010 感傷

商店街の外れまで来た。エフソードの店と同じように、埃をかぶった小さな店を見つける。


「ここ?」

 何か立ち止まって話している二人を背中に、ショーウィンドウをのぞき込む。


 床に据え付けられた座り心地の良さそうな椅子に、椅子に向き合うような形で設置された大きな鏡。椅子は一つしかなく、近頃誰か座った形跡もない。

「あーっ、そうそう! じゃあ、エフソードたちは買い出しに行ってきてくれるかな。これに買ってほしいものを書いたから」

 リゼが、親指と人差し指の間に挟んだ紙を見せる。傍らのエフソードに紙を渡すと、ショーウィンドウの前の僕に近づいてきてこう言った。

「じゃあね。エフソードと仲良くね」


 エフソードは子供の僕よりも歩くのが早いし、リゼとは違って僕の歩みに合わせてくれるわけでもないので、自然と段々差が開いていく。

 人二人分くらい間が空いたところで、エフソードが振り向いた。後ろに前進してくる。

「ちゃかちゃか歩けよ」

「……早い」

「……ったく」

 ありきたりに頭を掻いて、僕に手を差し出す。

「……どうも」

「可愛げのないガキだ」

 左手で握ると、エフソードは僕と反対側に向かってそう吐き捨てた。

「不気味だ、とはよく言われる」

「名前、なんて言った」

「エリス。リゼは、エリーっていう」

「俺はエフソード。名字はない」

「僕もない」

「じゃあ、エリー。お前は俺のことを何て呼ぶ」

「お前じゃなくてエリー。……ソード、で良い?」

「子供の舌には発音が難しいか」

 エフ、と言おうとして幾度か失敗したので、縮めて呼ぶことにした。上手く誤魔化したつもりでいたので、理由を見抜かれて驚く。

「エリーは、どうしてリゼに拾われたんだ」

「僕を弟子にしてくれるんだって。後、僕に楽しさを教えるって。こういうことは今までもあったの?」

「どこまで本気なんだろうな。——まあ、結構多いな。リゼは、結構すぐに物を拾いたがるから。その癖すぐに嫌われて、養護施設に連れて行くことになる」

「だからさっき、何時いつまで持つだろうなんて言ったんだ」

「そう。今までは、長くても一節(帝国の季節単位。大体日本で言う三分の二か月分)持つか持たないか、ぐらいだった」

「ふうん」

「エリーには、感情がないのか」

「……ない訳じゃあ、ないと思う。というか、わからない」

「リゼもそうだった 」

「本当に?」

「嘘じゃない。リゼも、今のあいつみたいなお師匠様に連れられてな。要は重ねたんだろ」

「僕と自分を」

「そういうことだろ。安っぽい感傷にでも浸って、エリーを育てたいなんて思ってしまったんだ」

 それは多分間違っていない説明だった。彼女の信条からして、自分にされたことを誰かに返そうというのはごく普通の行動に感じられる。


「じゃあ、僕もいつかリゼみたいになるの」

「そういうことになるな。嫌なのか?」

「嫌……かどうかはわからない」

「ああそうか、わからないのか。……やりづらいな、これ」

 好きや嫌いに関する想いは、特に難しいとリゼが言っていた。

「リゼのことを、今拒絶したいと感じないんだったら、大丈夫だろ。でも、拒絶したくなったら、早めに離れた方が良い」

「忠告、ありがとう」

「多分、エリーがリゼのことを知るのは、だいぶ先だと思う。だから役に立たないけれど、一応言っておく。――リゼは、容易に人が近寄っていい存在じゃない」


 なぜ、と問いたくてソードの方を見る。


「なぜって……」

「今の僕は多分、リゼと一緒に居たいと思ってる。それがなぜかはわからないけれど、多分そう。だから、ソードがなぜ、僕とリゼが離れるべきだと思うのか、知りたい」

 矢継ぎ早にまくしたてると、ソードが少し動きを止めた。

「そうか。……喋れるじゃないか」

 まるで、僕が長く喋ったのが嬉しいみたいに目を細められた。

「そんなに嬉しい?」

「ずっと、エリーが何を考えているかわからなかったから」

「そういうものか」

 納得して前を向くと、ソードが目を見開いた。

「何?」

「もしかして失礼かもしれない」

 ——エリーは、人を殺したことがあるのか。


 もしかしたらないで欲しい、そんな風にソードは目で懇願しているように見えた。

 大人の男でも、何かを願ったり望んだりすることはあるんだ、と僕は思った。

「あるよ」

 失望っていう想いは、思ったより面白いのかもしれなかった。

「そうだよな」

「どうしてわかったの?」

「納得したときの顔が、リゼと同じだった」

 さっきの感情がまだ残っているのか、歓喜と失望が同居したソードの顔は、何だか面白いマーブル模様になっていた。

「そうやって、俺をじっと見ているところも、似ている」

「……ここで、謝るのは違うなって思う」

「リゼは、コーヒーを苦いと言っていたか」

「うん。ソードはリゼのことが大好きだ、って言ってた」

「エリーも早く、コーヒーを苦く飲めるようになると、良いな」

 何が言いたいのかはわからなかった。ただ、それが人の好きな『隠喩』ってやつだとわかった。もしかしたら『感傷』ってやつだったかもしれないけれど、どっちにしろ僕にはよくわからなかったから、口を出すのも野暮だと思って、わかったふりをして黙っておいた。リゼのことをわかっているソードにはばれると思ったけれど、何も言われなかった。

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