君のいない日常にツナを添えて
黒本聖南
7月1日~7月7日
夕涼み ツナのおにぎり
今日も今日とで暑かったが、冷房はつけなかった。
家主も家主の子供も仕事や学校で留守にしている。それなのに、ただの居候が冷房を使うのはどうだろうと思ったから。
一応、近所の百円ショップで、水に濡らすと冷えるタオルや携帯扇風機などを買ってあるので、日中はそれらを使いながら家中の窓を開け、この家のことをやっていく。食事作りに洗濯に掃除に買い物に。男二人の家に居候させてもらっているんだ、これくらいやらせてもらえないと申し訳ない。
『
家主である叔父さんはいつも俺にそう言ってくれるが、そうはいかない。家賃も受け取ってもらえないんだから、返せることで返していかないと。
仕事を辞めて半年、居候させてもらって半年。
この生活にも慣れてきた。気持ちも、多分、落ち着いてきたと思う。
無意味に壁や天井を見ていた頃に比べたら良くなった。そろそろ、一人暮らしに戻ってもいいかもしれないが、話を切り出そうとするといつも酒を飲まされるから、まだ言えずにいる。
俺はもう、大丈夫なのに。
「……さてと」
プリンターから排出された紙を確認して、それをダイニングテーブルに置いたらパソコンを閉じて、家中の窓を閉めに行く。
夕方のチャイムが鳴る少し前に、叔父の息子──従弟が帰ってくる。その前に窓を閉め、冷房をつけておかないと、汗だくで帰ってくるであろう従弟が可哀想だ。ついでに、洗濯物も取り込んでおきたい。
一階の窓を全て閉め、ダイニングの冷房をつけると二階に行き、順に回って最後はベランダ。洗濯物を手早く中に放り込んでいき、室内に戻ろうとした所で──風が頬を撫でる。
それなりに心地好い風だった。
何となく、すぐに戻るのが惜しくなり、ベランダの手すりに寄り掛かる。
下の道路で、近所の中学生達が思い思いに喋りながら歩いているのが目に入った。ここから五分くらいの所に小中一貫の学校があるからそこの学生だろう。従弟が通っていた所だ。誰も彼も楽しそうで、時折奇声を発している。半年前はよく見ていた光景だ。あの頃は後ろ姿だったけれど。
久しぶりに見たなと、そのままぼんやり眺めていたら、ふいに、一人の学ラン少年が目に入った。
癖のない真っ直ぐな黒髪、丸い目、白いレジ袋を手に持ち、リュックに隠れた背筋をしゃんと伸ばして、少年はこの家の前に立ち止まり、俺を見ていた。
「……」
「……おかえり」
従弟だ。
彼は丸い目を更に丸くして、慌ただしく家の中に入っていく。どうしたのか、いつも挨拶をすれば元気に返してくれんのに。まあ、たまたま聴こえなかっただけだろう。距離もあるだろうし、俺もそこまで声を張らなかった。
帰ってきたことだし、中に戻るかと、窓に近付いた所で──激しい足音。はて、と視線を上げれば大きな黒い物体。それは俺目掛けて突っ込んできて、腹にけっこうな衝撃を受けながら尻餅をつくことになった。
「──にいちゃん!」
黒い物体が俺をそう呼ぶ。そんな風に呼んでくるのは一人しかいない。
「……いや、何すんだよ、
俺の唯一の従弟、
「帰って早々、従兄にタックルかます高校生ってどうなんだ?」
「だってにいちゃんがまた死のうとしたから!」
「……いや、してないから」
本当にしてない。
夕陽は丸い目に涙を浮かべて俺を見ており、何もしていないのにじわじわと罪悪感が湧いてくる。
「うちを事故物件にしたらダメだからね! 何の為に一緒に暮らしてると思ってるのさ!」
「……いや、ほんと、お前の勘違いだから、落ち着けって」
「にいちゃんのバカ! 何で死のうとするんだよ! おれ達がいるじゃんか!」
「話聞けや。あと大声でそういうこと言うな、ご近所に誤解されるだろう?」
ただでさえ道を歩くとマダム達に訝しげな目でじろじろ見られるってのに。
バカと繰り返し言いながら引っ付いてくる従弟をどうにか引き剥がし、震える肩を押さえつけ、深呼吸、とにかく深呼吸しろと言っていたら、俺を睨み付けながら渋々といった感じで応じてくれた。
「夕陽、俺は死なない。ただ夕涼みしていただけだ」
「……ほんと?」
「ほんとだほんと。絶対死なないから、ここは事故物件にならない、心配すんな」
「……他の所も事故物件にしたらダメなんだよ、分かってる?」
「分かってる分かってる。ほら、中に入るぞ」
「……絶対だよ」
夕陽を立たせ、一緒に室内に戻る。夕陽には先にダイニングに行かせ、俺は洗濯物を畳もうとしたが、にいちゃんも一緒に来るのと言われ、仕方なく洗濯物は放置することに。
ダイニングまで来ると、座ってと命じられ、所定の席に腰掛けると目の前にレジ袋を置かれた。そういえば持っていたな、何か買ってきたのかとそれを眺めていたら、夕陽はその中に手を突っ込み、何かを取り出す。
ラップに包まれたおにぎりだった。
「おれの学校の近くにおにぎり屋さんあって、何となく気になってたから、今日買ってみたんだよ。食べよう」
「けっこう大きいな。中身は……」
「ツナだよ、和風ツナ」
にいちゃんツナ好きでしょう? の言葉に、すぐに頷けなかった。
好きだ、確かに好きだ。普通に旨いし、今夜の夕食にもツナを使う気でいた。
……好き、だけどさ。
固まる俺を、不安そうに夕陽が見つめてくるから、好きだよと返事をして、ラップを剥がしてかぶりつく。
うっま。
噛むたびに醤油とツナの甘みが口内に広がり、早急に次が欲しくなる。
俺が作るより、いやコンビニのものよりも旨いな、んだよこれ。さすがプロってか?
二口三口四口と止まらず、あっという間におにぎりは俺の手の中から消えた。
「もう一個あるから食べてみてよ」
「さんきゅ」
レジ袋から出してもらったものを受け取り、またかぶりつこうとして、一枚の紙が目に入る。さっきプリントアウトしたものだ──夕陽の為に。
「それ、今日の分な。俺が夕食作ってる間に解くんだぞ。その後に今日の復習な」
「はーい」
嬉しそうに紙を受け取る従弟の顔を見ると、こっちも作った甲斐がある。復職する時もやっぱり、同じような所で働きたいなと思った。
──
家事に家庭教師に忙しいんだ、自殺なんて考える暇もない。叔父も従弟も、そろそろ分かってくれるといいんだが……。
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