第12話 嵐が止む日を待ち侘びて


 

「旦那様」

「ふむ」


 蝋燭の灯がゆらめくさまを、ダヴィッドはぼんやり眺めたまま、腕を伸ばし始める。



「かような場所での居眠りは、慎んで下さいませ」



 若い執事の窘めに臆することなく、ダヴィッドはさらに両腕を挙げて、思いっきり背筋を伸ばす。久しぶりに見た夢を胸の内で反芻しつつ、彼は書斎の窓に目を向けた。



 嵐の夜を迎えるたび、彼は自責の念に捕らわれる。凶報を耳にしたあの日も、激しい風雨が窓を叩きつけていた。



 

 かれこれ、数十年も前のこと。帝国一の名門、アランデル公爵家のタウンハウスを、父ルートヴィヒと共に訪ねた。


 三歳となったばかりのダヴィッドは、気難しい父と並んで、ロビーのソファに腰を下ろす。


 案内役の執事の後を追い、親子はロビーから中庭に足を踏み入れる。ザーリア伯爵家の二倍はあるだろう、手入れの行き届いた庭園には、色とりどりの花が咲き誇っていた。


 庭園の一角にあった、四阿から見渡す景観に、子供心にもダヴィッドは感嘆にふける。



「まあ、愛らしい子ね」

「これは、若奥様。ダヴィッドよ、挨拶をしなさい」



 わずか三歳の子供の挨拶など、たかがしれている。それでも彼女は、たどたどしい挨拶をにこやかに受け入れてくれた。



『ウルスラ=フロワサール』



 公爵家の若夫人は、隣国から嫁いだ第二王女で、光沢のある赤毛とすみれ色の瞳を持つ、美しい女性だった。


 今にして思えば、彼女はダヴィッドの初恋の相手だった。



 叶うはずのない初恋だったが、彼が五歳になる直前、唐突に終わりを告げる。きらめく、すみれ色の瞳の若夫人は、死産の末に亡くなったからだ。



 アランデル公爵は、周囲が後添えを貰うように勧めるものの、頑として受け付けなかった。幸い、一粒種の跡取りのジークフリートは、公爵の厳しい教育に挫けることなく、優秀な後継者に成長を遂げた。 



 あまりにも優秀な彼を、皇帝候補に押し上げるほどに。



 ダヴィッドは、ジークフリートの『懐剣』となるべく、武術の修行から学業に至るまで、切磋琢磨し続けた。


 彼が帝国の頂に立った時、右腕になる野心を抱いたのも嘘ではなかった。



 ――あれから、二十年近くが経つのか。



 ダヴィッドは長きに渡り、現宰相と政敵関係にある。宰相の実姉ヴァルブルカ皇太后が、公平な人格者でなければ、ウルスラの出仕を阻止したのにと、思わない日はなかった。



「嵐は何時、止んでくれるのだろうか」



 ワイングラスを傾けながら、ダヴィッドは羊皮紙にインクを滑らせた。




「実は、妻の実家の別荘に、招待されたのだよ」



 父親譲りの漆黒の髪をなびかせて、ジークフリートが馬上からふり返る。ザーリア伯爵家所領の山野は、秋の狩猟シーズンとなると、多くの貴族で賑わう、もう一つの社交場であった。



 貴族間の政争にまつわる密談から、派閥を越えた遊興に至るまで。二人の狩りはどちらにも合致する。


 ジークフリートの猟銃が、一匹の太った野ウサギを仕留めた時、

「それは、ようございました」

 ダヴィッドが絶妙な間合いで相槌を打つ。


 ダヴィッドの慇懃なものの言い方に、彼は苦笑いを浮かべた。



 野ウサギの後始末は、従僕らに任せるとして、二人は示し合わせたように、馬を止めた。十代から恒例のように続いた、二人きりの狩猟もこれが最後だと決めている。



「まあ、例の件が終われば、君もリサデル嬢との婚姻を考えるべきだ」

「あの……」

「先の婚姻は、とっくに破綻しているのだろ? 問題はない」



 己の不甲斐なさが原因で、彼女への愛に気づいた頃には、すでに人妻の身であった。伯爵領の外れの教会でリサデルは、孤児や地元の平民相手に文字の読み書きを教えている。



「子供もすでに生まれたのだろ」

「はい。マクシミリアンと名付けました」



 伯爵家の跡取りとしての教育を始めるまで、時間はあるとは言え、子供の成長は男親の想像より早い。


「建国の父帝と同じ名か……」

「御意」

「私とシャルロッテとの子は、そなたに名付けてもらおうとするかな」


 大声で笑いながら、ジークフリートは冗談を飛ばす。心地よい秋風が、二人の間を駆け抜けた。



 ――まさか、あのような事態になるとは……。



 その日の遣り取りが、ジークフリートとの今生の別れになるなど、ダヴィッドは夢にも思わなかった。



『スヴェン侯爵家別荘の放火事件』



 侯爵夫妻とアランデル公爵の次期当主夫妻。合計で四名の死亡。年老いた公爵は、力を落として所領の僻地に隠遁。絶望の淵に立つ思いで、ダヴィッドは弔いの鐘を恨んだ日が、今でも思い起こされる。



 しかし、神はダヴィッドを見捨てやしなかった。義侠心あふれる一人の騎士が、瀕死の夫人の腹から赤子だけを助け出したのである。



 ――私とシャルロッテとの子は、そなたに名付けてもらおうとするかな。



 亡き主人の声が、ダヴィッドの耳から離れない。



『ウルスラ』



 隣国の神話に登場する、死者の魂を天上に導くとされている冬の女神と同じ名を。すみれ色の瞳が美しい若夫人の名を、ダヴィッドは赤子に名付けた。



 ――必ず、貴方の無念を晴らして見せますぞ。



 いつか来るだろう、真実を照らす太陽が昇る日を信じて。ダヴィッドは、蝋燭の炎に復讐を誓った。

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