ボディーガードは盗賊さん!?

月泉きはる

treasure.1 怪しい男と救世主

 イヤなことって、どうしてか分からないけれど、立て続けに起きるものだよね。

 寝坊しちゃって、時間ギリギリに学校に着いたと思ったら、宿題を忘れたことに気がついたり。

 急に雨が降ったと思ったら、通り過ぎた車に雨水をかけられたり。

 わたし、宝月ほうづき守里まもりの一日も散々だった。

 朝から目玉焼きを焦がしちゃうし、体操着を忘れちゃうし、数学の授業では答えを間違えちゃうし、学校帰りにスーパーに行ったら小銭をこぼしちゃうし。ただでさえ、ゴールデンウィークの翌日でユウウツだったのに、ますます気分が沈んじゃった。

 こんな良くないこと続きの一日だから、思うんだ。


 今、後をつけられているのは、気のせいじゃないかもって。


 夕焼け色の空の下、一軒家がまばらに建っている住宅地を、わたしは歩いている。教科書が入った紺色のカバンと、スーパーで買った食材の入ったショッピングバッグを持って。

 背中に視線を感じる。歩いても歩いても、不気味な感覚がずーっと追ってくる。

 本当にストーカーがいるのかどうか、怖いけれど、確かめたい。

 わたしはチラリとカーブミラーを見た。小さくわたしの姿が映る。耳の下で結んだふたつ縛りの髪、紺色のブレザーの制服。胸元のリボンがピンク色なのは、わたしが二年生である証だ。

 わたしの姿の後ろに、電信柱が映っている。柱の影に——真っ黒なローブに包まれた人が見えた。

 わたしの全身が強張る。


 いや、まだ分からない。たまたま家の方角が同じだけかもしれないし……


 わたしはすうっと息を吸い込む。そして、全速力で走り出した。

 食材を買い込んだせいで、ショッピングバッグがパンパンだ。思ったよりスピードが出ない。

「はあ、はあ、はあっ……!」

 わたしは後ろを見た。これでもし、黒ローブの人が追いかけて来ていたら——


「待て! 宝月守里!」

 ストーカー犯は、ローブをなびかせながら、こちらに走ってきた!


 や、やっぱりつけられてたんだ!


 わたしはがむしゃらに走り続ける。

 どうしてわたしが追われてるの⁉︎ あの人——さっきの声を聞いたかんじ、男の人だと思うんだけど——なんでわたしの名前を知ってるの⁉︎

 わたしを追う足音が、どんどん大きくなっていく。たくさんの荷物を持っているわたしと、身軽な不審者とじゃ、出せるスピードが違うよ……!


 まっすぐ走っていたんじゃ、いずれ追い付かれる。だったら、曲がり角を使って、あの人をまいた方がいいかも!

 わたしは分かれ道を左に曲がった。

「あっ……!」

 わたしの足が止まる。

 だってその道は、ブロック塀に塞がれていたから。わたしの身長の二倍はある。飛び越えるのは無理だ。


 ザッ……と、地面をこする音が聞こえた。わたしは恐る恐る振り返る。

 黒ローブの男が、じりじりとわたしに近づいてくる。フードを深く被っているから、男の表情は分からない。それが余計に恐怖を大きくする。

 男と距離を保つために、わたしは一歩、一歩と後ずさる。

 男が一歩前に出て、わたしが一歩後ろに下がる。その繰り返しは、四回目で終わってしまった。

 わたしの背中がブロック塀にぶつかった。わたしは追いつめられちゃったんだ。

「来ないで……!」

 わたしのか細い声なんてお構いなしで、男は「アハハ」と笑った。

「お前を連れ帰れば、ファントムはオレのものだぁ」

 ベトベトした気味の悪い声で言った男は、わたしめがけて突進してきた。

 わたしはぎゅっと目を閉じる。


 もうダメだ……!


「ぐはっ!」

 男のうめき声に、わたしは思わず目を開けた。

 わたしを襲った男は、お腹を抱えてうずくまっている。

 そして、わたしの一歩前に、紫色のローブに身を包んだ人が立っていた。わたしに背中を向けているから、顔は分からない。

 この紫色の人が、わたしを助けてくれたの……?

「あの……」

 わたしが聞くより前に、紫色の人が動いた。

「きゃっ!」

 紫色の人がわたしを抱き上げた。わたしはとっさに荷物を胸にかかえる。

 わたしのことをお姫様抱っこした紫色の人は、軽々とした身のこなしでジャンプする。ブロック塀のてっぺんに足を付いて、さらにジャンプする。木の枝に、ベランダの手すりに、赤い屋根に……どんどんジャンプを繰り返す。

 紫色の人は、屋根から屋根へさっそうと飛び移る。

 わたしを抱える手が、ぎゅっと力強くなった。骨格のハッキリした手……男の人、なのかな。

「少し高く跳ぶぞ」

 ヴァイオリンみたいに、なめらかで心地の良い声が降ってきた。わたしが答えるより早く、紫色の人は、助走をつけて飛び上がる。

「ひゃっ」

 思わず閉じた目を開ける頃には、静かな住宅街を一望できるくらい高いところまで、わたしの身体が浮いていた。

 こんなに軽々と動けるなんて……この人は何者なんだろう?

 わたしが首をあげると、フードに隠れた顔が見えた。


 ツヤがあって、少し左右にハネた黒い髪が、右目を隠している。左の瞳は、ヨーロッパの海のように、深くてきらびやかな蒼色だった。宝石みたいな美しさに、わたしは息を失ってしまう。

 夕日のスポットライトが、宙を跳ぶわたしたちに、惜しみなく与えられる。茜色の空を、わたしとこの人で、二人じめにしているみたい。

 わたしの瞳は、この救世主さんの海におぼれていた。

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