029 マスター

 あの日と同じ。

 僕が、リゼの前で初めて人を殺した日と同じルートをたどって歩く。


「エリー!」

 後ろから僕を呼ぶ声がする。


「何。外は嫌いだって言ってたのに」

「渡し忘れたものと、言い忘れたことが」

「忘れっぽいんだね。歳?」


 振り向かないままに訊く。


 少しだけ苛ついた様子が伝わってくる。


「ほらよ」


 渡されたのは、小さな手帳だった。

 紺色の表紙に、白い文字でよくわからない装幀が施されている。


「なに? これ」

「リゼの書いてたノート」

 表紙を開いて見る。


裁縫形態さいほうけいたい……』


 初めのページを見て目を閉じた。表紙も同時に閉じる。


「何についてのノートだった?」

「見たことがない訳でもないだろ? 盗み見もしなかったの? についての書き物だよ」


「それに価値はあるのか」


「世界に漏れたら、大騒ぎだろうねえ」


 〖いと〗はあくまで、門外不出もんがいふしゅつ一子相伝いっしそうでんだからこそ価値がある物事なのだ。


 それが世界に漏れたら。


 想像するだけでおぞましい。


「そうか。まあ、エリーに任せとけば大丈夫だろ」

「どうしてそう思うの」

「漏れた先の奴全員を殺してくれるだろ」

「買いかぶりだよ」


 ノートをバッグにしまい込んだ。


「言いたかったことって?」

 早くここを立ち去りたくて、彼の口を急かす。


「リゼは。あいつの師匠が死んだとき、泣いて怒った。何の書置きも残さないで逝きやがって、って言っていた。だから」

「リゼは書き置きを残しただろうって? それこそ買いかぶりさ。このノートがそうじゃない理由なんて、あるわけないだろ」


 やや、刻限リミットが迫っていた。キレ気味に食ってかかって、ソードをたじろがせる。


「そうかもしれないが……」

「じゃあ、さよなら。そういうことで」


 突き放すように背を向けた。追ってくる気配はしなかった。




 それじゃあ、狩りの時間パーティタイムだ。

「出て来い、三下。この僕が——幸谷殺羅ゆきやさらが相手をしてやろう」


 多分そこは、七年前と同じ場所だった。




 双糸そうしが使ったのと大体同じ数の術を使って、奴らを蹴散らして。


 僕はようやく家に帰ってきた。三日近く社長マイ・ボスに拘束されていたもので、家に帰るのは久しぶりだ。


「探せって言うのかよ」


 リゼは死んでから放置していた、彼女の居室。


 ソードは、僕のことを揶揄からかいはすれど、嘘はつくまい。ましてや、リゼのことであの男が嘘をついたりなど、するわけがないだろう。


 ならば、書き置きとやらはこの場所にあるのがやはり正しいんだろうな。


「気は、進まないなあ」


 思い出すのがつらいとか。振り返るのがつらいとか。彼女と再び出会うのがつらいとか。


 そういうことじゃなくて。


 リゼは、部屋の整頓が苦手なんだよ。


「嫌だよ、引き出し一つ開けたら物が飛び出る部屋なんて……」


 いっそ糸を使って、すべての家具を破壊してから調べた方が楽なのではないか、という考えが浮かぶほどにぐちゃぐちゃなのだ、あそこは。


「でも、やるしかないのか」


 決して、あの人の形見が欲しくないわけじゃない。




「あーもう!」


 どこから拾ってきたのか、よくわからないものばかり出てくる。


 この引き出しから見つけただけでも、やや傷が多めのビー玉、一部が欠けたボタン、中途半端な長さの刺繍糸、もう切れなそうな包丁、買ったのに使っていなさそうなノート、もうインクの出なさそうなボールペン、とゴミだらけだ。


 ゴミを一つ一つ分けるだけで大変なのに、書き置きなんて見つかるわけ——、あれ?


「このノート」


 使ってある。


「まったく、リゼは整理ができないんだから」


 僕が何度言っても、部屋を整理なんてしなかったんだから。

 おかげで僕がこれほど困っちゃったじゃないか。


「もう」


 こんなに散らかしちゃったじゃないか。

 それとも、弟子だったら、師匠マスターの不始末位請け負えって?

 そりゃあ嫌な相談だ。


「ふざけた師匠マスターだったな」


 これは、散らかした部屋を片付けた後に見ることにしよう。


 うふふ。


 楽しみだな。

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