treasure.6 盗賊さんって悪い人?

 ——今日の授業が終わると、みんながそれぞれの放課後に向けて歩きはじめる。ランニングにくりだす運動部の子、楽器を鳴らす吹奏楽部の子、テスト勉強のために図書館に行く子、新作ドリンク目指してカフェにくりだす子。

 わたしはスーパーに来ていた。店内に流れるクラシックは、わたしの耳にすっかりなじんでいる。

 お客さんは、おじいさんおばあさん、そして子どもと一緒のお母さんが多い。楽しく会話をしながら商品を選ぶ人の横を通りながら、わたしは携帯でスーパーのアプリを開く。

「えっと、今日はじゃがいもとニンジンが安いんだね」

 赤い文字で『本日のお買い得品!』と書かれたチラシを見て、わたしはフムフムとうなずく。まるでカレーを作れと言わんばかりだ。

 だったらそのとおりにしよっと。

 まんまとスーパーの思惑にのせられたわたしは、「おひとり様三個まで」のじゃがいもとニンジンを、制限個数いっぱいまでカゴに放り込む。

「ずいぶんと警戒心のうすい店だ」

 となりにいるアモルが、天井を見ながらつぶやいた。

「どういうこと?」

「カメラの位置は死角だらけだし、盗んでくれと言っているようなものだ」

「でも、この野菜棚にもカメラがついてるじゃない。お客さんが映るように」

「それはダミーだ」

 アモルがすっと手を伸ばす。その先にあったのはキュウリだ。なめらかな動作で一本のキュウリを右手に取ったアモルは、ちらりとわたしを見る。

「な、なに? キュウリが好きなの?」

「この程度の技を見破れないんじゃ、盗まれ放題ってことだ」

 アモルは右手の袖口を引っ張って、わたしに袖の中を見せてきた。

「あっ……!」

 思わず大きな声を上げてしまった。周りのお客さんからの、不思議そうな目線を浴びてしまう。

 アモルの袖の中に、なんとキュウリが入っていたんだ。もちろん、右手に持っているのとは別に、だ。


 ふつうにキュウリを取ったように見えたけど、袖の中にキュウリが入っていくように、角度や手の位置を計算してたってこと……!?


 お客さんからの視線がなくなったのを見計らって、アモルは「二本の」キュウリを売り場にもどした。

「……ちゃんと返すんだね」

「必要のない盗みはしない。それに、お前が許さないだろ」

 当たり前のように言ったアモルは、野菜の入った買い物かごを、わたしの手から自然に取り上げる。

「わたし、自分で持てるよ」

「いいから、早くしろ」

 アモルにあごでうながされて、わたしは買い物を再開した。

 お会計を終えて、サッカー台で買い物袋に商品をつめていく。何気なく壁に張ってあるポスターが目に入った。一枚は、白鳥のマークが描かれた、プロ野球の試合告知ポスター。もう一枚は、警察官の服を着たクマとウサギが「万引きは犯罪だよ!」と言っているポスターだ。

「このお店、まだ万引きがあるのかな」

「まだ?」

 わたしがポツリともらした独り言に、アモルがぴくっとまゆ毛を動かした。


「二年前、わたしが買い物に来てた時なんだけど、ズボンのポケットに、売り場のお菓子を入れた男の人がいたの。ちょうど近くにいた店長さんも見てたんだけど、「お店の外に出るまでは、万引きとしてつかまえられない」って言われて。店長さんと一緒に、男の人の後を追ったんだ」

 わたしは目を閉じて、当時のことを思い出す。

「男の人はレジを通らないで、お店の外に出たの。だから店長さんが声をかけたんだ。そうしたら、その人、店長さんを殴って逃げ出したの」

 頬を押さえて倒れ込んだ店長さんの姿は、今でも覚えている。

「わたし、犯人を捕まえなきゃって、必死に追いかけたんだけど、距離は縮まらなくて。もうダメだ、って思ったんだ。でも、犯人が駐車場を出ようとした瞬間、男の子が犯人を取り押さえたんだ。馬乗りになって、うつぶせになった犯人の手を背中で組ませて。そしてわたしに、警察に連絡するように言ったんだ」

 そうして犯人は警察に連れていかれた。


 警察が帰って現場が落ち着いてから、改めて男の子の姿を見た時、わたしは言葉を失ったんだ。

 ボサボサの髪に、生地が薄くて汚れた服。左目には眼帯がしてあった。

 だけど、もう片方の、金色の瞳は、あまりに綺麗だった。まるで、海を照らす月みたいだった。

 わたしが見惚れていると、男の子のお腹が「ぐー」と鳴った。男の子はショボンとした顔でお腹をおさえる。

 わたしは持っていたお菓子とおにぎりを差し出して「食べて」って言ったんだ。

『でも、お金、持ってない』

『いいんだよ。助けてくれたお礼。ねえ、わたしに、できることないかな』

 男の子のみすぼらしい姿は、言い方が悪いけれど、ふつうに生活できているように見えなかったんだ。

 お母さんは、こういう貧しい子を助けるために活動していた。そんなお母さんがわたしの誇りだった。だからわたしも、この子の力になりたいって思ったんだ。

 おにぎりを開けた男の子は、ゆっくりと、ひとくち食べた。

『……おいしい』

 男の子の顔がほころんだのを見て、わたしも嬉しくて「ふふ」と息をもらした。

『わたし、ここのスーパーに、よく来るから。家が近くなの。だから、よかったら、また会いにきてね。わたしの分のお菓子やごはん、分けるくらいならできるから』

『……でも、ぼく、正しいやり方なんて、できないよ。貧乏だから』

『正しいやり方? ふふっ、仲良くなるのに、決まったやり方なんてないよ。だから、見た目とか気にしなくていいから、また会いに来てね』

『……分かった』

 その約束を交わして、わたしは男の子と別れた。


 回想を終えたわたしは目を開ける。万引き防止ポスターが視界に飛び込んできた。

「……だけど結局、その子とは会えてないの。保護されたとか、親戚に引き取られたとか、前向きな理由だったらいいんだけど」

 わたしの話をだまって聞いていたアモルが、ここで口を開いた。

「母親のようになりたかったのか」

 わたしはコクリとうなずく。

「うん。お母さん、言ってたんだ。海外では、鉛筆の代わりに拳銃を持たされてる子どももいるんだって。そんな子がいなくなるように、わたしは働きたいんだって。そんなお母さんはカッコよくて、わたし、本当に大好きなんだ。だから、あの時だけは、自分のために動いたよ。その子のためじゃなくて、わたしのために、お菓子とおにぎりをあげた。ワガママ言った罰を受けるためじゃなくて」

「……そうか」

 アモルの声色が、少しだけ、上ずったように感じた。

「行くぞ」

 商品を詰め終えた買い物袋を、アモルは簡単に持ち上げてしまう。牛乳とかお米とか入ってるから、そこそこ重たいはずなのに。

 そのままアモルが歩き出してしまったから、アモルの声音が変わった理由を、わたしはたずねることができなかった。


 *


 スーパーから出ると、空の主役は夕焼けになっていた。

 ……昨日の、ちょうどこのくらいの時間に、アモルに助けられたんだよね。

 なんだか、一日の中身が濃すぎて、アモルと出会って二十四時間しか経っていないとは思えない。

 スーパーからお家までの間には公園がある。噴水や散歩道がある、そこそこの広さの公園だ。夕方になると、小学生たちが遊具で遊んだり、犬と飼い主が散歩をしていたりする。

 子どもたちの笑い声を聞きながら、わたしは、いつものように公園を通り過ぎようとした。

「いいだろ! ちょっと借りるくらい!」

 楽しい雰囲気に似つかわしくない、荒っぽい声に、わたしは思わず立ち止まった。

 噴水の前に四人の男の子がいる。一番目立つのは、帽子をかぶった、体格の大きい男の子。その子の両隣に、ひょろっとした男の子たち。

 そして四人目は、砂の付いた体操着を着ている男の子。体操着の男の子は、わたしのよく知っている人物だった。

「攻大……!?」


 何があったの……? 友達と遊んでるってかんじじゃないけど……


 攻大がめいいっぱいの声量で言い返す。

「返してよ! それは大事なボールなんだ!」

「だーかーらー、借りるだけって言ってるだろ?」

 帽子の男の子はしかめっ面になった。帽子に描かれた白い鳥が、夕焼けを反射する。

 両隣の男の子たちが、ニヤニヤしながら攻大を見下ろしている。

「だいたいさー、母親がいないのに、こんなの持ってて、生意気なんだよ」

「母ちゃんに逃げられるとか、お前の親父だっさいな!」

 わたしの目が大きく見開いたのが、わたし自身にも分かった。


 攻大をいじめて、お父さんの悪口まで……!


 飛び出そうとしたわたしの腕を、アモルが後ろに引っ張った。

「攻大を助けないと——!」

「待ってろ」

 わたしに買い物袋を押し付けたアモルは、落ち着いた足取りで、攻大たちの方に歩いていく。

「ねえ、きみも、かしわウイングスのファンなの?」

 学校にいる時よりも、さらに一段階高く作った声で、アモルは帽子の子に話しかけた。

「は? 何だよ、急に」

「それ、サインボールだよね? いいなあ。きみにぴったりだね」

 アモルはニコニコしている。本当に、わたしと話している時と同一人物? 誰かが乗り移った? と思うくらい、わたしの知っているアモルとは別人だ。

 アモルが帽子の子をおだてて、持ちあげているうちに、男の子の顔がゆるんでいくのが分かる。取り巻きの子たちと、攻大はポカンとしたまま、二人の話を聞いている。

 アモルと帽子の子は、野球チームの話で盛り上がっている。


 ……アモルって、野球が好きだったの?


「そうそう! 太島ふとじま選手の捕球は神がかりでさ!」

 帽子の子の興奮が最高潮に達したところで、アモルの口角が上がった。

「ねえ、きみが球を投げるところ、見たいなあ。ちょうどいいボールがあるし」

 アモルの眼差しの先に、一番のりで気がついたのは攻大だ。

「や、やめて! それは俺の——」

「邪魔すんなよ、宝月」

 帽子の子が首で合図したのを、取り巻き二人は見逃さない。攻大の腕を二人がかりでつかまえて、動けなくする。

 足をじたばたさせて抵抗する攻大の目尻には、涙がたまっている。


 ……ちょっと、逆効果になってるじゃん!

 アモルに任せるんじゃなかった!


 帽子の子は、攻大の宝物であるサインボールを、大きくふりかぶる。サインボールは天にかかげられた。

「やめ——!」

 わたしがかけよろうとした瞬間。

 帽子の子のとなりにいたアモルが、彼の右手の指をつかんだ。親指以外の四本。そのまま指を思い切りそらす。

「痛い痛い痛い!」

 帽子の子は眉間にしわを作ってさけんだ。

 ボールをつかんでいた指をそらされたから、サインボールは帽子の子の手から落ちる。その球を、空いていた手でサッとキャッチしたアモルは、男の子の指を離した。

 指をそらされた痛みと、ボールを奪い返された怒りで、男の子は鬼の形相になる。

「お、お前! 何すんだよ!」

 アモルは顔のパーツを何ひとつ動かさず、たんたんと言い返す。

「泥棒から盗品を取り返しただけ」

「泥棒じゃねえよ! 言いがかりつけんな! それでオレに暴力振るいやがって! 謝れよ!」

「周りの人間からも、俺の言いがかりだと言われたら謝るが」

 アモルはちらりと視線を後ろに投げた。男の子たちもハッとする。遊んでいた子どもたちや、散歩していた大人たちが、この現場に注目していた。

 ヒョウ柄の服を着たおばちゃんが、一歩前に出て言った。

「そう! その子、返してって言っとったよ! 奪い取った証拠やんか! 返してやりな!」

 おばちゃんの声が大きいものだから、ますます注目が集まった。それは、男の子たちへの非難で染まっている。

「な、なんだよ。行こうぜ!」

 自分たちが悪役であると分かったんだろう。男の子たちはそそくさと立ち去った。


 嵐が去ったあとの静けさの中で、しばらくわたしは動けずにいた。

「……これ」

 わたしと同じように、ぼうっとしている攻大に対して、アモルが手を差し出した。その手にはサインボール。

 そのようすを見て、ようやくわたしは我に返った。

「攻大!」

 わたしが近づくと、攻大は「げっ」と苦い顔をした。

「姉ちゃん、見てたの!?」

「大丈夫だった? ケガしてない?」

「平気だって。恥ずかしいから!」

 攻大はバツが悪そうに目線を横にそらす。顔がちょっと赤く染まっていた。

 わたしたちから逃げるように離れていった攻大だけど、少ししたところで、くるりと振り返った。

「ありがとうございました!」

 攻大が頭を下げた先には、ポケットに手を入れて立っているアモルがいる。なんてことない、とでも思っているのか、アモルは平然とした顔をしている。


 ……結果的に、アモルが攻大を助けてくれたことになるよね。


「ありがとう」

 わたしの一言で、アモルの顔がポカンとした。

「……盗賊に感謝するのか?」

「攻大のこと、助けてくれたのは事実だし」

 わたしたちは、お互いに言葉を続けられずにいた。

 先に動いたのはアモルだった。わたしが持っていた買い物袋を引き取ると、つかつかと歩きはじめる。わたしもその後ろをついていく。


 ——ふんわりと茜色をまとった通学路を歩きながら、わたしは考え込んでいた。


 アモルは攻大を助けてくれた。あんなふうに目立ってまで。

 もしわたしが泥棒なら、人に注目されるようなことはしたくない。しかも、自分じゃない誰かの宝物を取り返すためになんて。

 ファントムの試験だってそうだ。昨日、わたしのことを脅して、宝物を奪い取ることだってできた。なのに、そうはしない。

 それどころか、わたしのことを守ってくれている。

 ……アモルって、ただの悪い盗賊なの?


「気になるのか?」

 急に声がふってきて、わたしはパッと顔を上げる。前を向いたままのアモルが、切れ長の横目でわたしをとらえている。

「気になるって?」

「演技をしているのが気に入らないんだろ」

 アモルの言葉を理解するのに、少し時間がかかった。しばらく考えてから、わたしがお昼に言った「みんなの前ではニコニコしてるのに」ってセリフのせいだって分かった。

「盗みのターゲットには、あやしまれてはいけない。相手に好かれる人間を演じ、油断させたところで盗み取る」

「好かれる人間?」

「さっきの男がかぶっていた帽子、白鳥が描いてあっただろ。スーパーに貼ってあった野球チームのポスターと同じ。だから、あの男が好きな野球チームを特定できた。あとは同じチームのファンを装って、相手の警戒を解く。そうしてボールを投げさせた」

「投げさせた?」

「ボールを力強く握っているところから奪い取るのは難しい。だからボールを投げさせた。ボールを投げる時、手からボールを離する瞬間は、必ず握る力を抜くからな」

「それじゃあ、ボールを取り返すために、投げるように誘導したの?」

 アモルはコクリとうなずいた。


 ……やっぱりアモルは、テレビで見るような泥棒とは違う気がする。


 家の前についたところで、わたしは切り出した。

「ねえ、アモル」

 ピタッと立ち止まったわたしに合わせて、アモルも歩くのをやめる。

「アモルは、どうして盗賊になったの?」

 サファイアのような青い瞳がゆらめく。

「理由を言って何になる? どんな事情があろうと、俺が盗みの技術で生きてきたのは事実だ。情けを求める資格はない」

「でもわたし、同じだとは思えない。アモルと、ほかの泥棒——あの時の万引き犯が。だって、ただの泥棒なら、さっき攻大を助ける必要なんてなかったじゃない」

「お前だって話さないだろう。本当のことを」

「そんな……」

 わたしは、また口で負けてしまった。


 アモルに——みんなに隠し事をしているのは事実だから。

 お母さん行方不明にした、わたしの罪を。

 

 わたしが反論できないって分かったんだろう。買い物袋をわたしに渡したアモルは、さっとジャンプした。まずは石の壁に着地する。壁の上からわたしのベランダの手すりへ、そこから屋根へ。

 軽々と跳ぶ間、靴についている木製の翼が羽ばたいていた。このかたち、やっぱり見たことがあるんだけど、それを思い出すのに使う頭は残っていない。


 アモルはどうして盗賊になったのか。

 なんでわたしを守ってくれるのか。

 いい子になったはずのわたしを見て、どうして誰も笑ってくれないのか。


 たくさんの問題を解かなきゃいけないのに、どれにも答えられなかったから。

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