第3話 夕闇迫る時、わたしは貴方と出会った

 リズムよく、馬たちが足並みを揃えている。空に浮かぶ星々も、街路灯の火と比べて霞むほどに、宵闇は深みを増す。


 帝都の街並みは、昼間と違う形相を見せ始めていた。


「婚約者候補をですって? そんなの、他人事だから軽く言えるのよ」


 今年、十八となるウルスラは、あいにく婚約者を得た経験がない。己がザーリア伯爵家に居候する、出自不詳の身の上だからだ。



「さて、婚約を回避するいい手立てはないかしら」



 伯爵家のタウンハウスまで、あと三十分はかかるだろうか。上位貴族のみ所有が許されていながら、爵位が下がるに連れて、居住地も宮殿から離れている。そのせいで、どんなに早く見積もっても、到着時間は夕食時を超えてしまう。



 ちなみに、居住地の敷地面積に加えて、雇用可能な執事やメイドの数も制限されている。



 その一方で、子爵以下の下級貴族となると、帝国管理の集合住宅に妻女を住まわせている。裕福な家名だと、出入り商人名義の屋敷に、借り住まいを定めるのも珍しくない。


 車窓越しの家並みを眺めながら、そのような世情を、ウルスラはふと思い出す。当然ながら、『帝国法典』に抵触しているが、咎める者はいなかった。



「ああ、先代陛下が急病で崩御しなければ……」



 『子爵夫人』の称号を持つ公妾となり、自分名義の家を持つことも、可能だったのに。例え、気難しい養父ダヴィッドに義絶されたとしても。



 ——ドドドド……ドドドドドド……。



 物思いにふけるウルスラを乗せた馬車が、帝都の大通を離れてからしばらく経った頃、ガクンと大きく前後に揺れる。直後に、外が急に慌ただしくなった。




「おい、もぬけの殻ですぜ、兄貴ッ」



 ウルスラは瞳だけを、左右前後に巡らせる。当然とばかり、一言もしゃべりもせずに。



「よく見ろ」

「そんなこと言ったって、いないものは仕方ないっすぜ」



 ならず者どもが、入れ代わり立ち代わり、馬車の中をギロリと見回す。頭目らしき男は、下っ端舎弟の頭を叩いては、小首をかしげるさまに、ウルスラは思わず吹き出しそうになる。


 念には念を、姿消しの魔法を施したのは正解だった。


 魔力に乏しい貧民が、ウルスラの魔法を突破することはない。用心のために笑いを堪えるのも、空腹に晒されたウルスラにとって、苦痛以外のなにものでもなかった。



「やべえ、逃げろッ」

「一人たりとも逃がすな」



 市中を警邏する、騎士団のご到着だろうか。馬車馬と明らかに違うの馬たちの嘶きと、怒号、そして、剣先がぶつかる金属音がとどろく。


 やがて訪れる静寂に、ウルスラは耳を傾ける。騎士たちに制圧されて、ゴロツキどもは残らず捕縛されたらしい。


 せっかく、愚者たちの喜劇を愛でていたのに。あろうことかウルスラは、己の危難を救った騎士団への感謝ではなく、喜劇芝居を打ったゴロツキどもに、同情を寄せた。



「女官長どのは無事であるか」 



 相手がこちらを見ることはない。そのように高をくくって、ウルスラは素知らぬふりを決め込む。



「そこにいるのはわかっている」


 ——今、なんと申された。



 扉口で天井に手を置く、騎士の美貌にウルスラは目を奪われる。普段、見目のよい殿方の容姿に対して、感心を寄せない彼女は息を飲みながら。


「そろそろ、魔法を解いて下さらないかな」

「はい?」


 相手に釣られるように返事したせいで、ウルスラの姿消しの魔法は効力を失う。


  

 ——返事だけで効力を失うなんて、こんなこと初めてだわ。



 動揺仕切りのウルスラをよそに、

「御者がケガをして、馬車を動かせないそうだ」

 騎士はありのままを伝えた。


「えっ、あ……」


 『帰りの足』を失い、ウルスラは途方に暮れる。


 災難に見舞われた彼女に、騎士は同情したのか、

「こちらで、お送り致す」

 金色の髪を揺らして、騎士は一言だけ伝えたきり、ここから立ち去った。




 美貌の騎士から視線を外して、車窓の街並みを幾度となく、ウルスラの首が忙しなく往復する。ぎこちない所作に構いもせず、相手は押し黙ったままだ。



「あの」



 意を決してウルスラは、目の前の相手に一言声をかける。


「何事でしょう」


 心地よい声色にうつむきながら、車窓の街並みが己の記憶にないことを思い出して、

「タウンハウスではありませんわよね。馬車の向かう先は」

 ありきたりな問いかけを、必死につむいだ。


 どう考えても、家路とは逆の方向に、馬車は走り続けている。


「騎士団の本営です」

「ええと」

「いささか、詰問させていただきます。ウルスラ=ザーリア嬢」


 真向かいに座る騎士は、ウルスラの疑問に答える。卒なく、第二騎士団副団長、マクシミリアン=サンダースと名乗りもつけ足した上で。


「サンダース卿?」

「マクシミリアンで構いません」


 市中の警邏が専らな、近衛第二騎士団の副団長ならば、立場的に皇太后宮の女官長のウルスラと身分差はないものの、彼女自身は正式な貴族籍を持たぬ、一介の女官でしかない。


 故に、相手を真名のみの呼び捨てにおよぶのは、不敬にも当たる。



 『宮廷魔術師』の資格を得れば、貴族の血縁者を持たないウルスラでも、皇宮での出仕の道が開ける。たゆまぬ努力で皇太后付女官長の地位を得たとは言え、口さがない貴族たちの讒言に晒されることも、常だった。



「まあ、今は『サンダース卿』でいいでしょう」

「はい」



 マクシミリアンの意味ありげな微笑みを、ウルスラが訝しむ合間に、馬車は騎士団本営の城門をくぐり抜けた。

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