「そんなことどうでもいい! いまの倉橋の言い方だと俺が自発的にパンツを頭にかぶったみたいじゃないか!」


「分かります」


 御城ケ崎は、理解のまなざしをこちらに向けてくる。


「パンツって、無性に頭にかぶりたくなる瞬間がありますよね」


「悪いが俺は同意しないからな」


「えっ?」


 このタイミングで、なぜか不思議そうに見てくるのはラビュだ。


「でもあるかないかで言えば、コータローだってあるよね? パンツを頭にかぶりたくなることくらい」


「いや、ないが。一瞬たりとも。思ったことさえない」


「へー、やっぱりコータローって変わってるね」


「言うほど俺か? むしろふたりだろ、変わってるのは」


「2対1ですから……少数派は光太郎様のほうです……」


「むう」


 たしかにそれは正論だった。


 加勢を求めて、背後を振り向く。

 倉橋は首を傾げていた。


「うーん、でもあたしもパンツを頭に被りたいと思ったことはないかなー」


「よし来た! これで2対2だ!」


「でも、好きな人にあたしのパンツを被ってもらいたい願望ならあるかも?」


「マジかよ……」


 なぜこのタイミングで新たな意見を出してくるんだ。

 これじゃ2対2じゃ無いじゃん。

 2対1対1で、あらたな少数派が生まれただけじゃん……。


「へー、ほー」


「ほぅ……さすがですね……」


 なぜか感心した様子のラビュと御城ケ崎をよそに、俺は逃れられない少数派として、ただただ途方に暮れるのだった。

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