007 知らない『想い』

 僕がリゼと一緒に暮らすようになっていくらか過ぎたころだった。 


 いつものように、朝からテレビをつけて、それを眺めていた。リゼは僕よりも後に起きて来て、ソファでテレビを眺めている僕を楽しそうに眺めていた。それがここ最近の僕らのルーティーンだった。リゼの料理は、三日に一回シチューが出てきたし、概ね煮込み料理だったけれど、どれも奇麗な野菜の断面をしていて、とても美味しかった。どうしてリゼの包丁さばきがそれだけうまいのかは、料理をしているところを見ていないからわからない。


「面白い?」

「面白いかどうかは、わからないけど、見ていて飽きない」

「気に入ってくれたみたいでよかった」

 黒くていい香りのする液体の入った白いコップを手に持って、リゼが笑みを浮かべた。


「それは何?」

「珈琲って言うんだ。飲んでみる? 毒は入ってないよ」

 恐る恐る黒い液体を口元に運ぶ。

 辛くはなかった。ただ、口の上と下を張り付かせるような乾いて湿った感触と、思わず歯を食いしばってしまうような酸味と苦み。

「苦いよね。僕もあんまり好きじゃない」

「何で飲んでるの?」

「今日はこれから、魔法使いのお店に行くんだ。そこの店主は僕の友達なんだけどね。どうもいけ好かない奴で、僕にこういうものを勧めては感想を聞いてくるんだ」

「へえ。嫌がらせ?」

「そんなところかな。まあ、その分あいつが僕のことを大好きってわかるから、嫌な気持ちはしないけどね」

「そう」


 好きって感情は、よく分からない。嫌いならわかるのに。


 家の外は、石畳の街並み。やや窮屈になった木靴が音を立てる。

「院の子は、そういう靴を履くの?」

 布で織られた靴を履いたリゼが尋ねる。何度も一緒に外に出たのに、今更気が付いたみたいに。

「うん。リゼのは、底が分厚くて柔らかい奴でしょ」

「そうそう。最新式のね。雨が染みると冷たいけど」

「それがみんな好きなの?」

「染みないようにしてるからみんな好きなんだよ」

「どうやって?」

「魔法で、ね」

「またそれか」

 この世界には魔法が多すぎる。今朝、出発する前もそんなことを言われた。

「ふふ、呆れてる」

「こうやって、もうそれはいい、多すぎるって思うこと?」

「そうそう。飽き飽きする、とかっても言うよね」

 また一つ、想いが増えた。

 これまで何を思って生きてきたのかが不思議なほどに、この世界には僕が知らない想いがたくさんある。

「まあ、今日はエリーがどんな魔法を使えるのかを知りに行くんだけどね。随分ここでの暮らしにも慣れてきたみたいだし。『想い』のこともいくらかわかってきただろう?」

 この数週間のうちに、僕はまたいくつか新しい感情を身に付けた。正確には、僕にそういう感情があることに気づいた、というのが正しいだろうか。

「そろそろ、頃合いだと思ってね」

 何の、とは訊かなかった。多くの場合、リゼがそういうことを言うのは、自分に言っているか、思わせぶりなだけだと数週間の間でわかっていたから。

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