第3話 連城光太郎と、放課後のラビュ
金髪の少女が階段を落下することはなんとか阻止した俺だが、その代わりに大失態をおかしてしまった。
だらだらと冷や汗をかきながら、少女の全体重を支えている自身の左手を見つめる。
もちろんこの左手が素早く動いてくれたおかげで彼女を助けることができたわけだが、ちょっとばかし勢いが良すぎたらしい。
金髪少女を抱き留めた俺の左手は思いっきり彼女の胸に触れていた。
いや、触れていたなんて生易しいものではない。
白いブラジャー越しに、彼女の胸をわし掴み。
もちろん、わざとやったことではない。
わざとやったことではないが、とはいえこうも見事に彼女の胸に触れている以上、俺の言い訳はきっと通用しないだろう。
だって、俺の手はたしかに彼女の胸に触れているんだ。
痴漢野郎と罵られても、冤罪とは言い難い。
と。
「……スィ……」
「……?」
目をつぶっている少女から、かすかな声が聞こえてきた。
俺が身動きできないでいると、少女はカッと目を見開いた。
「スバラスィ!」
「す、すばら……?」
少女は俺の顔を見つめながら、瞳をキラキラとさせていた。
「じつにスバラスィ! 階段で足をすべらせたヒロインと、それを助ける主人公! 出会いの王道シーンを、まさかじっさいに体験できるとは思わなかったヨ!」
「いや……え?」
戸惑う俺の疑問をよそに、少女は晴れやかな笑顔を浮かべ、ひとりで話し続ける。
「しかもカッコいい助け方なのが、ぐーっど! 下敷きになる助け方は、ちょっとお間抜けさんだもんネ。でもぉ……にひひっ!」
いやらしく笑いながら、彼女は俺の手を眺めた。
いまだに胸に触れている、俺の手を。
「そんなカッコイイ助け方をしておきながら、お胸を鷲掴みにするという、セクハラチャンスは逃さないっ! 抜け目ないねぇ、ほんと。オトコノコって感じだねぇ」
「わ、わるい!」
「あ、まってまって」
慌てて胸から放そうとした俺の手を、少女が両手でグッと抑え込んだ。
豊かな胸に、再びずぶりと沈み込んでいく俺の左手。
そのあまりのやわらかさに一瞬ギョッとしたが、すぐに彼女の意図は分かった。
ここで俺が手を離すと、支えを失った彼女は落下するだけだ。
もちろん今となっては大した高さでは無いし、けがをすることも無いだろうが、無用なリスクを負う必要もない。
俺は、少女の身体をゆっくりと床に下ろしていく。
すると彼女は、そんな俺の動きがじれったかったのか、猫のように身体をひねって階段に手をつき、スッと立ち上がった。
その動きは予想よりはるかに機敏だ。
もしかすると、そもそも俺の助けなんていらなかったかもしれないな……。
彼女は自身の身体についたホコリをパンパンと軽く手で払いながら、ニコニコと楽しそうな笑顔でこちらを見てくる。
「ちなみにだけど。一応さっきのはホメ言葉だからね? ラビュを助けようとしてそーゆーことになったのは、ちゃんと分かってるから。だから責めてるわけじゃなくて、ラッキースケベを現実で起こせる主人公体質がスバラスィって話がしたかったの」
「……ラッキースケベ?」
聞いたことが無い単語だったので、つい聞き返してしまった。
彼女は首を傾げている。
「ムム? もしかしてラッキースケベ、知らにゃい?」
「えっと、ラッキーなスケベってことか?」
「まあそうなんだけど、ウーン、これはほんとに分かってにゃさそう……」
つぶやく彼女は、右手をぶんぶん振り回し始めた。
「やっぱり、こういうときは『この、へんたーい!』とか叫んで、ばちこーんとキミのほっぺたを平手打ちすべきだったかも! さすがにそれなら分かるデショ?」
「ああ、それなら分かる。たしかに俺はそういった暴力行為さえも甘んじて受けるべき蛮行をしてしまったと心から反省していて――」
「まってまって!? エー、これほんとにわかってなさそう! あぁー、階段で正座しちゃってる! 立って立って! 違うから、ホントに怒ってないから!」
「お、おう」
どうも、土下座した俺に平手打ちを食らわせる展開を望んでいるわけではないらしい。
なら今の宣言はなんだったんだろう。
彼女は俺を立ち上がらせたあと、困ったように眉根を寄せていた。
「あのね、ラブコメって読んだことない?」
「ラブコメ……?」
「ら、ラブコメはラブコメだよ。ほらマンガとかによくある……」
「………………マンガ?」
「マンガすら知らにゃい!?」
彼女の驚きようからいくと、どうもマンガを知らないというのは、そうとうマズいことらしい。
俺が変態パラダイス村にいたのは小学校低学年まで。
それ以降は都会で普通に暮らしていたつもりだったが、こういうことは意外とよくある。
だからこそ俺には、こういう場面で怪しまれないための切り札があった。
「俺、昔からサッカー一筋だったから!」
これだ。
スポーツバカを装えば、たいていのことはなんとかなるのだ。
別にそのためにサッカーを始めたわけでもないが、出身を隠したい俺にとっては、このうえないキラーワードといえる。
金髪少女も納得してくれたようだ。
「しょっかー、マンガを見る暇もないくらい、スポーツに打ち込んでたんだねぇ。もしかして、見込み違いだったかにゃ……? でもでも、なんの知識も無いのに無自覚にラッキースケベを発動できる方が、むしろそれっぽいカモ……?」
顎に手を当てぶつぶつとつぶやいていた彼女は、やがてなにかを決意したかのように、うんと頷く。
そして俺に甘えるような上目遣いを向けてきた。
「あのね、せっかくこういう状況になったんだし、ちょっと言って欲しいシェリフがあるんだけど」
「シェリフ……? ああ、セリフってこと?」
「いえーす!」
両手の親指をグッと立ててみせた彼女は、にこにこしながら言葉を続ける。
「ホンネを言うと、主人公とヒロインの出会いは王道の『おっぱいタッチからの平手打ちコンボ』でいいと思ってるんだケド、でも小うるさいことを言う人がいて」
小うるさいこと?
「それをそのままやっちゃうと、『助けてもらっておきながら、明らかにハプニングで胸を触られたからといって相手を平手打ち……? それは、いったいどういう了見なんだろう? いやもちろん、私だってそういう展開を見たことが無いとは言わないし、百歩譲ってそういうキャラクターがいてもいいけど、メインヒロインとの出会いの場面でそんな手あかのついた展開をやるつもりかい? まったく、ラビュは相変わらず勇気があるね』とかめんどくさい事言ってくると思うの。だから、違う展開を考えておかないとなって」
「…………」
彼女が何を言ってるのか、さっきからずっと分からない。
なんというか、彼女が前提として有している知識を俺が持っていないというか。
やはりマンガってやつを知らないせいか?
まあ、なんとなく聞き覚えがある単語ではあるんだけど……。
「だからね、とりあえずこう言ってみて! 『――す、すまない。わざとじゃないんだが、キミの胸に触れてしまった』。後ろめたいかんじで、おにゃがいします」
「……」
おにゃがいされてしまった。
え、なに?
どういうこと?
ぺこりと頭を下げた彼女の金髪を眺めつつ、俺は困惑してしまう。
胸に触れたと言えって、それはつまり自白を促してるのだろうか?
実はスマホに録音とかしてて、『ほらこいつ、私の胸を触ったんですよ。証拠はこの音声です』とかやるのか?
……まあでも、どう考えたってそんなもの不要だよな。
証拠となる俺の指紋が、彼女の下着にべったりとついているはず。
それに下着姿の彼女と一緒にいるこの状況を誰かに見られた時点で、俺の平穏な学生生活は終わりを告げるだろう。
『違うんです、この子が下着姿でうろついていたところに偶然出くわしただけです』と主張しても、俺の証言を信じてくれる人はいないと思う。
それくらいの異常事態だ。
いやでも、信じてくれる人がいないってこともないか。
ショーゴとクマさんは、きっと信じてくれる。
あと叔母さんもまあ、大丈夫だろう。
あの人は、俺が下着姿の女の子に興味を持たないことを知ってるし。
そういう意味では意外と何とかなりそうな気もするが……。
「ほら、はやくー!」
「お、おお」
まあいい。
事故とはいえ彼女の胸に触れてしまった今の俺に、拒否権なんてないんだ。
素直に従っておこう。
「――す、すまない。わざとじゃないんだが、キミの胸に触れてしまった」
俺が指示通りのセリフをつぶやくと、金髪少女は目をギュッとつぶり、その場であわあわし始めた。
「え、えと、だいじょぶデス! たしかにおっぱいさわられちゃいましたけど……ていうかムニムニされちゃいましたけど……で、でもわざとじゃないってわかってますからっ! むしろワタシのほうこそ、変なもの触らせちゃってごめんなさいっ!」
ズサッと音がしそうなほど勢いよく頭を下げた彼女は、そのまま無言。
微動だにしない。
しばらく見守っていたが、本当に身動き一つなく……。
え、これ大丈夫か?
思いっきり頭を振り下ろしたショックで、脳震とうとか起こしてない?
「ど、どうかしたか?」
そう声を掛けると、彼女はゆっくりと顔を上げた。
その顔は、ぼんやりとした無表情だったが、しばらく時間を掛けてから――にこっと微笑んだ。
「うん、やっぱりこれ、悪くないネ! いじらしいし、自分から『おっぱいさわられちゃった』って言ってくるところなんて、オトコノコ的にグッとくるデショ? しかもおっぱい触られておきながら謝ってくるところなんて、サイコーだよネ? ナギーもこれなら文句なしって感じだと思うよ」
「は、はあ」
なにを力説してるんだ、この子は。
そしてナギーってなに?
これもなんだか聞き覚えのある単語のような、そうでもないような……。
「あの、ナギーっていうのは――」
「でも、なやむ。『おっぱいさわられちゃった』より『お胸をさわられちゃった』のほうがいいカモ……? そっちのほうが、セージュンな香りがする……?」
首を傾げて考え込んでいた彼女は、ふっと俺を見た。
「ネ、どー思う?」
「は?」
「『おっぱい』と、『お胸』。オンナノコに言われて興奮するの、どっち? オトコノコ的に、どっちの単語のほうが、エッチぃのかな?」
「わからない」
「わからないはありえにゃい」
即座に否定されてしまった。
しかし、ありえにゃい言われても困る。
だって本当に分からない。
とはいえ彼女の質問に答えない限り、この問答は終わらない予感がする。
所詮二択だし、適当に答えよう。
「いやまじで分からないんだが。んーでもあえていうなら……お、おっぱい……?」
女子に向かって「おっぱい」という単語を発するのは多少抵抗があったが、少女はまるで気にした様子もない。
それどころか、納得したようにうなずいている。
「にゃるほど、やっぱり」
「やっぱり?」
「『おっぱい星人』って言葉、ラビュも聞いたことあるよ。でも『お胸星人』って、聞いたことがないモン。たぶん、おっぱいって単語にはオトコノコを魅了するなにかがあるんだろーネ。出会いのシーンってかなり重要だし、タショーあざとくてもここはやっぱり『おっぱい』でいくべき!」
この人、おっぱいおっぱい連呼してる……。
「ありがとネー、コータロー。とっても参考になりもうしたー!」
そう笑顔で言った少女は、下着姿のまま
一人取り残された俺は、階段の前で呆然と立ち尽くす。
なんだったんだ、この一連の流れ……?
……。
っていうか俺、名乗ったっけ?
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