第1話 連城光太郎と、謎の金髪少女

「――じゃ、じゃあ、そういうことだから。みんな気をつけて帰ってね」


 担任の声が、やけに遠くに聞こえた。

 ガラガラと教室の扉が開き、そして閉まる音。


「…………」


 周囲のざわめきを聞きながら俺はぼんやりと目を開けた。

 すでに帰りのホームルームは終わったらしく、みな帰り支度をしている。


 ……やらかした。

 完全にやらかした。


 今日は私立六ツ葉むつば学園に入学して2度目の月曜日。

 新生活に慣れてきただけに、油断をしてはいけないと気合を入れたハズなのに、最後の最後でうたた寝をしてしまうとは。


 宇佐うさ先生に気付かれなかったことを期待したいけど、それは望み薄だろう。

 優しい先生だから表立ってどうこう言ってくることも無いとは思うが、内心の評価が下がったことはまず間違いない。


 しかし、授業ならともかく帰りのホームルームで居眠りとは。

 春の陽気が心地良いとはいえ、いくらなんでも油断しすぎだよなぁ……。


 くあぁ、とあくびをしながらそんなことを考えていると、机にサッと影が差した。

 そして頭上から聞こえてくる力強い呼び声。


「おい、光太郎こうたろう


「……クマさんか」


 熊田三四郎くまださんしろう。通称クマさん。

 中学時代からの友人だ。


 見た目はまあ、あだ名のとおりと思ってもらえば間違いない。


 熊のように大柄で、でも瞳がつぶらなクマさんは、気が優しくて力持ち。

 朗らかとしていて温和な性格なので、どこにいってもムードメーカーとして重宝される存在である。


 そんな彼は誇らしげに胸を張ると、ニカッと笑った。


「ついにやったぞ! ようやく部員が集まり、念願の顧問も見つかった。今日から練習が始められるのだ!」


 ご自慢の白い歯が輝くのを見つつ、俺はつぶやく。


「そっか。よかったな」


「なにを他人事のような反応をしているんだ。光太郎もサッカー部に入るだろう? 中学の頃とは違って、面倒な先輩もいないし、なんていっても新設だ。今の時代、なかなかないぞ。新しくできたサッカー部なんて」


「ま、そのぶん備品もないから、大変なんだけどな」


 クマさんの身体を両手で押しつつ話しに割り込んできたロン毛の男は、同じく中学からの友人である井上祥吾いのうえしょうご


 通称チャラ

 本名と関連性のないあだ名がつく時点でお分かりかと思うが、どこに出しても恥ずかしくないような、生粋きっすいのチャラ男である。


 ちなみに俺はそのあだ名で呼びかけることはまず無くて、基本的にショーゴと呼んでいる。

 どこに出しても恥ずかしくないほどの無敵のチャラ男っぷりを誇る彼なのだが、チャラ男と呼ぶのは俺が恥ずかしいのだから仕方が無い。


 ちなみに俺がショーゴと呼びかけるたび、彼はちょっと切ない顔になる。

 チャラ男というあだ名がお気に入りなのだ。


「この学校、サッカーボールはもちろん、ゴールポストすらないんだぜ? いくら去年まで女子高だったっていっても、体育の授業でサッカーくらいしないのかね。お嬢様の生態はマジで意味不明だわ」


「まあ、たしかに理解しがたいところではある」


 クマさんは、動作がいちいち大仰で、どこか芝居がかっている。

 いまも俺たちの顔を見回しながら、やたらと重々しく頷いていた。


「しかしそのおかげで、備品がすべて新品で購入してもらえるわけだから、悪いことばかりではない。いやむしろ、そんな苦労さえも今の俺たちには喜びだ。光太郎よ、俺たちと一緒にイチから作り上げていこう。――私立六ツ葉学園男子サッカー部の輝かしい歴史を」


 つぶらな瞳をキラキラ輝かせるクマさんから目をそらし、俺は首を振った。


「悪いが、パスだ」


「は? なんだよパスって。光太郎だって、彼女が欲しいんだろ?」


「なんの話だよ。部活と関係あるか?」


「あるに決まってんだろーが、分からん奴だな」


 ショーゴはこちらに顔を寄せ、小声でひそひそとささやく。


「やっぱここの女子、男子に慣れてないぜ。廊下を歩くだけで、きゃあきゃあ騒ぎ出すんだ。マジでチョロいぞ。この上サッカー部のレギュラーにでもなってみろ、きゃあきゃあどころじゃすまないだろうな。俺たちが廊下を歩くだけでギャァァァーっと、殺人事件を思わせるような悲鳴が飛び交うはずだ」


「なんかそれ嬉しくないな」


「たしかに俺も言いながら思った」


 ショーゴはすんなり白旗をあげたあと、特に悪びれた様子もなく俺の目をじっと見つめた。

 その表情は真剣そのもの。


「だが、この学園の女子がちょろいのは事実だ。光太郎もモテたいだろ? ならサッカー部に入って、一緒にモテモテになろうぜ」


グッと親指を立てるショーゴを真顔で見つつ、俺はつぶやく。


「……それは女子連中がチョロいんじゃなくて、ショーゴがカッコ良すぎるせいじゃないか?」


「は、はあ!? なんだよそれ、ばかじゃねーの!?」


「ばかじゃねーの言われても、俺は廊下を歩いていてもきゃあきゃあ言われたことなんかないし。クマさんは?」


 視線を向けるが、クマさんも首を軽く振っている。


「俺も無いな。やはり、チャラ男が無造作に放つイケメンオーラの成せる業だろう」


「よ、よせやい、ばかやろう。2人そろって俺を褒めちぎりやがって。……よせやい!」


「なんだそのテンション」


 ショーゴはチャラ男なんだけど、でもサッカー一筋でやってきたせいか、意外と純情なところがある。

 俺たちが一緒にいるときは女の子相手にもチャラチャラ絡んでいけるのに、女子と一対一になると、ガッチガチに緊張してしまうようだ。


 そのうえ、褒め言葉にも弱い。

 女の子から褒められるのはもちろん、俺たち男から褒められてもこんな感じで挙動不審になってしまう。


 要するに愉快な奴なんだ。


 いやショーゴだけでなくクマさんだって一緒にいて楽しい相手だし、俺だってサッカー部に入るのが嫌なわけじゃない。


 ……でも俺には、やるべきことがあった。


「前にも言ったけど、サッカー部に入るつもりはないんだ。委員会活動があるから」


「……は?」


 高校入学前にも伝えておいたはずなのに、ふたりとも口をぽかんとあけている。

 どうも冗談だと思っていたらしい。


「いやいやいや、宇佐先生が言ってただろ、委員会に入るかどうかは任意だって。入らなくても別にいいって」


「それは知ってる。でも、入りたかったから」


「まじかよ。なんでまたそんなめんどくさいことを……」


「……変態管理官へんたいかんりかんになりたい。光太郎は昔から口癖のように言っていたが、あれは本気だったのか」


「変態管理官!? いや、たしかに言ってたけど……!」


 ――変態管理官。

 それは、変態を管理する特殊技能を持った人々の総称である。


 国家機関『変態管理局へんたいかんりきょく』に所属する彼らは、突如として世の中にあふれた数多あまたの変態たちに対処するため、昼夜を問わず活動を続けている……わけだが、いまだに変態たちはその数を減らす気配がない。


 だからこそ管理局は、変態を管理できる優秀な人材を常に求めていた。


 ――この私立六ツ葉学園と協力して、変態管理官の育成を試みるほどに。


「変態管理官を目指すのなら、この学校で風紀委員になるのが一番の早道だからな」


「そ、それはそうかもしれんが、でもお前、風紀委員が『変態管理委員』として活動を始めるのは、来年度からだろ? 今から入るのはさすがに気が早いって」


「いや、チャラ男よ、どうもそうではないらしい。変態管理局のサポート自体は今年度から始まるそうだ」


「は? そうなのか?」


「ああ、サッカー部の設立申請にいったとき、宇佐先生がそんな話をしていた。なんでもすでに、風紀委員から変態管理官見習いに抜擢ばってきされた生徒がいる……とかいないとか」


「どっちだよ」


「わからん。興味が無かったから聞き流していた。だが光太郎がそこまで本気だったのなら、きちんと聞いておけばよかったな」


 律義なクマさんは、申し訳なさそうな顔を俺に向けてくる。

 その顔があまりに悲しそうで、俺は思わず笑ってしまった。


「べつにいいって。直接聞くから」


「ああ、そうか。たしかにそれが一番だ」


 納得したように頷くクマさんの隣で、ショーゴは不満そうな顔をしていた。


「……しかしこういっちゃあなんだが、そもそもなんで変態管理官になんてなりたいんだよ。確かに将来性はある仕事だと思うが、変態の相手をするんだろ? 俺は頼まれたってイヤだね。危険すぎる」


 変態=危険人物。

 その発想は、大部分が誤解に基づくものだ。


 むろん、きわめて危険度が高い変態がこの世の中に存在しているというのもまた事実で、そのこと自体を否定するつもりはない。


 だが、そもそもどんな人間も多かれ少なかれ変態性を持っている。

 ただ単に自覚がないだけ。


 そしてなにかのきっかけでそんな善良な人々の変態パワーが跳ね上がり、あふれ出る欲望が理性では抑えきれなくなった時のために、変態管理官は活動を続けていた。


 そういう意味では、クマさんやショーゴ、いや、この学園の生徒すべてが危険な変態予備軍といっても過言ではない。


 ……とはいえ俺は、言い争いをするつもりはなかった。

 こういうときはサラリと言い訳するに限る。


「叔母さんに頼まれたんだ。せっかく国からの支援が受けられることになったのに、肝心の変態管理官を目指す生徒が一人もいないと困るからって。ほら、俺って叔母さんの家でお世話になってるだろ? だからあらかじめ風紀委員に入って、点数稼ぎでもしておこうと思ったんだ」


「くぁ~、理事長かぁ~。美人でスタイルもいいもんなぁ。そりゃあの豊満な胸元をちらつかせながら頼まれたら、断れんわな」


「別に色仕掛けはされてないけどな」


 などと一般論を返しつつ、叔母さんがその話をしてきた状況に関していえば、実際にそんな感じではあった。

 まあ、彼女はもともと連城村の出身だから、色仕掛けしようなんて思ってなかっただろうし、同じく連城村出身の俺なので叔母さんの半裸を見ても特にどうこうなかったわけだが。

 

 それに、変態管理局に近づきたかった俺にしてみれば渡りに船としかいいようがない。

 色仕掛けなんてされるまでもなく、そもそも断る理由なんて無かったのだ。


 父さんが捕まっているとしたら、変態を管理するための国家機関『変態管理局』、そこの可能性が高いだろうと俺は考えている。


 もし違ったとしても、全国各地の変態の情報が集まる変態管理局なら、父さんに関する情報を入手しやすいはず。

 つまり俺は、スパイとして潜り込むために変態管理官を目指していた。


「俺のことは気にせず、ふたりはサッカー部に行ってくれ。他に部員もいるんだろ? あんまり待たせたら悪いしな」


 俺が告げると、友人ふたりは顔を見合わせている。


「……まあそういう事情があるのなら、無理にとは言わん。ただ、委員会と部活は掛け持ちできると聞く。そちらの活動に慣れたら、入部のこともあらためて考えてくれるとありがたい」


「ん。まあ、考えるだけになるとは思うけどな。文化系ならともかく、運動部と掛け持ちはさすがに厳しいだろうし。それに大事な試合のときにいない可能性が高い部員なんて、迷惑なだけだろ」


「べつに俺はそれでもかまわんが。チャラ男もそう思わないか?」


「まあな。光太郎がいることに意味があるっていうか……いや、言わすなよこんなこと。照れくせえわ」


 ショーゴは笑いながら立ち上がった。

 そして、ご自慢のロン毛をふぁさッとかきあげながら俺に背を向ける。


「ま、お前が選んだ道なら止めはしねーよ。じゃな、光太郎。うまくやれよ。あと風紀委員長によろしく伝えてくれ。あの人、美人だから」


「チャラ男はそればっかりだな」


 そうやって軽口をたたき合いながら、ふたりは教室をあとにした。


 ふたりとも気持ちのさっぱりとした奴らで、だから人付き合いの苦手な俺も一緒にいると楽しいんだ。


 けれど俺にはやらなければいけないことがある。

 サッカーを始めたのだって、健康で文化的なごく普通の学生生活を送っていると周囲に印象付けたかったから。

 ただそれだけ。


 ……ま、高校でもサッカーを続けられるのなら、それが一番良かったんだけどな。


「…………」


 ふたりと別れた俺は、ひと気のない放課後の校舎をぼんやりと歩く。


 なんだか気合が入らないが、そんなことを言ってもいられない。

 俺はすでに風紀委員の一員なのだ。ビシバシいこう。


 ちなみに今日は風紀委員長と風紀副委員長がそろって会議に出席ということで、委員会室に行っても誰もいないらしい。


 だからなにをビシバシすればいいのかは、正直よく分からない。


 まあ、この学校のことをまだまだ何も知らない俺なので、校舎を見回って施設の構造を頭に叩き込むとかそんな感じか?


 それなら目的地は、ほとんど行ったことが無い旧校舎にするか。

 こういう機会でもないと、今後も行きそうにないからな。


 ちなみに俺が今いるのは、本校舎の本棟。

 本校舎は『本棟』と『文化棟』のふたつの棟に分かれており、渡り廊下でつながっている。


 本棟は教室・職員室・購買などがある学生生活の基盤となる場所だ。

 一方の文化棟は音楽室や家庭科室などの特別教室が存在している。

 あと文化系の部室の大半も、文化棟にあるそうだ。


 そしてそんな文化棟の裏手に存在しているのが、本日の目的地である旧校舎なわけだが……。


 名前に『旧』がつくことからも分かる通り、現在は使われていない校舎だ。

 形ばかりの資料室があるだけで、ほぼすべてが空き教室。

 

 そのせいか、かなり不気味な雰囲気が漂っていたりする。


 お化け屋敷と呼ばれたりもしているらしいが、そう言いたくなる気持ちが分かるほど老朽化した建物で、日当たりも悪く、照明設備もイマイチなので、内部は常に薄暗い。


 はっきり言って無駄に学園内の敷地を占有しているだけだし、さっさと取り壊したほうがいいように思うが……もちろん叔母さんだってそのくらいのことは分かっているはず。


 だから旧校舎が残っているのにも理由はあるんだろうけど……。


 そんなことを考えつつ、本棟と文化棟をつなぐ渡り廊下を歩いていると。


「フムン……?」


 不思議そうなつぶやきが耳に入り、俺は顔を上げた。


 小柄な少女がひとり、文化棟の方向からこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。


 少し幼さを感じさせるが、美しく整った顔立ちと小柄ながらも豊かな胸部。

 しかしそれ以上に俺の目を引いたのは、その髪の色だった。


 きらきらと輝く綺麗な金髪。


 よく見ると、その整った顔立ちもどこか海外の血を感じさせる。

 

 肩まで伸びた金髪がゆるやかにウェーブしていて、いかにもお嬢様といった品のある少女だ。


「ジー……」


 そんな彼女は本棟に向けて歩きながらも、こちらの顔を凝視していた。

 

 一方の俺は視線を感じつつも、まっすぐ前だけを見ながら歩き続け――内心冷や汗をかいていた。


 変態パラダイス村出身の俺には一つの特技がある。

 強力な変態をかぎわける変態レーダー、それを生まれつき体内に内蔵していたのだ。


 そしていま、俺の変態レーダーが反応している。


 それも、ちょっとやそっとではない。

 魂が震えるほどの凄まじい反応。


 間違いない!

 彼女は、かの有名な変態詩人、ドレッド級の変態!


 つまり俗に言う、ド変態だ!

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