第19話 ナギサ先輩と見回り(後編)

「声掛けするか、あるいは対応を先生に任せるかの判断基準はシンプルだよ」


 ナギサ先輩は首を傾げたまま語りだす。


「要は、注意する我々風紀委員の身に危険が及ぶかどうかさ。不審者への対応や喧嘩の仲裁は危険だから、先生に任せる。逆に我々に危険が及びそうにない、生徒が廊下を走ってるだの不純異性交遊している生徒がいるだのは注意してもいいんだ」


「ああ、なるほど」


 あくまでも風紀委員の安全を守るための決まりというわけか。


 それなら廊下を走る生徒と出くわした時は、きちんと注意したほうが良さそうだな。

 見て見ぬふりは、なんていうか体裁が悪いと思う。


 やはりビシバシ注意してこそ風紀委員だ。


「あ、あと不純異性交遊について質問なんですけど、具体的にどのレベルから禁止なんですか? 男女で手を繋いでいたらアウト?」


「さあ?」


 ずいぶんのんきな返事が来た。

 ナギサ先輩も自覚はあったのか、照れくさそうに笑っている。


「今年度から男女共学になったから、一応そういう規定を作ってみたらしい。だから、すべては曖昧模糊あいまいもことしている。具体的なことはなにも決まっていないそうだよ」


「……それなら、見かけても注意せずに先生に報告のほうが無難そうですね」


「まあ、人前でキスをするような奴らがいたら、その場で反省文の提出を求めるくらいはしてもいいかもね。その程度の罰則なら風紀委員が単独で下せるから、あとでクレームが来てもどうにでもなる。もちろん、よほど恣意的な運用をすれば話は別だけど」


 反省文。

 学校でキスしてごめんなさいと書かせるわけか。


 地味だが効果はありそうだな。


 そんなことを考えていると、ナギサ先輩がニヤリと笑って俺を見た。


「だから連城くんも、反省文の提出を求められないよう常日頃から気をつけておいたほうがいいんじゃないかな」


「……」


 きっと、ラビュにキスを迫られていた先日の出来事を言っているのだろう。

 実際、ナギサ先輩がラビュを止めなければあのままキスしていてもおかしくなかったし、不純異性交遊と言われれば否定できそうもない。


「風紀委員って校則違反者を見つけても鉄拳制裁とかはできないんですか? 反省文だけ?」


 だから俺は、話をそらすことにした。


 自分に都合の悪いことは、聞こえないふりをしてやりすごす。

 それがここ数年で身につけた、俺なりの処世術だ。


「鉄拳制裁? そんなことできるわけがない。もっとも私だって、実際に風紀委員になる前はそんな想像をしたこともあるけどね」


 そしてナギサ先輩もそれ以上俺をからかうつもりは無かったようで、話に乗ってくれた。


「でもまあ、これはこれで平和的でいいよ。この学校は先生も生徒もみんなのんびりしてるし、風紀委員もふんわりと頑張るくらいでちょうどいいんじゃないかな」


 見習いとはいえ変態管理官だというのに、ナギサ先輩は意外と穏健派のようだ。

 彼女はふうと息を吐き出す。


「さて、おしゃべりはこのくらいにして、さっそく見回りを始めようか。今日は初回だし、校舎内には入らずグラウンドをくるりと一周してみよう」


「それだけでも結構時間が掛かりそうですね」


「初回だし30分は軽く掛かるんじゃないかな」


「おおぅ……」


 まさかグラウンドだけで30分とは……。


「風紀委員って意外と体力勝負ですね」


「かもしれないけど、キミの運動神経なら慣れれば5分程度で回れるようになるんじゃないかな。……ところで先ほどから気になっていたけど、連城くんが首からぶら下げているその銀のホイッスルって――」


「うおっ、美少女発見!」


「うるっさ……」


 校舎を出たとたん耳に突き刺さってきた聞き覚えのある声に、俺はガックシとうなだれた。


「なんだなんだ、光太郎! 可愛い子を連れてきやがって! さっそく恋人を作ったのかよ、すみにおけねーなぁ、おい!」


 ジャージ姿のショーゴが、サッカーボール片手に髪をファサファサさせながら近づいてくる。


 俺はそんな彼を見つつ、首からぶら下げていたホイッスルを口にくわえ――そして鋭く吹き鳴らす。


「――ピピッ!」


「な、なんだ?」


 困惑した様子のショーゴ。

 俺は胸を張り肩を怒らせながら毅然とした態度で告げた。


「いまの貴様の発言……この学園の風紀を乱す行為だと私は判断した!」


「な、なにぃ!? まさか貴様、風紀委員だったのか!」


「……まさかもなにも、ついこのあいだ光太郎から聞いたばかりだろう。風紀委員になったと」


 背後からのしのしと近寄ってきたクマさんを振り返り、ショーゴは首を傾げる。


「そう……だったか……? たしかにそう言われてみれば、なんとなく小耳に挟んだ気がしなくもないが……」


「なんでそのレベルの認識しかないんだよ。ちゃんと伝えたのに」


「まったくだ」


 クマさんはいかにもあきれ果てたと言わんばかりに、首を左右に振る。


「いいか、ショーゴよ。光太郎がいま言った通り、話を小耳に挟んだあとは、耳の穴にもねじ込んでおけ。そうしないと記憶が定着しないからな」


「俺、そんな話したか? そして人間の記憶ってそんな仕組みか?」


 ツッコミを入れるが、ショーゴは俺たちのやり取りを気にした様子もなく、悪態をついている。


「ケッ、いいじゃねーか別に。こっちが部活に情熱を燃やしてるときに、こいつはこんな可愛い子とデートしてんだぜ。文句も言いたくなるっての」


「ピピッ!」


「な、なんだよ。その笛を吹くのやめろよ」


「他人の容姿について口に出して批評するのは、言うまでもなくセクハラだ。そして、男女が歩いているだけでデートとはやし立てるのも、同じくセクハラ。この学園の風紀を乱した貴様は、バツとして反省文を提出しなければならない! ……ですよね、ナギサ先輩」


 俺が自信満々に振り向くと、彼女はなぜかキョトンとしていた。

 

「うん? いや別にそこまでしなくていいんじゃないかな」


「え!?」


「お?」


 ナギサ先輩は、俺の驚愕の視線を無視して、軽く肩をすくめている。


「単なるジョークだろう? 『風紀に反する』なんて、わざわざ事を荒立てる必要は無いよ。反省文を提出させるとなると、どうしても先生への報告も必要になるし、それはさすがに可哀想だ」


「おー、話がわかりますな。さすが光太郎の先輩だけあって、懐が広い」


「とはいえ、だ」


 ナギサ先輩は、少しだけ声のトーンを落とし、ショーゴをまっすぐ見つめた。

 それだけで、弛緩していた空気が一気に引き締まるのが分かった。


「連城くんが言うことにも、一理あるのはたしかだ。さきほどのキミの言い方は、あまりにも配慮に欠ける表現だったからね。友人しかいない場所でなら問題ないかもしれないが、無関係な人間もいる場所ではもう少し話す内容に気をつけたほうがいい。別にキミだって、私のことをからかうつもりはなかったんだろう?」


「あ、そっすね……。すいません、深く考えてなかったっす」


 いかにもバツが悪そうにしているショーゴに、先輩は優しく笑いかけた。


「ふふふ。そうしょぼくれる必要は無いさ。ただ今後は気をつけてくれるとありがたい。分かってくれるね?」


「は、はいっ! これからは全力で気をつけます!」


 最終的に背筋をしゃんと伸ばして、きっちり頭を下げるショーゴ。


 惚れたな。まあいつものことだけど。

 こいつは俺に負けず劣らず惚れっぽい人間なんだ。


「……俺、余計なことしちゃいましたね」


「ん?」


 練習に戻るふたりの背中を見つめながら呟くと、先輩は意味が分からなかったのか首を傾げていた。


「俺が勝手に突っ走って注意したせいで、先輩にフォローを入れてもらうことになっちゃいました。なんとなく風紀委員的なイメージを目指してやったんですけど」


「ふふふ、そんなことを考えていたのかい? でも、別に気に病む必要はないさ。いまのは単に役割分担しただけだからね」


「役割分担?」


「連城くんが彼に指摘した内容は、別に間違ってるというわけでもない。たしかにセクハラかどうかというのなら、彼の言動はセクハラだったしね。でも、その場の状況や互いの関係性によって同じ言葉でも意味合いは変わってくる。今回の彼の行為は私にセクハラをするのが目的ではなく、君をからかう意図が明らかだったから穏便にすませたのさ。知り合いにじゃれてるつもりが、とんでもないほうに流れ弾が飛ぶというのは、実際よくあることだからね」


「はあ」


「まあ、結果論だけど、対処としてはあれでよかったんじゃないかな。先生に報告する必要性は感じなかったし、それに彼だって何度も同じことを繰り返すタイプにも見えなかった」


「先輩からさとされたのが効いたと思いますよ。厳しい先輩には反発するんですけど、優しい先輩には従順なんです、あいつ」


「ふうん……」


 先輩はあまり興味がないようで、俺に背を向け歩き出した。

 そして、こちらを見ないままつぶやく。


「ところでひとつ聞いてもいいだろうか」


「なんでしょう?」


「さっき、あのサッカー少年が『可愛い子をつれてきた』と言っていたけど……」


「はい、言ってましたね」


「……私って、可愛い?」


「わざわざそれを聞いてくるところは、間違いなく可愛いと思います」


「そ、そっか……ふーん」


 どうも喜んでいるようだ。

 口元がニマニマと緩んでいるのが背後からでもよく分かる。


 そういうところが可愛いんだよなあと思いつつ、ナギサ先輩のあとを追う俺だった。

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