第7話 痛み

「集合!」

 キャプテンの号令と共に部員が集まってくる。


「明日は準決勝。かなり強い相手だが、お前たちならば勝てると信じている。今日も早いが、明日に備えてしっかり休むように。解散」

「「「ありがとうございました」」」


 今日は軽く体を動かすだけで終わった。


「なぁ、高田。今日ちょっとだけ夜練習しねぇ?」


「監督も今日は休めって言ってただろ」


「そうだけどさ……」

 

 あの沢渡でも緊張することもあるようだ。


「本当にちょっとだけだぞ」


「すまんな」


 いつものグラウンドに移動する。


「よし、高田、ちょっとだけスイング見てくれ。最近ちょっと振り遅れることが多くなってる気がしてな」


「おう、いいぞ」


 一年生の頃は、沢渡が練習を見てくれていたが、最近では逆になっていた。


「ヘッドがまっすぐ出てないな、それが振り遅れてる原因だな」


「そうか、なるほど」


「力が入りすぎだ。お前の持ち味はバットコントロールなんだから、無理に大きいのを狙いに行かなくていい。お前の打順の後ろには俺がいる。大きいのは任せてくれ」


 沢渡は、ハッとした顔をしていた。


「そうだ、そうだよ。俺が決める必要なんてねぇんだ。俺は俺らしく、泥臭くやればいいんだ!」


 沢渡は吹っ切れた。


「高田、俺はお前を信用しているつもりだったが、出来ていなかったみたいだ」


「仕方ないよ。野球が出来なくなって、入部した後もずっとお前に面倒を見てもらっていた。下級生の指導だってお前に任せっきりだった。そんなやつを信用しろって方が無理だ」


 実際高田は自分のことで精いっぱいだったのだ。もし高田がキャプテンだったとしたら、チームは今ほどまとまってはいなかっただろう。高田は不器用で、自分の気持ちを言葉で伝えるのが苦手だった。


 沢渡は違った。人の気持ちを読むのが上手い。下級生がチームに馴染めるように、積極的にコミュニケーションを取った。悩みを聞いたり、練習を見たり、練習終わりにラーメン屋に連れて行ったりしていた。そのせいで、あまり自分の練習時間が取れていなかった。それに加えて、キャプテンとして勝たなければならないという、重い重いプレッシャーがのしかかっている。試合の成績も良くなかった。沢渡は不安に押しつぶされそうだったのだ。


「たまには人を頼れよ沢渡」


「ああ」


 もう少し、早く気づいてやれば沢渡がここまで思い悩むこともなかっただろう。でも、もう遅い。過ぎたことは変わらない。ここからの結果で返すしかないのだ。

 その日は少し遅い時間まで腹を割って二人で話をした。帰る頃には、沢渡は笑顔だった。


 試合当日の朝が来る。三人は試合会場に向かう電車に乗っていた。沢渡は椅子で爆睡していた。


「やっぱ俺、コイツのことわかんねぇ……」

 小さく呟く


「どうしたの?」


「いや、なんでもないんだ」


「またそうやって隠す! 昨日も私を置いて二人でとっとと帰っちゃうし!」


 紗香に何も言わず、沢渡と二人で帰ったから、少しご機嫌斜めなようだ。


「ま、まぁ、ちょっといろいろあったんだよ!」


「ふーん」

 これは怒ってる……


「二人で色々話せた?」

「うん」


「沢渡君も悩んでたみたいだし、スッキリ出来たっぽいから良かった」


「え? 知ってたの?」


「何に悩んでたのかは知らないけど、悩んでるのは分かってたよ」


「そ、そっかぁ」


「むしろ、ギリギリまで気づかない高田君の方がおかしいわよ」

 うっ、何も言えない。人の気持ちに鈍感な高田でも気づいてはいたのだ。かける言葉が見つからなかっただけで。


「でも、高田君としっかり話せたっぽいし、良かったよ。私じゃ力になれなかったと思う」


「でも、気にかけてくれてありがとう」


「高田がしっかりしないからよ!」


 バシッと、背中を叩かれた。


 試合会場に着く、相手チームはほとんど揃っていた。投球練習している相手チームの選手を見る。見た瞬間全身から体温が奪われていくのを感じた。


 あいつだ、忘れはしない。高田がイップスになった原因を作った男。


「なんであいつが……」


 高田の呟きで沢渡も気が付いた。


「あの時のあいつだな。大丈夫か?とりあえずアップしよう」


 ウォーミングアップを始めるものの、集中できない。


 監督が沢渡に近寄る。


「おい沢渡、ちょっといいか?」


「はい」


 監督と沢渡は人気のない場所に移動する。


「高田はどうしたんだ、様子がおかしい。何かあったのか?」


「監督、中学時代に高田にぶつけたやつが投球練習をしています」


「ああ、あの時のか。ふむ、一旦高田を外すか……?いやそれだと厳しい……」


 監督も悩んでいるようだ。


「いえ、監督、高田を信じてやってください。お願いします」


 沢渡は大きく頭を下げる。


「しかし、再発でもしたら…………うむ、分かった。お前がそこまで言うなら、俺はお前と高田を信じよう」


「ありがとうございます」


 高田はベンチ裏の廊下で考えていた。なんであいつは平然と野球をやっているんだ。俺はできなくなったのに。なんであいつは笑っているんだ。俺は笑えなくなったのに。ドス黒い感情だけが湧き出てくる。許せない。


「高田君」


「ああ、紗香か、どうした?」


 紗香が近づいてくる。すると紗香は高田を抱きしめた。


「大丈夫。大丈夫だよ。高田君は強い。一度は折れちゃったかもしれないけど、また始めることができた。そしてここまで来れた。だから大丈夫」


 高田は泣いた。自分より遥かに小さい女の子に抱きかかえられながら泣いた。


 それから五分は経っただろうか。


「元気出た?」


「うん」


 好きな子に情けない姿を見せてしまった。これは頑張らないとな。ドス黒い感情は消えていた。高田も相手がわざとやったわけではない、誰も悪くないと分かっていた。ただ自分が弱かった。それだけだった。


「じゃあがんばれ!」


 背中を叩かれた高田は走り出す。背中は痛くなかった。


試合が始まった。高田の第一打席が回ってくる。頭ではわかっているが、どうしても足が震える。トラウマとはそう克服できるものではない。しかし、前とは違う。しっかりとバットを振ることが出来ていた。第一打席は三振。それでも一歩前進なのだ。


試合は相手チームが先制し、一対〇で進んでいた。上手く守ってはいるが得点が取れない。あっという間に最終回の九回裏まで来てしまった。


「高田。お前徐々に良くなってるぜ。次で決められそうか?」


「ああ行ける。心配かけてすまんな」


「うっし、じゃあ俺が必ず塁に出る。そんでサヨナラホームラン頼むぜ!相棒!」


 沢渡は打席に向かっていく。


 監督のサインは自由に打て! だった。


 打席に立った沢渡は大きく息を吸い込んでから構える。ピッチャーが投球モーションに入る。そして、ボールを投げる。沢渡は立てていたバットを寝かした。


 渾身のバントである。三塁側に転がし、全速力で一塁に走る! 一塁でヘッドスライディング! ギリギリでセーフだった。


「よっしゃぁぁぁぁ!」


 沢渡は立ち上がり、右こぶしを天に突き上げる。沢渡のユニフォームは泥だらけであった。


「ははははははは」


 高田は笑った。こんな場面でセーフティーバント。面白くて仕方なかった。昨日泥臭くと沢渡は言っていたが、本当の意味で泥臭い。面白いやつだと思いながら高田は打席に入る。


 足の震えは無くなっていた。


 一本出れば逆転。敬遠の手もあったが、高田はここまで四打数の〇安打。相手チームは勝負することを選んだようだ。


 高田に対する一球目、高田はこれを渾身の力で振り抜いた。はじき返されたボールは、大気圏を超えるかのような勢いで飛んでいき、場外へと消えていった。この瞬間鳥ヶ浦の決勝進出が決まった。


 高田はチームメイトの手痛い祝福を受ける。


 高田は過去を乗り越えた。そして、歓喜の声が響き渡った。

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