第4話 目指すべき場所
強烈な日差しが照り付けている。グラウンドで練習する野球部員たちの服の背中には、大きなシミが出来ている。ボールを受けようと構えている選手の額からは汗が滴り落ちている。
「集合!」
野球部のキャプテンがそう叫ぶと、野球部の全員が集まる。監督を中心に、選手たちで半円ができる。その輪の中に高田は居た。
「今日はめちゃくちゃ暑いからな、水分補給はこまめにしろ。よし、解散。おっと、高田は残れ」
監督に呼び止められた。
「お前は特別メニューだ、俺と来い」
「はい」
返事をして、監督に付いていく。高田は野球をやっていたとはいえ、二年のブランク、そして、イップスの影響も残っており、まだ全体練習に参加出来るほどの実力は戻っていない。簡単なゴロを取るのが精いっぱいだった。
まわりから見れば贔屓だ。そう思われようが構わないと監督は考えていた。高田の実力が戻れば、必ずチームは強くなる。甲子園だって行けると確信していたからだ。
監督は高田がケガをした日の試合を球場で見ていた。高校の監督が中学生の有望株をスカウトするために試合を見に来るのはよくある話だ。監督も未来で光り輝くであろう、原石を探していた。そして光りそうな原石を見つけた。監督は高田に目をつけていた。
「まだ二年生でこれほどとは…」
その日の高田は、最後の打席以外はだれも手が付けられないような、大活躍だった。話だけでもしたいと監督は思っていた。明日は決勝戦だし、今日は早く帰って休みたいだろう。話をするなら明日だと思い、その日は話しかけずに帰った。
しかし、次の日の決勝戦を見に来た時には彼は別人のようになっていた。
それから二年近く彼の名前を目にすることは無かった。次に彼の名前を見たのは、入学者名簿だった。いや、まさかな…なんて思いながら入部を待った。しかし、待てども待てども彼は入部してこなかった。
監督はもう諦めていた。状況が変わったのは六月末頃だった。ここ一週間くらい野球部の練習を見ている奴がいる。監督も気づいてはいた。夏の大会期間中だったため、そんなことは気にしていられなかったが。
試合に負けた次の日、野球部の顧問から新入部員が入ってきたと聞かされた。顧問から手渡された入部届を見ると、そこには高田の名前が書かれてあった。
入部してきた高田は、ボールを捕球するのもままならないようだった。聞けばイップスで悩んでいるとのこと。監督はあの日の高田に感じた可能性に賭けてみようと思ったのだ。
八月の初めごろには、監督のサポートもあり、守備の全体練習に参加出来るほどなっていた。本当に少しずつではあるが、守備の方は、着実に勘を取り戻しつつあった。しかし問題は打撃の方であった。打席に立つと、足が震えて打てないのは治っていなかった。
ある日の練習も終わり、高田は帰る準備をしていた。野球用の靴をカバンにしまい、部室を出る。部室の外で園田が待っていた。家の最寄り駅が同じということもあり、練習後は一緒に帰っていた。校門を出て、駅に向かう。
「ねぇ、高田君」
園田に話しかけられる。
「ん?どうした?」
「夏休みさ、高校野球見に、甲子園に行かない?」
「いいけど、どうやって行くんだよ。電車でも2時間はかかるぞ?」
八月の猛暑の中、電車を何本も乗り継いで、行くのはかなり大変だ。
「それは大丈夫。お父さんが車を出してくれるって」
「甲子園球場って、たしか駐車場無かったと思うけど、観戦してる間車はどうするの?」
「お母さんも一緒に行くんだけど、試合見てる間は、お父さんとドライブするんだって」
「まぁ、それなら……」
いや待て、てことは園田と二人で観戦!?それはデートでは…
よくよく考えれば二人で帰ってるこの状況も見方によってはデートみたいなもんか。なら大丈夫か。うん、大丈夫。
「じゃあお父さんに伝えとくね!」
「うん、お願い」
こうして高校野球を見に行くことが決まった。
一学期の終業式も終わり、夏休みに入った。休み期間中は週に五日ほど練習があり、あまり休みは無かった。休みの日は体の休息に充てていたので、遊びにいくことは無く、園田と甲子園に行くのが、久々のお出かけで、楽しみだった。
今年の夏の甲子園大会は初日から波乱の様相を呈していた。初日から優勝候補の強豪校があっさり負けたり、無名の公立校が勝ち上がったりしていた。
僕らが見に行くのは、準決勝の二試合。かなりハイレベルな戦いが予想される。荷物をカバンに詰めて家を出る。自転車で園田の家に向かう。
園田の家が見えてきた。家の下には白いセダンの車が止まっており、車の前に腕組をした男が立っている。園田の親父さんだ。小学生の時に何度も会っているが、今日はなんだか不機嫌そうな顔をしていた。
自転車から降りて、挨拶する。
「こ、こんにちは、今日はよろしくお願いします」
数秒沈黙が続いた後、園田の親父さんは口を開く。
「おう、お前が娘を泣かせてくれたんだってな」
ギクッ……
冷や汗が止まらない。確かに、春に野球を辞めたことを伝えて泣かした。
「あ、あの……」
家の扉が開いた。
「お父さんっ! 今日は何も言わないって約束だったでしょ!」
「だがなぁ……」
娘にはあまり強く言えないようだった。
「まぁまぁいいじゃない、今日は楽しいお出かけの日なんだから」
娘に続いて、玄関から女の人が出てくる。背は園田よりも低く、ほんわかとした雰囲気を纏っている。紗香の母親だ。
「むぅ。まぁ、母さんが言うなら……」
お母さんに助けられる。
「さぁさぁ、時間もないことだし、行きましょ!」
そう言ってお母さんは車の後部座席に乗り込む。続けて紗香も乗り込んだ。
「まぁ、乗れ」
親父さんはそう言って助手席を指さす。
え、前? と高田は思ったが、お母さんも紗香も後部座席に乗り込んでいる。親父さんに逆らうこともできないので、恐る恐る助手席に乗り込む。
「し、失礼します」
運転席に親父さんが乗る。
「シートベルトは着けたか?」
親父さんが確認すると、後ろから元気な「はーい」という声が二つ聞こえた。
車が発進する。親父さんの運転はとても丁寧だった。
車に乗り込んでから、一時間は経っただろうか。後ろの二人は楽しそうに会話していた。しかし、前の二人はというと、一言も会話は無かった。気まずいなんてもんじゃなかった。親父さんはずっとむすっとしている……
信号が赤になり車が止まる。
「おい」
急に話しかけられた。
「は、はひっ!」
とてもマヌケな声が出た。
「トイレに行きたくなったら言えよ」
親父さんはそれだけ言うと、またむすっとした顔をして、車を走らせる。後ろの二人は顔を見合わせてニヤニヤしている。
出発してから二時間半で甲子園球場に着いた。親父さんに礼を言い、車を降りて、大きく伸びをする。後部座席から二人も降りてきた。お母さんは助手席に乗り、窓を開けた。
「終わったら迎えに来るから、楽しんできてね~」
お母さんがそう言うと車は去っていった。
「それじゃあ行こっか」
入口に向かって歩く。もう試合は始まっていたのか、演奏の音が外まで聞こえてきていた。
飲み物を買って席に座る。夏の日差しに負けないほどの戦いが繰り広げられていた。
試合をじっくり見る。選手たちの輝き。必ずこの舞台に立つ。高田は拳を握りしめた。そして、甲子園出場は夢ではなくなった。必ず達成する目標に変わった。隣に座る女の子のために、そして、自分のために。
準決勝二試合が終わった。どちらの試合も手に汗握る素晴らしい試合だった。快進撃を続けていた無名の公立校は負けてしまったが、充分公立校旋風を巻き起こしていた。
迎えに来てもらうために、園田がお母さんに連絡する。すると二人は近くのファミレスにいるらしいので、こちらから向かうことになった。
ファミレスに入るとすぐに二人の姿が見えた。
「おーい、こっちよ~」
お母さんが手を振っている。親父さんの前に座っていたお母さんは親父さんの隣に座りなおした。
「まぁ座れ」
親父さんの言われるがままに親父さんの正面に座る。
「おなかすいてるでしょう?好きなもの頼みなさいな。遠慮はいらないわよ~」
お母さんにメニューを手渡され、
「ありがとうございます」
と、お礼を言う。高田はハンバーグを注文した。紗香はクリームパスタにしたようだ。
「で、試合はどうだった?」
ニコニコしながらお母さんは聞いてくる。
「うん、すごかったよ。どのチームもレベルが高かった」
紗香は興奮ぎみに応えた。
「そう、ならよかったわ~。車出したかいがあったわね。ねぇ、お父さん」
「うん」
親父さんはそう一言だけ言ってコーヒーを飲んでいる。
注文していた料理が来た。おいしかったが、親父さんがじっと見つめてくるので、食べづらかった。
しばらくして
「あら、もうこんな時間。あまり遅くなったら高田君に悪いわ。帰りましょうか」
そう言ってお母さんはお会計をしにレジに向かっていった。高田はごちそうさまです。と言い席を立った。
帰りの車でも高田は助手席だった。後ろの二人は疲れているのか眠っているようだった。
「高田君」、
親父さんに呼ばれる。
「はい」
「娘を泣かしたことは許せないが、今日の楽しそうな娘に免じて一度だけ水に流してやる。だが今度泣かせたら、俺はお前を許さん」
「肝に銘じておきます……」
それだけ言うと、親父さんはまた黙ってしまった。
園田家の前に到着する。親父さんは家の駐車場に車を止めたらさっさと家に入ってしまった。
「高田君。今日はありがとね~」
そう言うとお母さんも家に入っていった。
「高田君、今日はありがとね!」
「こちらこそ誘ってくれてありがとう。やるべきことが見えた気がするよ」
「そっか。あ、あと、お父さん怖かったと思うけど、ごめんね。あれでも機嫌はいい方だったよ。」
え? あれで? 声に出そうだったが引っ込める。
「でも、今回については俺が全面的に悪いよ」
「まぁいいじゃないそんなこと。じゃあまた明日!」
「うん、また明日」
園田は家に入っていった。高田は荷物をかごに入れ、自転車を押す。
「また明日……か」
小学生の頃は毎日練習終わりに言っていたなと思い出しながら帰路についたのだっ
た。
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