treasure.2 救世主さんは……盗賊!?
紫色の救世主さんが降り立ったのは、わたしの部屋のベランダだった。
「あの……ありがとうございました」
わたしはペコリと頭を下げる。救世主さんは微動だにしない。
わたしは窓を開けて、見慣れた部屋の中に入る。窓のそばに荷物を置いてから、一歩中に入る。
学習机に、水色の布団がかかったベッド。いつもと変わらない部屋だ。
白い棚には宝物が置いてある。フランス人形や、イギリスのオルゴール、エジプトの置き物まで。他にも、外国のお土産がたくさん飾ってあって——
——あれ?
わたしは固まった。だって、気がついちゃったから。
わたし、自分の家の場所、救世主さんに教えてないよね?
なのにどうして、救世主さんは、わたしの家が分かったの?
「きゃっ!」
後ろから肩をつかまれて、わたしは思わず目を閉じる。わたしの背中が壁に当たったのを感じて目を開けると、救世主さんのサファイアの瞳が、わたしを直線的にとらえていた。
壁に追いやられたわたしに、逃げ道はない。
「……宝月守里」
救世主さんの左手が、わたしのあごに添えられる。
「お前を盗みに来た」
わたしの心がぞくぞくとした。ねこじゃらしで撫でられたような心地になる。セリフの物騒さと、声色の気持ちよさがミスマッチだからかもしれない。
「ぬ、盗む……?」
救世主さんの真っ直ぐな目線に耐え切れなくて、わたしは黒目を横に逃がす。棚に飾られた宝物たちが、夕焼けの光を反射させている。
「だ、だめ……! これは、お母さんからのおくりものなの……!」
わたしは首をぶんぶんと動かした。そして気がつく。
さっき、わたしを襲ってきた怪しい男も言っていた。
「わたしを捕まえたら、ファントムは俺のものだ」って。
あの怪しい男も、この救世主さんも、わたしの宝物を狙っているんだとしたら——
「あなたも、さっきの男の仲間なの……?」
どうしよう。家にはまだ誰もいない。携帯の入ったカバンは窓際に置いてあって、壁に追いやられたわたしには届かない。
救世主さんは淡々とした口調で答えた。
「仲間じゃない。同じ組織の人間というだけだ」
「組織?」
「盗賊グループ、ファントム。俺はファントムのメンバー、アモルだ」
救世主さん——アモルは平然と言ったけれど、わたしはパニックだ。
盗賊……トウゾク……? それって……
「泥棒、ってこと……!?」
わたしを泥棒から助けてくれた人も、同じ泥棒だったってことだ。
「誰か助けて! 泥棒! お母さんの宝物を盗むつもりだっ——んんっ」
助けを求めるわたしの口は、アモルの大きな右手にふさがれてしまった。
「お前が望むなら去ってもいいが……ファントムのやつらに捕まるだけだぞ。ファントムの人間全員が、お前を狙っているんだから」
「んんっー……」
「どうして自分が狙われるのか、知っておいた方がいいと思わないか。それにファントムの人間は、目的のためなら容赦はしない。お前の大切な人間を、脅しの道具に使うかもな」
「んー! んんっー!」
「賢い選択をするべきだ、宝月守里」
アモルの目が、夜の深海みたいに暗くなる。
アモルはわたしに聞いているんだ。「このままアモルが泥棒だと叫び続けるのか、大人しくして情報を手に入れるのか、どっちがいいか」って。
確かにさっき、アモルがわたしを助けてくれなかったら、今ごろ捕まっていただろう。
なにより、家族や友達を危険な目にあわせるなんて、それだけは絶対にダメ……!
わたしの決断がアモルに伝わったんだと思う。アモルはゆっくり、わたしの口から手を離した。自由に声を出せるようになったけれど、わたしはその自由を放棄した。
しばらくの沈黙が流れて、先に口を開いたのはアモルだった。
「ファントムは世界の裏側で活動する盗賊組織。世界中に拠点がある、裏側では名前が広まっているグループだ」
「世界中って……わたし、ファントムなんて初めて聞いたけど」
「裏側だって言っているだろ。普通の人間が生きている表側には出てこない、世界の事情があるんだ」
アモルはどこか遠くを見ながら、乾いた物言いで答える。
「それで、どうしてファントムは、わたしの宝物を狙っているの? まあ、泥棒だから、お宝が欲しくはなるんだろうけど。でも泥棒なら、美術館の絵とか、大富豪の宝石とか、そういうのを狙うんじゃないの?」
わたしの宝物は、外国のお土産屋さんに並んでいるようなものだ。わざわざ盗まなくても、お土産屋さんで買えば、いくらでも手に入るのに。
「ファントムでは今、次のリーダーを決めるテストが行われている。テストを勝ち抜いた人間が、新しいリーダーになるんだ」
「そのテストって、どんな内容なの?」
「宝月守里が持つ宝を盗むこと」
アモルがわたしを指差した。わたしの頭がハテナマークでいっぱいになる。
「どうしてわたしが、泥棒グループのテストに利用されなくちゃいけないの? わたし、ファントムなんて知らないのに」
「今のリーダーが決めたんだ。その真意は誰にも分からない。リーダー以外には」
「誰なの? その、今のリーダーって」
「リーダーは素性を明かさない。人前に姿を現さないし、やり取りにも手紙を使う。名前すら隠しているから、リーダーと呼ぶしかない」
アモルは、わたしに向けていた指を、すっと下ろす。
わたしは、ふつふつと怒りがわいてくるのを感じた。
なんでわたしが、泥棒たちの争いに巻き込まれなくっちゃいけないの?
正体不明のリーダーとやらは、きっとすごく悪い顔をしているに違いない。ヒゲを生やしていて、金の指輪をはめて、札束をうちわ代わりにして「ハッハッハ」とか笑っているんだ! 泥棒たちのリーダーなんだから、とんでもない悪人顔に決まってる!
会ったこともないリーダーへのウップンを出し切ったあと、今度は黒い霧のような不安に包まれた。
……泥棒たちが、わたしの宝物を欲しがっている。
それじゃあ、わたしはこれから、泥棒たちに狙われ続けるってことだ。
百歩譲って、わたしが襲われるだけならいい。だけどアモルが言ったように、わたしの家族や友達を使って、わたしを脅そうとしてきたら?
わたしは自分の肩が震えているのを感じた。うずくまったわたしは、腕を交差させて、自分で自分を抱きしめる。
ファントムのリーダーが誰になろうが、わたしには関係ない。
だったら、宝物を全部、渡してしまえばいいんだと思う。
だけど、この宝物は、お母さんがくれた大切なもの。
わたしとお母さんの思い出なの……!
「警察に言ってもムダだ。ファントムは裏の世界の組織。存在をうまく隠している。現にお前も、ファントムのことを知らずに生きてきただろ。盗賊に狙われているので助けてください、なんて言っても、鼻で笑われるだけだ」
わたしの頭上から、アモルは不安の追い打ちをふりかけてくる。行き場のない恐怖に向き合いたくなくて、わたしはぎゅっと目を閉じる。目尻に雨水がたまりはじめて、やがてほっぺたを伝っていった。
「……だから、俺が守る」
わたしはハッと顔を上げた。アモルの言葉が、あまりに予想外だったから。
アモルの表情は落ち着いている。スッと通った目のラインも、大きくは動かないくちびるも。だけど……いや、だからこそ、アモルのセリフはウソじゃないって分かった。
「選択権はくれてやる。このまま俺を追い出すか、近くに置いておくか」
アモルはゆっくりとひざまずく。わたしたちの目線がピッタリと重なる。アモルのきらびやかな蒼い瞳が、わたしを吸いこんで、つかんで、離さない。
確かにアモルも泥棒かもしれない。だけどさっき、わたしを助けてくれたのは事実だ。
ここでアモルを拒絶したところで、別の泥棒に捕まるだけ。
だったら——
「……わたしを、助けてくれるの?」
アモルは小さく、だけどハッキリと、あごを引いた。
「……ああ」
アモルの人差し指が、わたしのほっぺたをなでる。
「だから、もう泣くな」
わたしの涙をすくいとったアモルは、その指に口付けをした。
「うん、うん……」
うなずくわたしの胸が、ホッとなで下ろされたのが分かった。
これが、わたしとアモルの出会い。そして、盗賊たちとの戦いの始まりだった。
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