第11話 意外過ぎた、院長の正体とは

 ――リンゴンリーン……。 



 祈りの鐘が鳴り響く。教会の周辺は、いつの間にか夜霧におおわれていた。


 ユリーネを抱きかかえて、マクシミリアンが静かに荷馬車から降りる。少し遅れて、ウルスラもどうにか地面に足をつけた。


「出迎えが来たらしい」

「そのようね」


 徐々に近づく、ランタンの灯が乱反射する。シスターたちの労いを受けて、ウルスラたちの緊張が解けた。

 

「では、参りましょう」


 祈りの礼を示して、年長のシスターがウルスラたちを誘う。湿った石畳の上を、みなが慎重に歩み始めた。



 建国期に建てられた、『聖母子教会』の壁面は、初代皇帝の覇業を支えた、聖テレジアの一生を描いたステンドグラスに囲まれている。蝋燭の灯りのみでも、荘厳な美しさを誇っていた。



 ――いつか、昼の礼拝に参列したいけど。



 マクシミリアンと教会の修道女がユリーネを支えて、参道を一歩ずつ進む。やや、離れた場所を歩きながら、ウルスラはぼんやりと天を仰ぎ見ていた。



「院長、お連れしました」



 聖テレジアに祈りを捧げる人影が、こちらへとふり向く。暗がりのせいで顔がよく見えない。しかし、清楚な面立ちを何処かで見た記憶があった。


「あの……」

「ご苦労様です」


 穏やかな労いに、ウルスラは礼を示す。


「落ち着くまで、彼女の身柄を預かって欲しい」


 マクシミリアンの依頼に対して、相手は黙って頷く。



「彼女を、救護室に案内しなさい」

「承りました」



 修道女とともに、ユリーネは礼拝堂を後にした。



 古いつき合いなのだろうか。マクシミリアンと院長は、親しげに話し込む。ウルスラは二人の遣り取りを、遠巻きに眺める。



 ――ええと、何処かでお会いしたような……。



 人の顔を覚えるのも、宮仕えする者のたしなみ。一度見た顔を忘れたりするはずがないのだが……。



「まさか、リサデル様? テンペランス伯爵家の」



 記憶の糸が繋がった瞬間、ウルスラは半信半疑で院長を呼び止めた。



「何を」



 ウルスラの呼ぶ声に、マクシミリアンは驚きを隠せない。院長の前に立ちはだかって、ウルスラが近づこうと前に出れば、マクシミリアンは威嚇の眼差しを向けた。



「いいのよ。マックス」

「母上」

「はい?」



 瞬きを二度、三度繰り返しながら、ウルスラは二人を交互に見つめる。想定外の事態だが、実物の二人を見比べれば、髪と瞳の色味の違いがあれども、確かによく似ていた。



「肖像陶板を見た時、何も言わなかったわよね」



 ウルスラの問いに、マクシミリアンは心ここにあらず、と言った具合によそ見する。


「仕方ないわ。私は世捨て人ですもの」


 祈りの鐘が鳴ると同時に、リサデルは優美に微笑む。


「それでは、お話するわね」


 彼女が行方不明になったあらましを、二人に向かって語り始めた。




 テンペランス伯爵家は、帝国創設に功績のあった名家の一つであり、リサデルはただ一人の嫡女に生まれた。


 しかし、彼女が物心つく頃、政略結婚で繋がっていただけの両親の仲は冷え切っており、父親に至っては愛人との間に娘を儲けていたようだ。



「母が亡くなってから、父は愛人を後妻に迎えてね。私は逃げるように、学院予科の寮に入ったの」



 幼なじみとの婚約を諦めて、女官になる道を模索する。ところが、不幸なことにリサデルの理解者だった祖父母が同時に亡くなった。



「結局、意に沿わない婚約を経て結婚したの。でもね」

「あの」

「いつの間にか、相手は妹と出来ていたのよ」



 妹に取られても惜しくない、とばかりに白い結婚に持ち込もうと、リサデルは近くの教会に通い詰める。


 帝国指定の教会での奉仕活動が認められる場合、『白い結婚』は二年ではなく、一年で済むからだ。



「侍女の方と一緒に、修道院へ向かわれた訳は?」

「ミラは幼なじみの婚約者と引き裂かれて、とある貴族の後妻にさせられそうになったのよ」



 婚姻前の彼女と一緒に消えたのは、駆け落ちを手助けのため。



「出発の前日、夫が私を汚すために略奪に来るらしいと、情報を仕入れた幼なじみがやって来て……」

「つまり」

「彼は、伯爵家のメイドたちに金を握らせて、偽証させたのよ」



 修道院へ向かった馬車には、最初から侍女しか乗り合わせていなかった。これなら、リサデル自身がどこに消えたのかわからずじまいでも、仕方ないだろう。



「マックスは、私の逃亡を手引きした幼なじみとの間の息子なの。父親の名前は、ここで明かす訳いかないから、勘弁してくれるかしら」



 どうりで、社交界の花形たる『サンダース卿』の出自が曖昧なのも、『白い結婚の六十日前潔斎義務』を放棄した女性が、母親だったためなのか。


 ウルスラがほんのり、隣に立つマクシミリアンに目を向ける。途端に彼は、気恥ずかしそうに顔を背けた。



「ならば、血縁のない入婿が、テンペランス伯爵家の相続を主張したのは」

「辺境伯家の入れ知恵ね」

「あそこは、数年来続く天候不順で、作物が育たなくなっているからな」



 ウルスラの誘拐未遂直後の失踪は、辺境伯の密命を受けた者によって暗殺されたため。死体がそっくり見つかれば、上々と言った塩梅だろうか。



「ところで、貴女に頼みがあるわ」

「はい」

「マックスと婚約して、わたしの父の鼻を明かして欲しいのよ」



 リサデルの言うところの、『父』とは、テンペランス伯爵家当主だ。


「母上……」

「あの家の半分は、貴方の物よ。伯爵家の財産を帝国に返せば、貴方は正式な貴族になることが出来るはず……」


 大人しそうな面立ちに反して、なんとも逞しい心根の持ち主だろうか。



 ――この方のお相手となる殿方って、相当な苦労人なのでしょうね。



 見知らぬマクシミリアンの実父に思いをはせながら、ウルスラはリサデルの依頼を引き受けた。

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