第1章 放課後のナギサ先輩
第18話 ナギサ先輩と見回り(前編)
カーテンのレース越しに爽やかな陽射しが差し込む、我らが部室。
お化け屋敷とも称される旧校舎において、唯一の安全地帯といえるこの部屋の片隅に、俺が最近気になる女子生徒の姿があった。
肩まで伸びた黒い髪。
そしてこの高校において彼女以外には見たことがないほど長くて分厚いスカート。
――
美人系の顔立ちをした彼女はともすれば冷たい印象を受けるが、実際に話してみるとその物腰は柔らかい。
そのうえちょっとドジなところもあって、場合によっては上級生とは思えないほど幼く見える瞬間さえあった。
たとえばいまも古ぼけたソファの上で横になり、なんの動きを見せず無防備な寝顔を晒していたが、遊び疲れて寝てしまった子どもにしか見えない。
――忙しいんだろうな……。
彼女を眺め、そんなことを思う。
他の部員の姿が見えないし、俺が来るのを待つうちにうっかり寝てしまったのだろう。
音がしないようカバンを静かに床に置き、先輩に近付いてみた。
「ん……んん……」
彼女の血色の良い唇がわずかに動き、漏れ聞こえてきたのは悩まし気な吐息。
別に疑っていたわけでもないが、やはり寝ているようだ。
今日は彼女に呼ばれていたのでまっすぐこの部室に来たわけだが――さて、どうしたものか。
穏やかな陽射し。
眠る先輩。
本音を言えば、このほのぼのとした光景をずっと見ていたかった。
ただ――。
まあ、怒るよな。
なぜ声を掛けなかったのと。
……残念だが、さっさと起こすことにしよう。
「先輩、寝ちゃってますよ」
「ん、んー……」
彼女の華奢な肩に軽く手を触れ揺すると、先輩はなにやらむにゃむにゃ言いながらまぶたを開く。
乱れた髪から覗く眠たそうな目は、しばらく虚空を見つめていたが、やがて俺を捉えた。
そして。
「……おはよぅ……コウちゃんは相変わらずかっこいいねぇ……」
「……っ」
まともに反応できず、ただただ無言で彼女を見つめてしまう。
いや、もちろんこれが先輩の本音だなんて思ってはいない。
寝顔を見られた先輩が、照れ隠しで放った言葉にすぎないと頭では理解できていた。
ただ、彼女への恋心を自覚していた俺には、ちょっとばかり破壊力がありすぎたのだ。
「まったく」
そんな俺を見て、先輩は呆れた様子でふぅと息を吐いた。
寝転がったままなのに、やけに偉そうだ。
「キミも変態管理官を目指しているのなら、この程度のジョークで固まらないで欲しいものだね。そんなに純情じゃあ、先が思いやられるよ。強度の高い変態女性を相手にしたら、簡単に手玉に取られるんじゃないか?」
「……気をつけます」
「うん、そうするといい。ふわぁ……」
先輩は軽く頷くと、やけにわざとらしくあくびをしてから、上半身をのっそりと起こした。
そして頬を両手でぴしゃんと叩いてから、こちらに笑顔を向けた。
「じゃあ、そろそろ出ようか。見回りの時間だ」
◇◇◇◇◇
見回り。
それは風紀委員の日常業務だ。
ようやく管理局からの呼び出しが落ち着いてきたナギサ先輩の指導のもと、いよいよ俺も風紀委員の通常業務を任せてもらえるようになったわけで、その喜びもひとしおである。
俺は
風紀委員として皆をビシバシ指導するために用意した銀のホイッスルも、俺の胸元でぴかぴかと光っていてなんだか嬉しそうだ。
ずっとこの日を待ってたもんなぁ……。
「ああ、今日もやっているね。真っ赤な夕日に照らされて、仲間と共に汗を流す。これこそ青春というものだ」
いち早く靴を履き替えたナギサ先輩は、昇降口の壁に背中を預けながらグラウンドを走り回る運動部の様子を眺め、うらやましそうにつぶやいている。
「お待たせしました、先輩」
声を掛けると、ナギサ先輩はこちらを振り向いた。
その表情は予想に反して笑顔だ。
「準備はできたかい?」
「ええ、ばっちりです」
「ふふふ、それはよかった」
上機嫌で答えた彼女は、胸元に抱えていた黒いB5サイズのタブレット端末をこちらに渡してくる。
「これが風紀委員専用のタブレット端末だよ。見回りの際は職員室からこの端末を借りて、画面上に表示される地図を眺めながら敷地内を歩き回ることになる」
結構ハイテクなんだな。
でも端末の右上にデカデカと白いシールで巡回用と書かれているのがなんだか間抜けだ。
「見回りの範囲は?」
「敷地内はすべて」
「おおぅ……」
マジか。
この学園はかなり広いぞ。
いろいろ点検しながら見て回ることを考えると、1時間どころか2時間かけても終わらないんじゃないか……?
ナギサ先輩は、戦慄の表情を浮かべる俺を見て、くすくす笑っていた。
「最初のうちはたしかに大変だけど、すぐに慣れるよ。そして慣れれば、散歩同然だ」
「散歩ですか」
「そうだよ、
どうもナギサ先輩は、他人の目があるところでは、コウちゃんではなく連城くんと呼ぶことにしたらしい。
コウちゃん呼びだと変に注目を浴びそうだし、俺としてもそのほうがありがたい。
「見回りの際の注意点を伝えておこう。問題を見つけたからといって、くれぐれも自分で対処しないこと。たとえば不審者を見つけた場合も、声を掛けたりせず先生に報告。生徒同士の喧嘩を見かけても、仲裁に入ったりせず先生に報告。つまり、なにかあれば先生に伝える、それが私たちの役割と思ってもらえればおおむね間違いはない。――宇佐先生の連絡先は聞いてる?」
「はい。風紀委員に入った時に教えてもらったんで、『メッセージ』でやりとりできます。あと職員室の電話番号も聞きました」
「それなら万が一のときも問題ないね。とはいえ基本的にはこのタブレット端末経由で先生に報告するだけさ。『怪我人が出た』みたいな緊急事態なら職員室に電話するけど、私はそういう状況に遭遇したことは無いな」
「ナギサ先輩でも、そんな感じですか」
「まあ、去年までこの学園には、『お嬢様』と呼ばれるような女子生徒しかいなかったから。男子生徒が加わる今年は状況が変わるかもしれないね」
「なるほど」
というか、まず間違いなく去年とは違う状況になるだろうな。
思い浮かんだのは、サッカー部のショーゴやクマさんのことだった。
サッカーは接触プレーが多いスポーツだし、怪我人を出さずに1年間を過ごすというのはちょっとありえそうもない。
……自力で保健室に行ける程度の怪我で済むことを祈ろう。
「ちなみに、見回り中に校則違反者を見つけたらどうするんですか? 例えば廊下を走ってる生徒に遭遇しても、声をかけずにタブレットで報告?」
「それはその場で注意していいよ。もちろん、注意せずにタブレット報告だけでも構わないけど」
「……どちらでもいいと言われると、むしろ悩みますね。それについさっきナギサ先輩から、問題を見つけても自分では対処しないよう言われた記憶があるんですが」
「んー」
俺がぼやくと、ナギサ先輩は首を傾げていた。
どう説明しようか考えているらしいが、どこか子どもっぽくて可愛らしい仕草だ。
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