第5話
最近気がつくと、大中川に架かる橋の上でずっと水の流れを見ている。
近くのヴィエラと言う建物に大きなライフと言うスーパーが入っている。その周辺は車の往来が多く信号機が四つもあって、ものすごく小さなスクランブル交差点みたいになっている。すぐ近くに中学校があるからかもしれないけど、ちょっと渡るのに面倒くさい。
とはいえ良いところもある。川沿いで周囲が少し薄暗い地域だから、信号機だけでも少し明るく、賑やかな感じがする。もちろんすぐそばでスーパーの明かりが煌々としているからだけど。
おかげで夜でも怖くない。夕方6時とか7時位だとスーパーのお客さんがたくさんいるから、なんとなく活気があって綺麗で良い空気が流れている気がする。それを橋の上から眺めて、少し年代物のウォークマンでラジオを聴く。
そんな時、唐突に口にしてしまうことがある。
「ほんとあの人嫌い」
おっと……これはまずいまずい思考が闇に引っ張られていると自覚して慌てて修正をする。なんとなくずっと疎遠になっていた。AE(すみません、また変なアルファベット出現……勘弁してね)だけど、それは私が避けていた訳じゃない。AEが母と折り合いが悪かったから、結果そうなっていただけだ。
でも、私はAEが時々口する言葉が本当に嫌いでそれを聞くたびに決して分かり合える事は無いんだろうなと思った。
信じられないのだけど、AEはよく『産んでほしいと頼んではいない』とか『生まれたくなかった』とか『今この瞬間に自分が消えても良いとか』平気で口にする。それは自分だけじゃなくて、全ての人を否定してることに思いは至らないのだろうか。結婚して、子供が3人もいると言うのに。それが全て無かったことになってもいいと言うのか。前にそのことを突っ込んだこともあったけど、私と子供達の事は引き合いに出さないでと良く分からないこと言う。
あなたの言動が引き起こした実家の家庭の負担を全てこっちで引き受けていると言うのに、学生時代からしわ寄せを貰っていたというのになぜ自分1人が不幸だと言うような顔を平気で言うのか言葉にするのか理解できない。いや、そういうものなのかもしれないけれども!(まあこんな事を言っちゃう自分もどっちもどっちか!? という気もするのだけれど!)。
例え思っていても言ってはいけないことの筈なのにどうなっているのか、と私は思う。
IとEは(ついにこのイニシャルに行き着きました!)怒りを他人にぶつけるのがさも正当なことのように、それを嫌う私の心がダメだと言う。もし本当にそれが正しい感情の向け方発散の仕方と言うのだったら上2人と家族の関係は今のような形になっていないはずだ。明らかに悪い方に引き寄せているのは、他者に怒りをぶつけることを、正当だと思っている人の壊れた正義、だと私は思う。
こうやっていろんなことをあれこれと考えていると、まるで現実に起こったことのように錯覚してしまうことが最近、ある。何が起こった、実際にどうしたと言うわけではなく、実際にその会話をしていたような気分になってしまうことがよくあり、喧嘩をした気分になり、頭が重くなる。
【つづく】
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