008 影の店

「ここ?」

 やがてついたのは、古そうな建物だった。木の枠に硝子がはめられた扉が正面にある。その硝子は、くすんで中が見えなくなっている。

「そう。なかなか怪しいお店だよね。これ儲かってるのかなあ」

 とてもそうは見えないし、そんなことはリゼもわかり切っているみたいだった。

 リゼがぐっと扉を押した。

 カランコロンとドアベルの音がする。

「うん、いい音」

 にこり、とリゼが笑った。


 店の中はほこりっぽくて、下手をすると咳き込みそうだった。

「エフソード?」

 エとフの間に小さなイが入るような発音。リゼが名前を呼ぶと、吹き抜けの天窓から差し込む光が作る影が、少し揺らめいたようだった。

「リゼ?」

 どこからだろう、天から響くような声がした。

「また奇矯な子を連れて来たものだ。何時までいられるだろうな?」

 くすりと、含み笑いをするような声。

「ただの連れ子じゃないよ。弟子」

「へえ? こんな技術は絶対に伝えない、なんて意地を張っていたのに?」

「この子には、僕が教えるべきだ、なんて、想っちゃったんだ」

 声だけで、姿の見えないその人が、こちらをなめるように眺めている気がする。

「リゼ、誰かいる?」

「いるよ」

「見えてるの?」

「見えてるよ。ほら」

 指差したのは、足元の影だった。

「影?」

「そう。エフソードは影。だから、この店は儲かってなくってもかまわないんだね」

「これでも固定客はいる」

「へえ、どんな人? 見てみたいな、顔を」

「そこの窓硝子を見ろ」

「うん?」

 リゼが素直に窓を覗き込む。外から見ている人は、おかしい奴だと思ったろうな。

「僕しか映らないじゃないか」

「野暮ったい奴だな」

「ぜぇんぜぇんわかんないな」

「だから嫌いなんだ」

「嘘っぱち。本当は僕のこと大好きな癖に」

 けっ、と、吐き捨てられた言葉。

「仲良しだね」

 僕がそう呟くと、また影が動いた。

「誰が、こんな奴」

「それはそうと、僕は今日新しい手袋を買いに来たんだ」

「革の奴だろ?」

 そうだよ、とリゼが両手を広げる。

「いつも通り、この手に見合う奴」

「何の革だっけ?」

「何でもいいよ」

「いつもの棚だ」

「はいはい」

 店の奥の方にある重厚な棚。そちらの方をリゼが見やる。

「初めて見る形」

「階段状、初めて見る? 開けてみていいよ」

 そこ、と指さされた棚を開ける。

 きしむ。

「うわ」

 開けた途端、つんとした革の匂いが鼻を突いた。

「臭いね、革」

「そう? これが一番丈夫で使いやすいよ」

「何に使うの?」

「内緒」

 リゼがやってきて、棚の手袋を一組手に取る。

「うん、良い触り心地」

 革の手袋をはめたリゼが、僕の方を見る。

「何?」

「ううん。ちょっと、顔が見たくなって」

「好きに見ればいいじゃん」

 ふ、と影が笑った。

「エフソードって、姿はないの?」

「あるよ。見せてあげたら?」

 ねえ、エフソード、

 リゼが二階の方に向かって叫ぶ。

「はあ?」

「僕も見たいかな」

「めんどくさいこと言いやがって」

 少し待っていろ、と言われる。リゼに誘われて、古びたソファに座った。

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