第11話 幽霊部員A――倉橋ひかり(前編)
部室でのかくれんぼが倉橋の敗北で終わった後、御城ケ崎はそそくさと帰り支度を始めた。
恥ずかしさのあまり居たたまれなくなったのかとも思ったが、もともと用事があったらしい。
とはいえ、部室に倉橋とふたり取り残された俺は、正直困ってしまった。
だって倉橋は、幽霊役の部員として誇りを持っているのだ。
ふたりしかいないというのに、当然のようにカーテンにくるまってしまったので、会話することすら難しい。
この状況を続けるのは、さすがに時間の無駄だと思う。
「今日は他の部員も来ないみたいだし、そろそろ帰ろうと思うんだが……倉橋はどうする?」
そう声を掛けると、彼女はカーテンの隙間からぴょこんと顔をのぞかせた。
「光太郎くん、帰るの? じゃああたしもそうしよっかな」
さすがにひとり残ってまで幽霊役の部員をまっとうする気はなかったようだ。
正直ほっとした。
倉橋と共に職員室に鍵を返す。
そして、その流れで一緒に帰ることになった。
「ラビュちゃんがいないと、光太郎くんもつまらないよね」
駅へと続く、綺麗に整備された広い歩道を歩きつつ、倉橋が笑顔で問いかけてくる。
「別にそんなことはないけどな。ただ、俺がいたら倉橋がいつまでも帰れないかなと思って」
「え? あたしのことは別に気にしないで良かったのに」
「気にするなって言われてもな……」
カーテンの中にいることを知っているのに、無視して帰るわけにもいくまい。
「そういえば倉橋はいつもカーテンにくるまってるけど、何考えてるんだ?」
「ん~、いろいろ? おなかすいたなあとか、帰りはコンビニでお菓子を買うのとスーパーでお惣菜を買うの、どっちがいいかなあとか」
「食い物系ばっか? 好きなの?」
「だいすき!」
満面の笑みでそう言った彼女は、不思議そうに首を傾げる。
「でも光太郎くんだって、食べるの好きでしょ?」
「そりゃまあ好きだ」
「だよね。おいしいもの食べると、しあわせーってなるもん」
ニコニコと嬉しそうに笑う倉橋は、なにかを思い出したかのようにあっと声を上げた。
「そういえばあたし、すっごくおいしいお店知ってるよ? ここから近いし、今から行ってみない?」
「今から?」
「うん。用事ある?」
「いやないけど……。こんな時間に食ったら、晩御飯が入らないだろ」
夕焼け空を見ながらつぶやくが、倉橋は笑顔で首を振っている。
「へーきへーき。量の調整がきく、すっごい家庭的なお店だから」
「ふーん」
やけに押しが強いところをみると、よっぽどお気に入りのお店なのだろう。
……ちょっと興味が湧いてきた。
実は俺は、色気より食い気タイプなのだ。
いやもしかしたら、色気も食い気もある欲張りタイプかもしれないが、とにかく美味しいお店なら俺だって行ってみたい。
「よし、行くか!」
「やった!」
倉橋はスカートを翻しながら、うれしそうにクルクルと回っている。
その愛らしさに俺は思わず笑ってしまった。
彼女はどこか小動物的で、動きに愛嬌がある。
しっぽがあればブンブン振っていそうなほど上機嫌な倉橋と共に、俺は夕暮れの街を進む。
それから5分ほどたっただろうか。
「ここだよ」
「へ、へ~」
笑顔でこちらを振り向く倉橋だったが……。
俺は目の前にある、黒色のドアを見つめた。
予想に反して連れてこられたのは、ごく普通のマンションの一室。
こんなところに料理屋さんなんてあるのか?
そりゃまあ、絶対に無いとまでは言わないけど……。
「ここに倉橋おススメの料理屋があるんだよな?」
「うん、すっごいおいしいお店だよ! じゃあ、さっそく入ろっか!」
倉橋はカバンから財布を取り出すと、中に入っていた紐を引っ張り上げ、その先端についている鍵をつかみ、目の前の扉に差し込む。
ガチャリと開く扉。
「じゃあ、入って入って!」
「……」
なんかこれあれだな。
どう考えてもお店に入る手順じゃないっていうか……。
もう手遅れかもしれない。
そんなことを思いつつ倉橋に続いて室内へ。
トイレらしき扉や、お風呂場らしき半透明のドアには視線を向けないよう気遣いながら前進し、真正面にある大きな部屋までやって来た。
左手はキッチン、右手はリビングになっている、あわせて10畳くらいの部屋だろうか?
まあ、よくあるタイプだとは思う。
……一人暮らしのワンルームとしては。
倉橋はキッチンの前に立ち、両手を思いっきり広げながらこちらを振り向く。
「ようこそ! あたしの『お友達食堂』へ!」
「お友達食堂?」
「うん。このお店にはね、お友達しか呼ばないの。だからお友達食堂なんだよ」
「……店主は?」
「あたし」
「料金は?」
「もちろん無料です。まあお客様の笑顔が、報酬みたいな感じかな」
「……営業許可とかは取ってるの?」
「取ってないよ」
ですよね。
むしろ取ってると言われたほうがビビるわ。
「……」
つまり俺……。
ひとり暮らしの女子の部屋にお呼ばれしちゃった?
これちょっとまずくない?
俺の表情が陰ったことに気付いたのか、倉橋は慌てていた。
「あ、あのね、一応言っとくけど、別に下心があって光太郎くんを呼んだわけじゃないよ? 変なことはしないから安心して」
「おう……」
別にそんな心配はしてない。
むしろ倉橋は逆の心配をするべきだと思う。
「ずっと考えてはいたんだよね。せっかく料理を作るんだったら、男の子の感想も聞きたいなーって」
俺の懸念をよそに、ほのぼのとした笑顔を向けてくる倉橋。
分かっていたことではあるが、彼女が俺を部屋に呼んだのは、純粋に作った料理を食べてほしいからという理由のようだ。
でもだからこそ俺は不安だった。
「言いづらいんだけどさ、こういうのはやめたほうがいいんじゃないか?」
「こういうの?」
「一人暮らしなんだろ? 男を呼ぶのは、危なすぎるって」
「でも光太郎くんだよ?」
「……」
「あたしだって光太郎くんが心配して言ってくれてるのは分かるよ。でも光太郎くん、あたしに変なことなんてしないでしょ?」
「そりゃしないけど」
そう答えるしかない。
いやもちろん実際するつもりもないわけだが。
「でもほら、俺みたいに良識のある男ばかりとは限らないし、あんまりほいほいこういうことすると、倉橋が危ないだろ」
「別にほいほい男の子を家に呼んだりしないよ。光太郎くんだから呼んだの」
「……」
俺はしばらく考えてから――。
「ならばよし!」
そう答えた。
だってもう、そう言うしかないじゃん。
ちなみに視線を少しずらすとリビングの奥に室内用の洗濯物干しがあり、そこには。
――ピンク色の可愛らしい下着が干されていた。
おそらくうっかり仕舞い忘れていたのだろう。
突然お邪魔したのだし、仕方が無いと思う。
「じゃあ、光太郎くんは適当に座ってて」
「おう」
俺はさりげなく、洗濯物に背を向けて座る。
下着に執着心の無い俺ではあるが、倉橋はきっと気にするだろうという配慮だ。
けれど結果的に、これは失策だった。
倉橋が俺の背後を見て、目を大きく見開いていたのだ。
「わっ、わっ」
慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる倉橋。
洗濯物を回収するつもりなのだろう。
だが、足元をよく見ていない彼女は、思いっきりテーブルの角に足をぶつけ――。
「いった~い!」
「うおっ!?」
全身でダイブするかのように俺にのしかかってきた。
たいていの事態には即座に対応できるつもりの俺だったが、予想外の動きに思いっきり翻弄され、なすすべなく押し倒されてしまう。
「ご、ごめんねっ!」
謝る声は聞こえてきたが、返事をすることができない。
だって――俺の顔面に、やたらと柔らかい物体が押し付けられていたのだから。
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