treasure.4 日常にかくれる非日常
——空の主役がお日さまになった。カーテンから透ける日差しで、わたしは目をさます。
部屋を出て向かうのは洗面所。顔を洗ったら、すぐに朝ごはんの準備に取りかからなきゃ。
台所に着いたわたしは、四枚のトーストを順番に焼いていく。その間に、スクランブルエッグとウインナー、レタスのサラダ作り。スクランブルエッグはお父さん、ウインナーは攻大の好きなものなんだ。
『いい? 守里。お母さんがいない間、この家は守里が支えるんだよ。お父さんも攻大も、ずぼらなところあるから。お母さんが外国で仕事に打ち込めるのは、守里を信頼してるからなんだよ』
そう言いながらお母さんが教えてくれた、スクランブルエッグの作り方。ショートヘアーにキリッとしたつり目のお母さんは、本当にカッコよくて、わたしの自慢だった。
もうすぐ完成ってところで、お父さんと攻大が起きてきた。「おはよう」と声をかけながら、わたしは三人分のプレートをテーブルに運ぶ。わたしのプレートにのっているのはトーストとサラダだけだけど。
「守里、体育祭はいつだったっけ? 父さん、休みとろうかな」
「いいよ、お父さん、いそがしいんだから。ほら攻大、ほっぺにケチャップついているよ」
わたしに言われた攻大は、寝ぼけまなこで頬をさする。お父さんの目が細くなったのは、眠たいからじゃなくて、わたしがいい子になったからだ。ワガママを言わないのはエラいことなのに、お父さんは喜んでくれない。
「ごちそうさま」
わたしが一番に食べ終わった。まあ、量が少ないから当然だよね。食器をシンクに置いてから、わたしはコッソリ用意していた四枚目のプレートを持って、こっそりとリビングを出る。ご飯を作るのはわたしの仕事で、後片付けはお父さんや攻大の仕事なんだ。だからわたしは、ご飯を食べ終わったら自由の身ってわけ。
トーストと、わたしの分のスクランブルエッグとウインナーが盛り付けられたお皿を持ったまま、わたしは自分の部屋のとびらを開けた。
上半身に何もまとっていないアモルが、平然とした顔でこっちを見た。
え? え? な、なんで——
びっくりして叫びそうになったわたしの口を、アモルが左手でふさいできた。
そうだ。ここで大声を出したら、お父さんや攻大にアモルのことがバレちゃう。
落ち着きを取り戻したわたしは部屋に入って、ドアをしっかりと閉める。
「どどど、どうしてわたしの部屋で、その……そんな恰好」
「学校に同行するには、この服が一番だからな」
アモルの蒼い視線が、わたしのベッドに注がれる。わたしも同じ場所を見ると、見慣れた学校の制服があった。もちろん、わたしの服じゃなくて、男子用のものだけど。
学校についてくる……って、お見送りしてくれるってことかな? 確かに、登校中に盗賊に襲われるのは怖いから、ありがたいんだけど……
……ちょっと待って?
「どうしてわたしの学校の制服があるの? まさか盗んできたの!?」
「これは正規の手段で手に入れた。そうじゃないと面倒だからな」
アモルは冷静に着替えを進める。ちらっとアモルの背中が見えた。わたしは思わず聞いてしまう。
「たくさん傷があるけど、大丈夫なの?」
アモルの背中には、いくつもの痛々しい傷が刻まれていたんだ。見ているわたしまで辛くなるのに、アモル本人は淡々としている。
「まだガキだった時のものだ。今はもう痛くない」
アモルは黙々と着替えをしている。黒いフードを脱いでいるはずなのに、アモルの全身に影がかかっているように見えた。
「……いつまで立ってるんだ。身支度しなくていいのか」
着替え終わったアモルに言われて、わたしの手に、お皿の感覚が戻ってきた。
「そうだ、これ、朝ごはん。ちゃんと食べて。お父さんと攻大はもうすぐ家を出るから、そうしたら歯みがきもして」
プレートを机に置いたわたしは、クローゼットから制服を取り出す。
お父さんは仕事、攻大は部活の朝練習があるから、家を出るのはわたしが最後なんだよね。まあ、今はそれが都合よくて助かったんだけど。
クローゼットのとなりの棚が、ふと目に入る。お母さんから貰った宝物が置いてある棚だ。
朝ごはんを作っている時に、お母さんのことを思い出したからかな。宝物のことが気になって、棚に置いてある小箱を手に取った。
手のひらにちょうど収まるくらいの白い箱。これは、お母さんからの最後のおくりものだ。
お母さんが行方不明になった数日後、わたしの家に荷物が届いたんだ。お母さんがいなくなる直前に、わたしの家に届くように発送したんだろうって、お父さんが言っていた。
お父さんには水色のシャツ、攻大には黒いソックス、そして、わたしには白い小箱。
わたしは、この小箱を開けたことはない。だけど、中身には予想がついている。
この箱に眠っているのは、わたしの罪だ。
「……そんなに大切なのか」
背中から低い声がして、わたしは現実に帰ってきた。振り返ると、アモルがわたしを観察するように、まっすぐな目線で心を突き刺してきた。
「そうだよ。お母さんがくれたんだもん」
「それにしては、苦しそうな顔をしていたが」
わたしは、自分の胸をぎゅっとつかんだ。
……どうして。
アモルとは、出会って二日目だっていうのに。
わたしの痛いところを、正確に見抜いてくる。
……わたしとアモルが、悪い子同士だから?
ううん、違う。わたしは人のものを盗んだりしてないもん。ちゃんといい子になるために、自分の望むことは言わないようにしてるんだから……
「……アモルには関係ないよ。ほら、早くごはん食べて」
わたしは、わざと音が立つように、小箱を棚に置いた。これでおしまいですよ、って伝えるために。それはアモルに伝わったのか、無言でウインナーを口に運び始めた。
アモルがご飯を食べている間に、わたしは脱衣所で身支度をする。制服に袖を通して、髪の毛を耳の下でふたつ縛りにする。
お父さんと攻大が家を出て行く物音がして、わたしはふうっと息をついた。
脱衣所を出て、階段の下から声をかける。
「アモルー、降りてきていいよー。あ、お皿と箸、持ってきてね」
言い終わってからそれほど経たないうちに、アモルはのっそりと降りてきた。
アモルの手にある、空っぽになったお皿を受け取って、わたしはホッとする。
「全部食べてくれたんだね」
わたしの言葉にアモルは答えなかった。代わりに、わたしの胸元に手を伸ばしてきた。膝を曲げたアモルと目の高さが合って、宝石の海みたいな青の瞳が、わたしを釘付けにする。
ど、どうしたの、急に……!
「……曲がってたぞ、リボン」
アモルは落ち着いている。わたしはこんなにドキドキしているのに。それこそ、胸の音がアモルに聞こえるんじゃないかってくらい。
なんで、わたしの心ばっかり振り回されてるの!?
「も、もう! びっくりさせないで……! 洗面所に歯ブラシ置いてあるから!」
「なんで怒ってるんだ?」
「お、怒ってるんじゃなくて……! いいから! わたしが遅刻しちゃうから!」
きょとんとするアモルから逃げるように、わたしはキッチンへ行き、お皿を洗う。アモルが使った食器は元通りにしておかないと、アモルのことがバレちゃうもんね。
支度を終えたわたしたちが家を出ると、さわやかなお日さまの光に全身をなでられた。思わず目を閉じたわたしが、もう一度まぶたを開けた時、
「守里、おはよう」
勇翔くんのまぶしい笑顔が飛び込んできた。
「ゆ、勇翔くん、どうして」
「どうしてって、時間が合った時は、いっしょに登校してるだろ?」
そうなんだけど、そうだったんだけど!
わたしは、目線だけを後ろに向ける。そこには、いっさい動じずに立っているアモルの姿。
アモルに気がついた勇翔くんは、笑顔を崩して、いぶかしげな顔つきになった。
「あれ。学校も同じなの? うちの制服着て」
「えっとー、あのー、学校まで一緒に来てくれるっていうかー」
「どうして?」
「うううー……」
勇翔くんの追及が止まらない。
苦しい苦しい苦しい!
勇翔くんのお父さんは刑事さん。その血をしっかり受け継いでいるのか、勇翔くんには言い訳やウソが通らない!
そんな勇翔くんに、アモルの正体を告げたら、とんでもないことになっちゃう!
「……遅れるぞ」
その声と同時に、アモルがわたしの肩に手を置いた。今のわたしには最高のパスだ!
「そ、そうだね! 行こう!」
少し前を歩くアモルに、わたしはついていく。
首をかしげた勇翔くんの顔には「納得いきません」と書いてある。だけど、わたしへの攻撃を止めて、いっしょに歩き始めてくれた。
た、助かった……!
わたしを真ん中にして、アモルが左側、勇翔くんが右側を歩いている。
「守里、体育祭の種目、何に出るか決めた?」
「わたしは余った競技でいいよ。勇翔くんは、きっと対抗リレーの代表だよね」
「俺、竹刀を振ることはできるけど、陸上はノータッチなんだよな」
勇翔くんの顔がしぶったのは、リレーの代表に気乗りしないのか、わたしの「いい子」の答えが気に入らなかったのか、どっちなんだろう。
わたしたちの前から、赤いフードをまとった人が歩いてくる。わたしたちに近づいた時、ズボンのポケットに突っ込んでいた手を高速で取り出した。
「今日の国語って、たしか漢字の小テストの日だよな」
勇翔くんの世間話は、わたしの耳を素通りする。
赤いフードの人と、わたしたちがすれ違う瞬間に、フードの人の手がわたしに伸びてきた。その手をアモルが弾く。腰くらいの高さで起こった出来事は、勇翔くんや他の通行人には見えていない。ただすれ違っただけに見えているだろう。
「どうしたの、守里」
勇翔くんはキョトンとしている。今の出来事を誤魔化すために、わたしは日常の話題を持ち出した。
「ねえアモル、今日の夜ご飯、何か食べたいものある?」
「……どうしてそんなこと聞くんだ」
アモルは、さっき赤フードの人にぶつけた左手を、ズボンのポケットに突っ込む。
「だって、何を作るかで、買わなきゃいけないものが違うでしょ。スーパーで買うものが」
「へー、守里の料理食べられるんだ?」
勇翔くんが頭の後ろで手を組んだ。
「あーあ。俺なんて、守里のご飯なんて食べさせてもらったことないのになー。かりにも幼馴染なのに」
「……怒ってるの?」
「べーつにー」
口では否定したけれど、勇翔くんの口はとがっている。なんだか空気が重たい。アモルは無口を貫いていて、全然助けてくれないし。
どうしたんだろう? 勇翔くんがふてくされるなんて、はじめてかも……
なんだかギスギスしたまま、わたしたちは学校にたどり着いた。
「おー! 勇翔! おはようさん!」
生徒玄関で、まるがり頭の男の子が手を振っている。
「なんだよー、夫婦で登校かー?」
「か、からかうなよ」
顔を赤くした勇翔くんは、まるがりくんのところに小走りで近づき、口をふさいだ。そのまま二人で校舎に入っていく。その直前に勇翔くんが、ちらりとわたしたちの方に振り返った。なんだか不安げなかんじだった。
わたしたちの横を通り過ぎる生徒たちは、誰もアモルのことをあやしまない。アモルがこの学校の制服を着ているからだろう。
アモルとふたりになれたから、気になっていたことを聞くことができた。
「ねえアモル、さっき、赤いフードの人とすれ違ったでしょ? あの時、何をしていたの?」
「……これ」
勇翔くんがいる間、ほとんどお口チャック状態だったアモルが、やっと声を出した。さっきポケットに入れた左手が顔を出す。アモルは、握られていた手を、わたしに見えるようにゆっくりと開く。
「……!」
わたしは息をのんで、固まってしまった。
アモルの手の中にあったのは、針だった。裁縫に使う時のぬい針のようなもの。
「しびれ針だ。あいつもファントムのメンバー……動けなくなったところをとらえるつもりだったんだろう」
わたしの背中がゾクゾクと震えあがる。日常の中に、非日常がひそんでいることを実感してしまったんだ。
「……こういうものから護るために、俺がいる」
アモルの声は決して大きくないけれど、芯が通っている。寄りかかっても倒れずに立っていてくれるような。だからかな、わたしの震えが少しずつおさまっていく。
「そろそろ行かないと、間に合わないだろう」
アモルに軽く背中を押された。わたしはコクリとうなずきながら「ありがとう」と伝える。
泥棒が隣にいたら、ふつう、心配になるはずなのに。
アモルの言葉に、ホッとしてしまった自分がいた。
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