第16話 懐かしい記憶

 ナギサ先輩は俺がスカートに首ったけになっていることに気付いた様子もなく、ソファにゆったりと座ったまま部室を見回していた。


「そういえば、今日はキミひとりしかいないのかい?」


「いえラビュも来てます。校庭を散歩するようなことを言っていたので、しばらく帰ってこないと思いますけど」


「そうか」


 軽く頷いた先輩はスカートにしわがあるのが気になったのか、軽く手のひらで撫でつけている。

 それはさりげない動きだったが、特注のスカートを大切に扱っていることがこちらにまで伝わってきて、彼女への好感度はますますうなぎのぼりだ。


「それにしても会って数日しかたっていないのにもう呼び捨てか。あっという間にラビュと仲良くなったようだね」


「はあ。向こうから呼び捨てにするよう言われたので。なんていうか人懐っこいですよね、ラビュって」


「人懐っこい。……まあ、今の時期はそうかもしれないね」


「時期ですか?」


 それは不思議な返答だった。

 思わずスカートから目を離しナギサ先輩の顔を見ると、彼女のほうもこちらを見ていたようで互いの視線が交錯する。


 一瞬しまったと思ったが、ナギサ先輩は俺がスカートばかり見ていたことには特に触れもせず、穏やかに微笑んだまま言葉を続けた。


「ラビュは見た目通りの甘えん坊でね。同居の母親が旅行に出かけているあいだは、やたらとべったりくっついてくるんだ」


「へえ。お詳しいんですね」


「そりゃあ、彼女との付き合いもだいぶ長くなってきたしね。ああそうだ。同じ部活の先輩としてキミにアドバイスするけど、ラビュを口説き落とすなら今がチャンスだよ。心が不安定になっているみたいだから」


「く、口説き落とすって……」


 もしかすると明星あけぼし先輩から『連城さんはラビュちゃんのことが好きみたいですよ』とでも聞いたのか?


 意外と口が軽いなあの人。


「俺はべつにそんなつもりはないです。それにそもそも、弱みにつけ込んで恋人になったってあとが続かないでしょう」

 

「恋人?」


 そう首を傾げたナギサ先輩は、なにかに気付いたように軽く笑う。


「ああ、すまない。誤解させたようだ。別に色恋の話じゃあない。勧誘の話さ」


「勧誘……ですか?」


 当然のように言われても、やっぱり何の話か分からない。


 ナギサ先輩は唇に微笑みを浮かべながらつぶやく。 


「全裸村の仲間に誘うつもりなんだろう? 彼女、家では裸で過ごしてるみたいだから向いてるんじゃないかな」


「え、そうなんですか!?」


 俺の心は歓喜に震えた。


 全裸の暮らしに抵抗があるんじゃないか――それが俺にとって一番の懸念事項だったのに、ラビュときたらすでに全裸生活を実践していたんだ。


 仲間にできる可能性が一気に高まったのだから、かなりの朗報といえる。


「もうすぐラビュのご家族が家に帰ってくるそうだ。その前に話したほうが成功率は上がるんじゃないかな」


「それは確かに――あ、いえ、でもどっちにしろそんな弱みに付け込むような真似したって結局は……長続きなんて……しない……」


 言い訳をしている最中に、ふと気付く。

 あまりのさりげなさについ聞き流してしまったが。


 ――全裸村に誘う……?

 ラビュのことを……?


 たしかにそのつもりではあったけれど、なぜナギサ先輩がその話を知っているんだ。


 連城村の復活という野望は、今まで誰にも話したことがない。

 ずっとこの胸に秘めてきたのだから、当然彼女が知っているはずもない。


 それなのに、なぜ……。


 ……いや……答えなんてわかり切っている……。

 ただ信じたくなかっただけ。

 

 ――俺はハメられたのだ。

 

 見習いとはいえ変態管理官である彼女だ、『連城れんじょう』と俺が名乗った瞬間からこちらのことを警戒していたのだろう。


 昨日とは人が変わったように親しみやすく接してきたのも、俺の油断を誘うため。

 単純な誘導尋問にあっさり引っかかった俺は、全裸村の復活をもくろんでいることを変態管理局に知られてしまった。


 痛恨の極み。

 挽回の方法が無いほどの大失態。

 これは、俺の野望にとって致命傷となりかねない。


「まったく、ようやく気付いたのかい?」


 しかし大金星をあげたはずのナギサ先輩は、なぜか肩を落としていた。

 国家への反逆を企んでいることを自白したも同然の俺を前にして、そのことを勝ち誇った様子がまるでない。


 それどころか彼女の様子は、むしろ寂しそうに見えた。


「まあそれも仕方がないか。あの頃のキミは、まだ幼かったからね」


 あの頃?

 彼女がなんの話をしているのか見当もつかない……いやでも、待て。


 ――なにかが記憶に引っかかっていた。


 今までスカートにばかり目がいっていて気付かなかったが、ナギサ先輩がこちらを見つめる瞳。

 母性すら感じさせるその優しい眼差しに、なんだか見覚えがある気がする。


 ジッと見つめていると、彼女は俺の頬にそっと手を添え――。


「久しぶりだね、コウちゃん」


 そう呼び掛けてきた。


 コウ……ちゃん……?


 その呼び方は……そうやって俺を呼ぶのは……。


 脳裏に浮かぶのは、大自然に囲まれた小さな村。


 草むらを走り回る全裸の俺と、そして――。

 そんな俺のあとを笑顔で追いかけてくる、白いワンピースを着た女の子。


 思わずハッとした。


「『洋服のお姉ちゃん』……?」


 ナギサ先輩は一瞬キョトンとしたあと、楽しそうに笑い出す。


「はははっ、『洋服のお姉ちゃん』か。たしかにキミはいつも私のことをそんなふうに呼んでいたね。そのときは特に気にしていなかったが、なるほど、キミは私の名前をそもそも憶えてなかったのか。道理でこの前、名乗った時のリアクションが薄いと思った」


 『洋服のお姉ちゃん』。

 それは、駐在さんの娘さんで、俺よりひとつ年上の女の子。


 あの全裸村において着衣を許可されていた彼女は当然のようにいつも洋服を着ていて、だから俺は『洋服のお姉ちゃん』と呼んで慕っていたわけだが――彼女の名前はたしかに憶えていなかった。


「ナギサ先輩が『洋服のお姉ちゃん』……?」


「そうだよ。秋海あきうみナギサ、それが私の名前だ。あらためてよろしくね、コウちゃん」


 彼女はそう言って、楽しそうに笑った。

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