treasure.7 アモルのライバル登場!?

 ——アモルと出会ってから十日くらい経った。

 わたしは、表面上はふつうの生活をしていた。

 だけど裏ではフードの人——ファントムの盗賊たちに狙われていた……らしい。

 なんで「らしい」なのかって?

 わたしには実感がなかったからだ。

 アモルが言うには「すきを見て路地裏に連れていこうとされた」「木の陰から銃で狙われていた」「人ごみに紛れてナイフを持って立っていた」んだって。ファントムの人たちが。

 だけど、大事になる前に、アモルが追い払ってくれたんだって。

 もしかしたら、わたしの知らないところで、もっと守ってくれていたのかもしれない。


 今日は日曜日。なんとなく、どんよりとした灰色の空。

 わたしとアモルは、いつものスーパーからの帰り道を歩いていた。

 今日の買い物袋は一回り大きくふくらんでいる。お父さんは休日出勤、攻大は野球の練習試合。きっとお腹を空かせて帰ってくるからね。

 お家が並ぶ通りには、わたし以外の人はいない。お休みだから、みんなどこかへ出かけているんだろう。

 わたしには、好きなところへお出かけしたいなんて、許されない。だってわたしは、ワガママを言わない子になるんだから。


 隣を歩くアモルは、紫色のフードを深くかぶっている。靴についている木製の翼は閉じている。右手には中身がパンパンの買い物袋。わたしだったら両手を使わなきゃいけない量だ。

「アモル、重いでしょ? 交代しよ」

「いい、このままで」

 アモルはぶっきらぼうに答える。

 体格がいいってわけでもないのに、重たいものを持っても顔色ひとつ崩さない。勇翔くんみたいに、背が高くて筋肉もある子だったら分かるんだけど。

「肉体労働は慣れてる」

 アモルは何でもないように言ったけど、わたしは驚かざるをえない。

「労働? 働かされてたの?」

「豊かでない国の、貧しい家の子どもじゃ当たり前だ」

 アモルは平然としている。まゆをひそめることも、眉間にしわを寄せることもない。


 ……もしかして、アモルが盗賊になったのって、貧しい環境が原因だったんじゃないのかな。

 だとしたら、単なるワガママでお母さんを行方不明にさせたわたしが、アモルを「泥棒!」なんて言う権利はない——


「相変わらず、気取っていやがるなあ、アモル」

 嫌味たっぷりなのが分かる、ねちっとした声。

 曲がり角から、フードを着た男が出て来た。アモルと同じ紫色のフード。年齢もわたしたちと変わりないように見える。

 ポケットに手を入れて、こっちに歩いてくる男。距離が近づくにつれて、フードの中の顔が見えてくる。炎のように赤くとがった髪、ルビーのような血色の瞳。いやらしく「ククク」と笑う口からは八重歯がのぞいている。

 自己紹介されたわけじゃないけれど、察したんだ。

 この人もファントムのメンバーなんだ、って。

 わたしは隣にいるアモルの表情を確認した。険しくなっているのが、横顔でも分かる。

 今までわたしを守ってくれた時は、顔色ひとつ変えなかったのに。

 この、燃え盛る火のような男は、今までの盗賊とは違うんだ。そう理解せざるをえなかった。


 炎の男は、口を角を上げて言う。

「そんな近くにお宝がありながら、なんで奪わない? 両手をしばって、首にナイフを当てて、宝を出せっておどせば一発だろ? それがオレたち盗賊の生き方だろうが」

「……バイアには関係ない」

 炎の男——バイアっていうのかな——は、チッと舌打ちした。

「てめえはホントに、盗みの腕以外は買えねえヤツだな。なんのために試験に参加してるんだ?」

「必要のない盗みはしない。それだけだ」

「あいまいな答えではぐらかす、てめえの大嫌いなところだ。いいか。どれだけいい子ぶろうが、オレたちは社会に見捨てられた弱者なんだよ。ふつうの人間と同じようないい子でいたって、誰も認めちゃくれねえんだよ。てめえの甘い性分が気にくわねえ」

 この場の空気がピリピリしているのを、肌で感じる。

 バイアは「はあ」とため息をついて、ポケットから何かを取り出した。太陽の光を反射するソレ——ナイフを、右手で器用にくるくると回転させる。

「誰もいなけりゃ、これであんたをおどすところだが、おジャマ虫がいるんでね……さわぎはゴメンなんだよ、オレ」

 わたしと目を合わせたバイアは笑った。でもそれは、幸せや喜びを表現するためじゃない。「にこにこ」じゃなくて「ニチャァ」と、頭にこびりつくような笑顔だ。

「オレとしては、今すぐにでも宝を出してほしいところだけどなあ、宝月守里。それがお互いのためだぜ?」

「お互いのため……?」

「ったく、平和ボケした人間は、話が進まねえから困るぜ」

 ツバをはいたバイアは、もてあそんでいたナイフの刃先を、ピシッとわたしに向けた。

「痛い目みたくなきゃ、宝を出せっつってんだよ」

 一気に低くなったバアルの声に、わたしの全身が震えあがった。


 ……怖い。

 今、人生の中で一番、「恐怖」という言葉を叩きつけられてる。

 バイアの目が語りかけてくる。「オレは、冗談なんか、なにひとつ言ってない」って。

 この人は、目的のためなら、本当にわたしを——殺せるだろう。


「お前の大嫌いな、『さわぎ』を起こしたいのか」

 アモルが一歩、前に出た。

「宝月守里に手を出すな」

 大きくはないけれど、確かな声で、アモルは言った。

 ……まるでイラストみたいに、誰もピクリとも動かない。

 絵画を動画に変えたのはバイアだった。顔中にシワを浮かべて、鬼の形相になる。

「じゃあ、なんだ? この境遇を、黙って受け入れろってのか? 盗賊として、周りからブジョクされ続けろってのか? オレはお前みたいに、諦めて生きるつもりはねえ。泥水すすらないと生きていけないような、クソみてえな世界を変えるんだよ。そのためにオレは、ファントムのリーダーにならなきゃいけねえんだ!」

 熱のこもった殺気に、わたしの心臓が波打った。見えないナイフで刺されたみたいだ。

「必ず奪うぞ、宝月守里。お前の宝を……どんな手を使ってでも」

 そう言ってわたしをチラリと見たバイアは、軽い身のこなしで石壁に飛び乗った。そのまま木の枝や屋根に飛び移って、どこかに行ってしまう。


 何も言えず、動くこともできないわたしに、アモルは一言だけ口にした。

「……行くぞ」

 さっきの出来事を無かったことにしたいような、抑揚のない声の色だ。


 ……このままじゃダメな気がする。

 何も知らないまま、ただアモルに守られてるだけじゃ、いけない予感がする。

 バイアも言ってた。『平和ボケした人間は、話が進まねえから困る』って。

 泥棒! 悪い人たち! 近づかないで!

 ……なんて、ロボットみたいに繰り返しているだけじゃいられない。そうしているうちは、バイアにニラまれる一方だろう。

 それに、アモルはきっと、自分の欲望のために盗賊になったわけじゃない。……


「ねえ、アモル」

「何だ」

「教えてほしいんだけど」

「何を」

「さっきの人のことと……アモルのこと」

 灰色の空から落ちる影が、アモルの全身を暗くしていた。


 *


 時間はまだお昼すぎなのに、キッチンはどこかどんよりしている。

 わたしは野菜を切っている。トントンと、いつものリズムで。

 紫のフードを被ったままイスに腰かけるアモルが、はあ、と息をついた。

「あいつ……バイアは、次期リーダーの有力候補のひとり。最高クラスの盗賊だ」

「最高クラス……?」

「実績に応じて、与えられるフードの色が変わる。一番下が黒。次が白。黄色、赤、青ときて、一番上が紫だ」

 アモルは、指を折りながら説明する。


 そっか。バイアが着ていたフードは紫色だった。つまり一番ランクが高いってこと——あれ?

 今、アモルが着ているフードの色も……


 それに気がついた瞬間、野菜を切る手が止まってしまった。

「……じゃあ、アモルも一番高いクラスってこと⁉︎」

「何をそんなに驚いてるんだ」

「いや、だって……!」

「盗賊の腕なんて、なんの誇りにもならない」

 思わず裏返るわたしの声と、冷たいアモルの声は正反対だ。

「あいつは幼いころ、両親を殺されたんだ。金持ちの貴族にな」

 フードからのぞく、アモルの青い瞳が細くなる。

「だから、あいつは誓ったんだ。金持ちに支配されるような世界を変えるって。そのためには、裏の社会を自由にできる権力がいる。だからファントムのリーダーになろうとしているんだ。どんな手を使ってでも」

 わたしは、憎しみと怒りに満ちたバイアの表情を思い出す。あの顔には、両親を殺された時からの誓いが込められていたんだ。


「……アモルも、同じような理由で、盗賊になったの?」

「……なろうと思ったわけじゃない。親に捨てられて、家も金もなくさまよっていた。三日三晩飲まず食わずで、このままじゃ死ぬと思った時、一軒の露店が目についた」

 アモルはフードを深くかぶる。だから、アモルの表情が分からなくなった。

「店主がちょうどどこかに行っていた。周りには人もいない。無防備にカゴに入った真っ赤なトマトは、俺にとって悪魔の誘惑だった」

 わたしは口をはさめない。

「いけないことだなんて分かっていた。だが俺は負けた。生きたいという欲望に。俺はトマトを懐に隠した。そして路地裏に逃げ隠れ、無我夢中で食らい尽くした。空腹が満たされる快感と、一線を超えた罪悪感がグチャグチャに混ざり合って、俺は泣いていた」

 わたしの胸が、きゅっと握られたように痛み出す。その時のアモルの気持ちを考えたら、とっても切なくて、苦しくなる。

「一度罪を犯せば、あとはもう、二度、三度と重ねるだけ……そんなある日、盗みの現場を目撃されたんだ。ファントムの副リーダーに」

「その人は、なんて言ったの?」

「君の盗みの才能は素晴らしい。それを仕事にしないか……ヤツはそう言った。指示をこなせば金を出す。その金で、堂々と、好きなだけ食べられるぞ、と。ガキだった俺は、まんまと甘い言葉につられたわけだ。そこからはもう、世界各地で盗みを働かされた」

 淡々と過去を告白するアモルの姿に、わたしは確信した。


 やっぱりアモルは、自分のワガママを通すために盗賊になったんじゃない。

 ただ生きようとしただけなのに、環境や、大人たちに誘導されたんだ。悪い方向に。


「それじゃあアモルも、こんな世界を変えるために、ファントムのボスになりたいの?」

「別に、ボスの立場に興味はない」

 わたしはキッチンから離れて、アモルの前に立つ。

「じゃあどうして、わたしを守ってくれるの……⁉︎ そんなに辛い思いをしてるのに、わたしのことを助けようとするの⁉︎ アモルのこと知らないで、悪い泥棒だって言ったのに!」

 わたしの目頭が熱くなって、目尻の力が抜けていく。なんでか分からないけれど涙が止まらない。


 望んでいなかったけど、生きるために泥棒になるしかなかったアモル。

 ワガママを望んだせいで、お母さんを事件に巻き込んだわたし。

 どっちの方が本当の「悪い人」かなんて明らかだ。

 なのにわたしは、自分を棚に上げて、アモルにひどいことを言った。

 それなのにアモルは、わたしのことを守ってくれる。

 このチグハグが気持ち悪くて、申し訳なくて、どんな言葉を使えば表現できるのか分からない……


 アモルはスッと立ち上がった。わたしの頬を人差し指でなでて、流れる涙をすくい取る。

「……優しくしないで」

「何で?」

「わたし、悪い子だから。アモルより、ずっと」

「どういう意味だ?」

「……言うのが怖い」

 わたしはうつむいた。

 自分の罪を告白するのが、どうしても苦しくて、辛い。

「……なら、俺も言えない。宝月守里を、守りたい理由を」

 わたしはパッと顔を上げた。どういうことか聞こうと思ったから。

 だけど、できなかった。

 アモルの瞳の中の青い海が、切なげにゆらめいていたから。

「……そろそろ家族が帰ってもおかしくないだろ」

 わたしの頬から手を離したアモルは、わたしに背中を向けて、リビングを出て行ってしまう。

 アモルを引き止めるために必要なことは分かっている。わたしの罪を打ち明けることだって。

 だけど、できなかった。

 だからわたしは、立ち去るアモルのことを、だまって見ることしかできなかった。

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