第20話 鉄棒(前編)

「結構きれいな建物ですね」


「ここも去年のうちに建て直したからね」

 

 スタートからつまずいたものの、ようやく見回りを開始した俺とナギサ先輩は、グラウンドの片隅にある真新しい建物――部室棟へとたどり着いた。


 運動部の部室の大半は、この2階建てのプレハブの中におさまっているそうだ。

 

 入り口の脇に自販機と無料の冷水器が置かれているのが、いかにも運動部のテリトリーという印象を受ける。


 ……もしサッカー部に入ってたら、俺もここに入り浸ってたんだろうなぁ。


 そんなことを考えながら、夕日に照らされ真っ赤に染まる部室棟を眺めていると、ナギサ先輩がちょんちょんと俺の肩をつついてきた。


「ほら、あそこにゴミが捨てられているのが見えるかい?」


 先輩の視線を追うと、たしかに自販機のそばの植え込みにペットボトルが引っかかっている。


 近くにゴミ箱があるところをみると、ふざけて投げたものの目測をあやまってしまったのだろう。

 そしてそのまま放置。


 いろんな意味で情けない話だ。


「俺なら百発百中で、外したりしませんけどね」


 さりげなくそんな自慢をしながらペットボトルを拾うため植え込みに近付いていくと、先輩が背後から声を掛けてきた。


「別に我々が対応する必要はないよ」


「マジですか……」


「というよりむしろ、触れてはいけないんだ。さっきも言ったように報告だけさ」


「えっ……」


 さすがにこれには愕然とした。


 落ちてるゴミを拾って捨てるなんて一般生徒でもやるようなことだ。


 なのに風紀委員は、それさえしないというのか……。


「一応、これにも理由はある。一見すると単なるごみにしか見えないけど、誰かが意図的に放置した危険物の可能性があるからね。ほら、底に少し液体が残っているだろう? 危険な薬品だったら大変じゃないか」


「…………」


 たしかに捨てられたペットボトルの底には、わずかばかりの水分が残っているようだ。

  

 でもどう考えても飲み残しとしか思えない。


 というか、本当に危険物の可能性があるのなら放置したりせずに、すぐさま回収するべきではないだろうか。


 俺たちが回収するのが駄目だとしても、電話連絡して先生に来てもらえばいい。


 にもかかわらず報告だけで済ませるということは、ナギサ先輩だって本当は危険物だなんて思っていないわけで。

 

「はあ……なるほど……」

  

 俺が不承不承頷くと、先輩は含み笑いをもらした。

 

「ふふふ、まあ君が不満に思う気持ちも分かるよ。私だってこのくらいは拾って捨てたいさ。ただ、例外を作るのはよろしくないことだと、この学校は考えているらしい。とにかく危険物の可能性がある以上は、ゴミを見つけても拾ったりせずに先生に報告。我々がするのはそれだけなんだ」


「……ずいぶん過保護に感じますね。俺の危機意識が低いだけなんでしょうけど」


「どうもそのあたりは、お嬢様学校の名残のようだね」


 意味がわからず視線を送ると、先輩は笑っていた。


「過保護というより、隔離措置のほうが近いんだと思う。かつては掃除をさせると、自己判断で『不要物』をポイポイ捨てる生徒が多かったらしい。学校の備品だろうとお構いなくね」


「自分にとってゴミだから……」


 冗談としか思えない話だが、自分で掃除をしたことがないような『超』がつくほどの箱入り娘だと、そういうこともあるのかもしれない。


 そしてそういう意味では俺だって他人のことは言えない。

 自分にとって当然のことが、他人にとってもそうだとは限らないなんて、今までの経験で痛いほど分かっていた。

 

「そういう経緯もあって、学内の清掃には業者を入れることになったそうだ。この学園のシステムは、そういったことの積み重ねでできている。実際、学園の歴史を振り返ると、なかなかいろいろな出来事があったみたいだね」


 タブレット上の地図で植え込みをタップし、『ゴミ有り――ペットボトル』の報告を済ませたナギサ先輩は、夕陽で真っ赤に染まる校舎を眺めながらつぶやく。


「よくもまあ、ここまでの問題児が集まったものだと感心するほどさ。やんちゃな子どもを持て余した親が、大量の寄付金と一緒に娘を送りつけるケースもあったらしい。当然のように子どもは親の威光を盾にやりたい放題で、結果的に隔離措置をくらうこともあったのだとか」


「へえ」


 ごく普通のお嬢様学校だったと聞いていたが、実情は違ったのか。

 とはいえ、そこまで意外な話でもない。


 ウチの部員を見ていてもなかなかの問題児ぞろいだし、旧校舎という僻地に部室をあてがわれ、隔離措置を取られているという意味では大差ない……ん?


 というかもしかしてナギサ先輩は、そのことを言ってるのか?


「……」


 穏やかに微笑みつつ歩みを進める彼女の態度からは、何を考えているのかうかがい知ることはできない。


「先輩は部室に設置されたカメラのことをご存知ですか?」


 いい機会なので、俺は前々から気になっていた疑問をぶつけることにした。

 

 そう、例の隠しカメラだ。

 はっきり言って、やりたい放題という意味では、あれこそそのさいたるものだと思う。


「もちろん知っている。ちなみに連城くんは、それについてなにか聞いているかい?」


「部室内に驚くほどたくさん設置されていて、でも学園の許可はあるとか」


「そうだね。まあ風紀委員にまでは話が回っていなかったようだけど、かなり早い段階から学園に許可願いが出ていたのは事実だ」


「……それを理事長が許可したんですか? 隠しカメラを設置していいと?」


 いくら部室限定だからといって、どうかしているとしか思えない。

 なんだかげんなりしてくるな。


「まあ、これに関しては理事長というより学園の総意というやつだ」


「学園の……?」


「ああ。世界に名だたる『Gojoゴジョー』ブランドは……まあキミは知らないか。とにかく御城ケ崎家は古くからの名家であると同時に、様々な分野で世界トップクラスの影響力を持つ財閥なんだ。日本経済の屋台骨といっても過言ではないほどのね。そしてなんといってもこの学園に驚くほど多額の出資をしている。学園全体に張り巡らされた高性能の警備システムだって、娘を守るためということで無償で提供したらしい」


「つまり、学園にとって利となる存在だから、ある程度の無茶も許されている?」


「まあ端的に言えばそういうことだ。そして学園が許可した以上、私も逆らったりしない。私は長いものには巻かれるタイプだからね」


 長いものに巻かれるタイプ?

 村に反旗をひるがえし続けたあの『洋服のお姉ちゃん』が?


「やはり連城くんには、きちんと話しておくべきかな」


 ナギサ先輩は自嘲じちょうするように、ほろ苦く笑っていた。


「見習い変態管理官に抜擢されたと言われている私だけど、それは実力じゃないんだ。キミだって知っているだろう? 私に変態を管理する技術なんてないよ。父親が変態管理局のトップだから、私の人生のレールも自動的に決まってしまっただけ。親の七光りで国家機関への就職が決まった私には、他の誰かを非難する資格なんてないのさ。……軽蔑したかい?」


「いえ……」 


 ナギサ先輩のことを軽蔑なんてするはずがない。


 でも、『軽蔑したかい?』なんて言葉がナギサ先輩の口から出てくるのは、なんだか意外だった。

 俺が思っている以上に、彼女は他人の目を気にするタイプなのかもしれない。


◇◇◇◇◇


「高校にも鉄棒があるんですね」


 見回りが続くなか、重い空気を払しょくするため、とりあえず目についた鉄棒を話題に出してみる。

 グラウンドの端とはいえ、大きさが異なる鉄棒が5つも並んでいて、なかなかに壮観だ。


「……あるんだ、なぜか……」


 けれど先輩が身にまとう空気が、さらに重くなってしまった。


 どうも話題の選択に失敗したらしい。


「小学校ならともかく、高校生にもなって鉄棒でもあるまいと私は思うんだけどね」


「そうですか? 体操部が練習に使えそうなくらい、ちゃんとした鉄棒に見えますけど」


「いや、彼らは体育館で練習をしている。もちろんまったく使わないということもないだろうが、彼らの大会は室内で行われるから、室外練習はあまり重視していないんじゃないかな」


「ああ……じゃあたしかに謎ですね。別にあって悪いというわけでもないですけど」


「あん?」


 俺がなんの気なしに言ったセリフが、なにやら先輩の心に火を点けたようだ。

 露骨に彼女の口調が荒くなってしまった。


「あって悪いに決まってるだろう。グラウンドにこんなものがあるせいで、『授業で鉄棒を使わないともったいない』なんて馬鹿なことを体育教師が考えるんだ」


「……もしかして先輩、鉄棒が苦手なんですか?」


「ふん」


 ナギサ先輩は不服そうに鼻を鳴らす。


「まあそうだけど、別に私だけじゃない。去年も逆上がりは8割近くの生徒ができなかった」


「へえ。結構多いですね」

 

 まあ、お嬢様学校だとそんな感じなのかな?


「連城くんは……まあ、できるか。運動神経が昔から良かったし」


「ですね。ただそれでいくと、ナギサ先輩ができないのはちょっと意外です」


 村にいた頃の彼女はあまり外に出たがらなかったが、いざ外出するとなると驚くほど活動的だった記憶がある。


 裸の住人とすれ違う時の素早さといったら、スピードに自信のあるこの俺が彼女の影すら踏めないほどだったのだ。

 

「先輩ならコツさえつかめば、逆上がりくらいパパっとできそうなものですけど」


「……」


「先輩? どうかしました?」


「……ちょっと練習してみようかな」


「練習」


 苦手を克服するために挑戦するのは、いいことだと思う。


 ……見回りの最中でさえなければ。


「サボりになりませんか?」


「ならないよ」


「…………」


 やけにきっぱりと言い切るせいで、かえってうさんくさい。

 そんな俺の気持ちが伝わったのか、ナギサ先輩が苦笑していた。


「――『敷地内に設置された運動器具についての異常の有無』。それも見回りの際の確認事項に含まれているんだ。もちろん基本は目視で済ませるんだが、そういう建前があるからね。実際に使用しても怒られることはないよ」


 実際に使用しても怒られることはない?

 それってつまり、実際に使用して怒られなかった経験があるということで……。


「なるほど。以前にも見回りの時間を使って逆上がりの練習をしたことがあるんですね」


 俺が指摘すると、先輩はサッと目をそらした。


「だって、昼休みにやると悪目立ちするし……」


 素直に白状してくれるのは、先輩の生真面目さゆえだろう。


「たしかにこの時間なら帰宅部の生徒はすでに帰ってますし、運動部の生徒は練習に打ち込んでますから注目を浴びることはないですよね。せっかくですし、ちょっとやってみますか」

 

「よしきた。それでキミには補助を頼みたいんだけど……」


 補助?


「それは構いませんけど、やり方は分かりませんよ? 身体をどう支えればうまく逆上がりができるのかなんて、さっぱりです」


「んー、そうだな……。たしかにキミは、運動神経が常軌を逸して優れているぶん、細かい動きが雑なところがある。私の身体を支えるために手を伸ばして、おしりでも触られたら困るか」


「しませんけどね、そんなこと」


「もちろんキミが意図的にしないのは分かっているが、ハプニングというのはつきものだから。よし、やはりここは安全策でいこう」


 そう言って先輩はニコリと笑った。


「ねえコウちゃん、補助板の代わりになってよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る