treasure.10 わたしの罪
——お家に着くと、お父さんの雷が落ちた。「お前まで行方不明になったらどうするんだ!」って。
お父さんから外出禁止令を出されたわたしは、自分の部屋に収容されてしまった。
電気も付けずに、わたしは、ふらふらと、なだれるようにベッドに座りこむ。
チクタクという壁時計の音ですら、わたしを責めているように思えてしまう。
……わたしのせいだ。
わたしのせいで、勇翔くんがバイアにあやつられたんだ。
わたしが宝物を出さなかったから。
勇翔くんに心配をかけたせいで、勇翔くんはバイアに着いていったんだ。
全部、全部、わたしが悪いんだ……!
コンコン。
どこかぎこちなく、窓をたたく音がした。
そっとカーテンを開けると、月の光を背に受けたアモルが立っていた。落ち着いてはいるけれど、その落ち着きを作っているように見えた。何となく、顔がかたく感じたから。
ゆっくり窓を開けると、肌寒い風が入ってくる。
「何?」
わたしが聞いても、アモルは何も言わない。
この空間で、音を出しているのは壁時計だけだ。それがなんだか、すごく気まずく感じる。
何でもいいから音を出したい。そう思ったわたしが始めたのは、勇翔くんへの謝罪だった。
「……今日の帰り道、勇翔くんに言われたんだ。隠していることを話してほしいって」
アモルはだまったままだ。
「わたしの罪が、のどまで出てきたの。だけどね、言えなかった」
わたしは目を閉じて、うつむく。
「わたしが隠しごとをしていたせいで、勇翔くんは、バイアの口車にのせられたの。わたしの秘密を教えてやるって、バイアが言ったんだって」
「……あいつのやりそうな手口だ」
わたしは、すうっと息を吸い込む。
「この世界ってさ、悪いことをしないで、正しく生きている人ばっかりなんだよ。だから、罪を犯したり、ワガママで他人を傷つけたりすれば、非難される。当たり前だよね。悪いことをしたんだもん」
「……」
「わたしの周りにも、正しい人しかいない。だから、怖くなるの。わたしの罪を打ち明けたら、絶対に否定されるって。わたしが悪い子だってバレたくなくて、自分の希望を心に閉まってきた。だけど、意見を言わない理由を聞かれたら答えられなくて、だからギクシャクしちゃって……!」
わたしのくちびるがふるえる。目を閉じているはずなのに、それでも顔中に雨が降り続ける。
泣き続けてまともな言葉を出せないわたしに、アモルが言った。
「……俺は盗賊だ」
「……知ってる」
「だろ。だから俺も、お前と同じ、悪い側の人間だ」
わたしはハッと顔を上げて、アモルを見た。ほんの少しだけ、アモルの顔が柔らかくなっている気がする。
「だから、過去にどれだけひどいことをしていようが、お互い様だろ。俺にはお前を非難する権利はない。盗みを働いてきたんだから」
「でも、アモルは、生きるために仕方なく——」
「そんなの、盗まれた側には関係ない。どんな事情があろうと罪は罪だ。俺は、自分の罪を、別の何かのせいにするつもりはない」
アモルはそう言い切った。まるで当然のように。
「正しい人には話せない……なら、同じ悪いヤツになら、吐き出せるんじゃないか」
すっと床に腰を下ろしたアモルは、また静かになっちゃった。
アモルがウソを言ってるようには思えない。
話せるかもしれない。盗賊さんになら……アモルになら。
「……わたしのお母さん、海外でお仕事してたんだ。写真を撮りながら、貧しい国の人たちを救う活動をしてた。強くて、カッコよくて、優しくて、わたしの誇りだった」
わたしは自分の胸に両手をそえる。
「その日ね、お母さんとビデオ通話をしていたの。アフリカでのお仕事が終わって、これから帰るからって。そこでわたし、お母さんに写真を見せて、おねだり、したんだ。『このブローチが欲しい』って。葉っぱのかたちのブローチ」
言葉がノドを通る度に、胸がズキズキと痛む。
「もうすぐ電車に乗るからって、お母さんは言ったんだけど、わたしは諦められなくて。次、いつその国に行くか分からないんでしょ、って言っちゃったんだ。そうしたらお母さん、電車をキャンセルして、ブローチを買ってから帰るって言ったの。だけど、その次の日——」
わたしの告白に嗚咽が混ざりだす。
「その国でテロ事件が起きたの。お母さんは、それに巻き込まれて、行方不明に……! わたしがブローチをねだらなければ、お母さんはテロの前日に日本に帰れた! わたしのせいで、お母さんが……!」
止められない涙が、ベッドのシーツをぬらしていく。
「……それで、自分の望みを殺してきたのか」
アモルの問いかけに、わたしは小さく、コクリとうなずく。
ワガママのせいで、お母さんを傷つけてしまった。
だからわたしは、ワガママを言わないようにした。
食べたいご飯、行きたい場所、ほしいもの——全部全部、言わないでいた。
なのに……
「それなのに、周りの人間はいい顔をしない、と」
アモルにはすべてを見すかされている。わたしから付け足すことはなにもなくて、だから口をつぐんでしまう。
アモルは「そうか」と言ってから、続けた。
「欲望を持つのは、そんなに悪いことか?」
思わずわたしは顔を上げた。涙でグチャグチャな顔なのに。
アモルは平然としている。
「なんの願いもない人間は、ロボットと同じじゃないか」
「ロボット、って……」
「今度の体育祭の日、晴れてほしいと願う人もいれば、雨で中止になれと思う人もいる。夏休みや冬休みを子どもは喜ぶが、観光地やスーパー、レストランで働く人は『早く終われ』と思うだろう。仕事がいそがしくなるんだから当然だな。ほかにも、食べたいもの、好きな色、着たい服、休みの日にしたいこと——そうして無数の欲望を組み合わせることで、個性になるんじゃないか」
「個性……?」
「そうだ。なんの欲望も——個性もない人間は、量産されたロボットのようなものだ。それを見て笑顔になる人間はいないだろうな」
わたしとアモルは目線を絡め合っている。わたしたちの身体を、夜の風がなでる。
「世界中の人間を見てきたが、みんな、何かしらの個性を持っていた。でも、お前のいうとおり、たいていの人間は『正しい人』だ。だから、欲望を持つこと自体が悪いんじゃない。欲望を通すために、誰かを傷つけた時に『悪い人』になる」
「……そうだよ。わたしは、自分のワガママでお母さんを——」
「母親に『ブローチを買うまで帰ってくるな』とでも言ったのか?」
「そこまで言ってない」
「それなら、お前の母親には、拒否をすることだってできたわけだ。それをせず、お前の望みをかなえる決断をしたのは母親自身だ」
「でも……!」
「『娘の望みをかなえてやりたい』……母親としての『ワガママ』をつらぬいた結果じゃないか」
わたしは「……え?」と間の抜けた声を出してしまった。アモルのセリフは、まったく考えてもいないものだったから。
「お前が自分のワガママを後悔しているのなら、母親のワガママも受け入れてやったらどうだ。そうやって、お互いのワガママを認め合えばいい。俺みたいに、他人を傷つける方法はさけるべきだが」
……お母さんの、ワガママ。
そう言われて、わたしはハッとした。
お母さんのことを悔やんで、自分をにくんでばかりで……お母さんのくれたブローチの箱を、開けたことすらなかった。
お母さんの優しさを、ないがしろにしてたんだ。
わたしは宝物の棚に近づいた。その中の、白い小箱を手に取る。
心臓のドクドクという音が、どんどん大きくなっていく。
中に入っているものは分かっているのに、開けるのが怖い。
わたしは窓に——アモルのそばまで近づいた。不思議と、手のふるえが小さくなる。
すうっと深く息を吸い込む。それをゆっくり、時間をかけてはき出す。全部を出しきったところで、わたしは小箱のフタをとった。
葉っぱの形をした、金色のブローチ。月の光にさすられて、きらりとかがやいている。
間違いない。あの日わたしが、お母さんに『欲しい』と言ったブローチだ。
お母さんは、わたしの願いをかなえてくれた。この優しさから、わたしはずっと逃げていたんだ——
「……他にも何か入ってるぞ」
わたしといっしょに小箱をのぞいていたアモルが、すっと中を指差した。
……本当だ。なにか透明なモノが……
わたしは正体不明の“それ”を、親指と人差し指でつまんで取り出してみた。
だ
……このレンズ、どこかで見たような……
「……これって」
机にレンズを置いたわたしは、オーパーツの写真集を開く。何枚かページをめくったところで、わたしは見つけた。
「やっぱり! これ、『アッシリアの水晶レンズ』だ!」
「アッシリア……? それも、オーパーツとやらなのか?」
「うん。最初にレンズが作られたのって、九世紀から十世紀なの。だけど、アッシリアの水晶レンズが発見されたのは、紀元前七世紀のアッシリアの墓からなんだよ」
写真集をベッドに放り投げて、わたしはもう一度、アッシリアの水晶レンズを手に取る。
「『レンズ』は、九世紀より前には存在するはずがない。だから紀元前七世紀に『アッシリアの水晶レンズ』が存在していたのは「ありえない」わけか。それでオーパーツと呼ばれていると」
うなずくアモルの顔を、わたしはレンズに映してみた。アモルの表情が三倍くらいに拡大される。太陽の光を集めるために作られたって言われてるけど、拡大鏡としてもしっかり使える。こんなものが、紀元前七世紀に作られたなんて、信じられない。
……でも、どうしてお母さんは、このレンズを手に入れられたんだろう?
わたしに贈ったんだろう……?
「……宝月守里」
レンズ越しのアモルが、今まで一番、真面目な表情になった。わたしはレンズを小箱にもどして、アモルに直接向き合う。
「今のお前の望みはなんだ?」
『望み』、という言葉に、わたしはビクっとする。
「母親の望みを受け止めた今なら、言えるんじゃないか」
「わたしの、望み……」
両手を胸にあてて、わたしは目を閉じる。
望み。欲望。ワガママ。
それは、わたしの『個性』。
わたしの個性を伝えていいのなら。……
「……わたし、お母さんからの宝物は、渡したくない」
「……」
「だけど、勇翔くんも救いたい。あんなお別れの仕方、いやだよ。ちゃんと謝りたい……」
わたしは手をおろして、目を開けて、大きく頭を下げた。
「勇翔くんも、宝物も、守りたい。そのための力を貸してほしい……!」
わたしは、何の特別な力もない、ただただ平和に生きていただけの中学生だ。バイアと戦って勝てるわけないのは、分かってる。
だから、誰かに協力してもらうしかない。
そして、それをお願いできるのは、わたしの罪を知っている、アモルしかいない。
「……守るための願いか。お前らしい願いだ、宝月守里」
わたしはサッと顔を上げた。アモルの「ふっ」という、息混じりの小さい笑いが聞こえたから。
「分かった」
アモルは柔らかく、優しく、ほほ笑んだ。
「ありがとう……!」
わたしもアモルと同じ顔になった。だけど、それはすぐもとにもどる。
もちろん嬉しいんだ。だけど、不思議でもある。はじめて会った時から、ずっと、気になっていること。
「……どうしてアモルは、わたしを守ってくれるの?」
「それは後だ。今は流星勇翔を助けることが最優先。そうだろ」
アモルは腕を組んで、そっぽを向いてしまった。なんだかモヤモヤするけど、確かに、急いで勇翔くんを助けなきゃいけないのは事実だ。
アモルの声の色が、真剣なものにもどった。
「ファントムの盗賊は、ランクが紫になると、特別な能力を与えられる。バイアの『タカラキメラを生み出す能力』も、与えられたものだ」
アモルが右手の人差し指を立てた。
たしか、アモルやバイアの紫色が一番高いランクなんだよね。
「その能力は、リーダーから与えられる道具に宿っている。俺の場合は、これだ」
アモルは自分の足元を指差した。わたしも同じ場所を見る。
そこにあったのは、『古代グライダー模型』のパーツがついた靴。
「俺に与えられたのは、この靴。能力は、ジャンプ力を高めるものだ」
わたしは「なるほど」とうなずいた。
……思い返してみれば、わたしを抱えながら、屋根を飛び移ってたよね。さっき、バイアから助けてくれた時も、街が小さく見えるほど飛び上がっていた。
「カギになるのが、能力はあくまで道具に宿っている、という点だ」
「どういうこと?」
「道具を奪うことができれば、能力も使えなくなるということ。だから俺の場合、この靴を脱げば、人並みのジャンプ力に戻る」
「……そっか! それじゃあ、バイアから、能力の宿った道具を奪えばいいんだ!」
わたしは、左手をお皿にして、握った右手を「ポン」と落とした。裁判官が小槌を打つみたいに。
希望が見えて思わず声が高くなっちゃったわたしに、アモルはため息をふりかける。
「問題は、その道具がなんなのかは、本人以外に知らされないことだ」
「え?」
「バイアの手持ちのうち、どれが『タカラナイトを生み出す力をもった道具』なのかが分からないってこと。どれを奪えばいいのか分からないうちは、やりようがない。だから、さっきも撤退せざるをえなかった」
わたしの肩が思いっきり落ち込んだ。
せっかく勇翔くんを助ける道筋が見えたのに……!
これじゃあ、ふりだしに逆戻りだよ……!
ショックで身体をガクっとさせたわたしの目に、ベッドに放り出したオーパーツ写真集が映った。
……ちょっと待って?
アモルが持っている「能力の宿った道具」は『古代グライダー模型』。
その古代グライダー模型は、オーパーツだ。
と、いうことは——
「バイアの能力も、オーパーツに宿ってるんじゃない……?」
わたしのつぶやきに、アモルはハッとした。
「どういうことだ?」
「だって、アモルの能力が宿った道具はオーパーツなんだよ。世界の不思議を示す宝物。それなのに、バイアの持つ道具は、そのあたりにあるテキトーなモノだとは思えない。すごい能力が使えるようになるような、パワーを秘めた道具なんでしょ。そんな力があるモノっていったら、すごいお宝——オーパーツくらいだと思うの」
オーパーツは『発見された場所や時代からは、あり得ない存在の工芸品』。そんな不思議のつまった宝物だったら、特別な能力を宿すパワーがあってもおかしくない。
「……お前は、オーパーツを見れば判断がつくのか?」
アモルの問いかけに、わたしは「大丈夫だと、思う」と答えてから、続ける。
「アモルの靴も、どこかで見たことあるなー、って思ったし」
「……まあ、さっきのレンズも、オーパーツじゃないかって勘づいていたしな」
アモルはファサっとフードを被り直す。
「お前がオーパーツを見つけてくれ。そうしたら、俺がそれを奪う」
「だ、大丈夫なの? 危険じゃない?」
「奪うのは慣れてる。俺は、盗賊だから」
わたしの目線と、アモルのサファイアの瞳が絡まった。
「盗賊だから」なんて言葉、ふつうなら、不安になるはずなのに。
わたしはむしろ、安心してしまっている。
お互いの罪を知り合っているからかな。わたしの『個性』を受け止めてくれる人だって、信じられるからかな。
わたしは『アッシリアの水晶レンズ』を両手で握った。
……わたし、お母さんみたいに、誰かを守れる人になりたいから。
どうか、見守っていて。
勇翔くんを守るために、お母さんも祈っていて。……
「行くぞ」
アモルの言葉に、わたしは、大きく、ハッキリとうなずいた。
わたしを抱き上げたアモルは、ベランダから、ぶわっと飛び上がる。
空にかかっていた雲の幕は、少し開いていた。
そこから姿をのぞかせる、満ちた月。
その色はわたしに、あの男の子を思い出させる。スーパーで万引き犯をつかまえてくれた、黄色の瞳の男の子を。
わたしも、あの子のようになりたい。自分が貧しい思いをしていても、それでも、誰かを守るために行動できる、そんな子に。
大きな月と、握りしめた水晶レンズ、そして、アモルから伝わる熱が、わたしに勇気と決意を与えてくれた。
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