第2話 俺がその手につかんだものは

 父さんは変態に上も下も無いと言っていたが、俺はそうは思わない。

 現実問題として強力な変態というものが、この世の中には存在しているのだ。


 たとえば――いま目の前にいるこの少女だ。

 見た目は絵本から飛び出してきたような、ただただ可愛らしいだけの金髪少女。


 しかし俺の変態レーダーが、いまだかつてないほど強く反応している。


 変態パラダイス村を出てからの俺は、伝説級の痴漢や神話級の露出魔などとも遭遇したが、彼女は決してそんな連中にも引けを取らない。

 いやそれどころか、唾棄だきすべきあの連中とは違い、変態界のニュースターとして、夜空に燦然さんぜんと輝く星になれる逸材。


 だって彼女から、超強力な変態パワーを感じるのだ。

 きちんと制服を着て歩いているのが奇跡だと思えるほどの、凄まじいパワーを。

 

 そんな彼女の視線を頬に感じながらも、俺はまっすぐ前だけを見て歩く。


 そして――特になにごともなく、そのまますれ違った。


「……」


 さてどうしたものか。

 立ち止まることなく廊下を歩きながら、俺は考えを巡らせる。

 

 選択肢はふたつ。


 このまま予定通り旧校舎に向かうか、あるいは金髪少女を追うか。


 ……まあ旧校舎だな。

 

 彼女に声を掛けたいのはやまやまだが、説得できるような材料が今の俺にはない。

 この状態で会話を仕掛けたって単なるナンパとしか思われず、好感度が下がるだけの結果に終わるだろう。


 あそこまで目立つ容姿をしていれば、彼女が誰なのかなんてすぐに分かるはずだし、きちんと策を練ってからお近づきになればいい。


 そしてもし彼女が露出を好む変態であれば、その時は仲間に誘おう。


 俺が密かに願う野望――変態パラダイス村の復活。

 彼女ほどの変態なら、きっと仲間になってくれるはずだ。

 

◇◇◇◇◇


「……」


 俺はいつでも逃げ出せるようドアノブを掴んだまま、薄暗い通路の先を見つめた。

 闇に紛れて無数の目がこちらに向けられている気がしたのだ。


 無論それは単なる妄想に過ぎないが……。


 ――俺はいま、旧校舎に来ていた。

 そう、例の『お化け屋敷』だ。

 

 文化棟の裏口から、赤さびの付着した簡易的なつくりの屋外通路を通って旧校舎の裏口へとたどり着いた俺は、高さ2メートルほどのアルミ製の扉から旧校舎の内部へ入ろうとしていた。


 鍵は掛かっていない。

 いくら学校の敷地内とはいえちょっと不用心な気がする。


 ……しかし、相変わらず不気味な場所だ。


 廊下の先を見通すという無駄な努力をやめた俺は、ため息をつきながら旧校舎に足を踏み入れた。

 そして、ゆっくりと閉まる扉の気配を背後に感じながら、慎重に歩き出す。


 別になにがあるわけでもないが、なにかがありそうな気配がするのがこの旧校舎の特徴だ。

 率直に言って薄気味悪い。


 気がのらないまま、まっすぐ廊下を進んでいくと……。


「おっ……」


 正面玄関にたどり着いた。

 さすがにこの辺りは採光がきちんと考えられているようで、本校舎並みに明るい。


 おかげで俺の気分もちょっと持ち直してきたようだ。


 我ながら現金なものだと、苦笑しながら周囲を見回す。


 昇降口の正面には、広い階段があった。

 2階に上がる階段と、地下に続く階段。


「……」


 旧校舎のなにが不気味って、一番は地下なんだよな。

 階段を下りても、そこには『機械室』と書かれた大きくて分厚い扉があるだけ。

 そして部屋のなかから聞こえてくる、ゴウンゴウンという機械の大きな作動音。


 怖い。


 いやまあ実のところ、扉の向こう側になんの部屋があるのかは知っているのだ。


 消火ポンプ室。

 それは火事になったときに校舎内に水を送る、とてもとても大切な場所だと入学直後のオリエンテーションの際に教えてもらっていた。

 だから怖がる必要が無い事だって分かっている。

 

 でもやっぱりうるさいし怖い。


 とはいえ学校の設備に文句を言っても仕方が無いし、外がまだ明るいうちにさっさと行っておくか。

 もちろん地下に行っても扉しかないわけだが、その扉にきちんと鍵が掛かっているかだけは確認しよう。

 だって俺は、風紀委員なのだから。


 覚悟を決めた俺が、階段を一段下りる。


 と。


 コツン……コツン……と、背後からかすかな足音が聞こえてきた。


 瞬間、ゾッとする。

 別に俺以外に人がいたことに驚いたわけではない。


 ――彼女だ。


 先ほど本校舎の渡り廊下ですれ違った、可愛らしい金髪少女。

 俺の鋭敏な変態レーダーが、背後にいるのが彼女だと告げている。


 俺のあとをつけてきた……?


 いやさすがにそれは自意識過剰か。

 考えてみれば、旧校舎には資料室もある。

 先生から頼まれて資料を取りに来ただけかもしれない。


 ……とはいえ、なんとなく不安だ。


 とにかく階段を下りてみよう。

 地下には一般生徒が立ち寄るような場所が無い。

 開かない扉を前にして、再び階段を上がるだけだ。


 彼女がそんなところにまでついてきたら、俺に用があると考えていいだろう。


 俺は静かに呼吸を整えつつ、1段1段踏みしめるように、ゆっくりと階段を下りていく。


 すると背後からもコツン……コツン……と足音が途切れることなくついてきた。


 彼女も階段を下りてきている……!


 俺は確信した。

 偶然でも勘違いでもない。

 彼女は俺をストーキングしている!


「………」


 しかしそうなると、かなりマズい状況かもしれない。

 強大な変態パワーの持ち主である少女とふたりきり。


 明らかに俺にばれないよう足音を殺しつつあとをついてきているのだから、隙を見て襲い掛かってきたっておかしくない。


 最悪の事態も考えるべきだ。

 俺はさりげなくズボンのポケットに手を入れる。


 仮にも変態管理官を目指す以上、俺だって変態に対処する技くらいは持っているのだ。


 その名も『変態封殺術へんたいふうさつじゅつ』。

 連城村に伝わる秘伝の変態管理法である。

 もっとも俺は駐在さんから聞いてそういう技があると知っただけなので、ぶっちゃけ自己流でしかないが……。


 とはいえ既に実戦でも使用しており、その効果は折り紙付き。


 俺が使える変態封殺の技は2つ。


 痴漢封殺術『千手せんじゅ』。

 露出封殺術『瞬着しゅんちゃく』。


 一応それ以外に、奥の手の必殺技も持っているが、本当の意味で相手を必殺しかねないので、人間相手に使うつもりはない。


 今回は、相手の変態区分が不明だが、おそらく瞬着を使うことになるだろう。


 なんとなく彼女からは俺と同類のにおいを感じるのだ。


 ――瞬着。

 それは露出願望の持ち主への対処に特化した技で、相手が全裸を見せつけてきたその瞬間、即座に洋服を着せ直し、すべてをなかったことにするという驚異の荒業である。

 

 もっとも男性相手には幾度となく試し、そのたびに成果を上げた業だが、女性相手には一度も使ったことが無い。


 もちろん女性の変態に出会う可能性があるので、常に女性用の洋服セットも小さく折りたたんでポケットに忍ばせてあるが、いかんせん経験が不足していた。

 こういう異常事態できちんと着せられるかは正直心もとない。


 だから話し合いで解決できるのならそれに越したことは無いんだよな。

 そしてそれは、向こうが襲い掛かって来てからでは遅いわけで。


 ……こちらから声を掛けるか。


 旧校舎とはいえ、ここも学び舎の一部であることには違いが無いのだ。

 同じ学生という立場なら意外と友好的に会話ができるかもしれない。


 階段の踊り場までたどり着いた俺は、相手に警戒心を持たれないよう、笑顔のままゆっくりと背後を振り返り――。


「……!?」


 笑顔もろとも衝撃で全身が凍り付いてしまった。


 俺の視線の先には予想通り金髪少女がいた。

 もちろんそれだけなら驚くには値しない。


 でも彼女は――下着姿になっていたんだ!

 白いレースがついた、煽情的せんじょうてきな下着姿に!


 全裸村出身の俺は、基本的に女性の裸体にも下着姿にも動じることは無いが、そんな俺でも思わずハッとしてしまうほど、純白の下着に包まれた彼女の身体は美しかった。


 でも、いつの間に脱いだんだ!?

 ついさっきすれ違ったときは、普通に制服を着てただろ!?


 あまりの異常事態に衝撃を受け、その場で固まってしまう俺。


 一方の彼女も、俺が急に振り向いたことに驚いたらしく、ギョッとしたようにこちらを見下ろしていた。


 絡み合うふたりの視線。

 その瞬間、階段を一陣の風が吹き抜けていく。


「わわわっ!」


 下から風に煽られた金髪少女は、スカートを両手で押さえるような仕草をした。


 いや、もちろん実際はスカートなんてはいていないのでめくれる心配なんて不要なわけだが、忘れていたのかあるいはなにか違う理由でもあるのか、彼女はそんな仕草をしたのだ。


 そして不要としか表現できないその動きが、彼女のバランスを盛大に崩した。 


「……っ!」


 階段を踏み外す少女。

 背中から倒れていく身体。


 まるでスローモーションのように時間がゆっくりと流れる中で、助けを求めるように空中を泳ぐ彼女の両手。

 

 ――まずい! あれだと後頭部から落ちる……!


 そう認識したときには、俺の身体はすでに動き出していた。


 床を強く蹴り、爆発的な勢いで階段を駆け上がった俺は――右手で手すりをしっかりと掴みながら、倒れ込む少女の背中に左手を滑り込ませる。


 そして、左手に感じる彼女の重みと、やわらかな肉体の感触。

 

「ふう……」

 

 俺は大きく息を吐いた。


 成功だ。

 倒れ込む金髪少女の身体を、無事に受け止めることができた。 


 とっさのことで焦ったけど、ま、このくらいできて当然だよな。

 

 だって俺は、変態管理官になるんだ。

 とらわれの父さんを助け出すためにずいぶん身体を鍛えたわけだし、急だったから身体が動きませんでしたなんてわけにはいかない。


 とはいえ、本当に良かった。


 俺があとほんの少しでも動くのが遅かったら、彼女は背中を階段に思いっきり打ち付けていただろう。

 いや背中だけでなく後頭部を階段の角にぶつけていてもおかしくない。


 いうなれば俺は彼女の命の恩人といったところだろうか。

 別に恩に着せる気は無いが、なんだかとても誇らしい。


 安堵の吐息をもらしつつ、腕の中にすっぽりおさまっている少女を見下ろした俺は――即座に自身が失態を犯していることに気付いた。


 誇らしい気持ちは一瞬で消え失せ、だらだらと冷や汗が流れてくる。


 間近で見る彼女は、こんな時だというのにこの世の物とは思えないほど可愛らしく、それでいて美しかった。

 

 きらきらと輝く金髪。

 ぎゅっと目をつぶった可愛らしい仕草。

 軽く突き出された艶やかなくちびる。


 それに小柄な身体には似つかわしくないほど、豊かな胸。


 そして――そんな胸をしっかりと掴んでいる、俺の左手。


 …………。


 彼女の身体をがっちりと抱き留めた俺の左手は、ついでと言わんばかりに金髪少女の胸を鷲掴みにしていたのだった。

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